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視力が衰えたことで、集中して文章を読むことが辛くなり、読書のテンポがかなり落ちてきている。そんな中で最近印象に残った本が、「街場のメディア論」(光文社新書 内田樹著)である。

本書は、神戸女学院大学での「メディアと知」という講義をベースに書かれたもので、口語調であるため非常に読みやすい本である。内容は、筆者のメディアに対する考え方を示したもので、「メディア・リテラシー」の教科書とも言える本である。

常々メディアの“正義面”に胡散臭さを感じていただけに、弱者の味方を振りかざして問題が起こるたびに医療機関や学校を叩く“魔女狩り”的なメディアの体質を批判しているのを、気持ちよく読み進んだのだが、ハッとさせられるくだりがあった。

経済学者の宇沢弘文氏の「社会的共通資本」を引用して、「自然環境や社会インフラ、制度資本(教育・医療・金融・行政・司法など)について、政治にも市場にも委ねてはならない」というものである。

こういうものは、コロコロ変わるのは好ましくないし、わずかな入力差が大きな出力差となって現れる市場原理で考えるのではなく、入力に対して感度の鈍い「惰性の強いシステム」として考えるべきであるという主張だ。

確かに、社会的共通資本は“ある”ことが大事であり、これを効率指標で捉えると、民営化後に大きな問題となっている非効率な郵便制度の存廃が顕著な例であろう。非効率がそのまま放置されるべきではないが、非効率を理由に存在を問われるべきではないのだと思う。

筆者は、変化=変わることを好むメディアが、社会的共通資本に対しても、ビジネスの世界と同様に変化を煽る体質があることを指摘しているのだと思う。

自分自身の仕事を振り返ってみると、病院や保育所、生命保険などの社会的共通資本についてもCS調査を手掛けてきた。CSは顧客の選択を出発点とする極めて感度の鋭い市場原理に即した考え方である。これを社会的共通資本にも適用してしまったという反省がある。

市場原理の真っただ中で競争するビジネスの世界ではCSは絶対的なものであるが、社会的共通資本の分野ではCSを絶対視するのではなく、インセンティブのような捉え方をすべきだったと思う。

インセンティブはご褒美・おまけのようなものであり、それですべてが決まるものではない。社会的共通資本についてはもう少し勉強してみたい。
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