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台風が接近してきている。日本列島を横切る今回の台風によって、水不足は一挙に解消されそうだ。台風一過で真夏モードに入るのだろう。

この数年の私の関心領域の一つが、東京への一極集中である。現在大きな問題となっている地域間格差も根源的には東京一極集中の問題に尽きるし、バブルやその崩壊もこの一極集中が大きな影響を与えている。そのため、私が主宰するCSCでも去年から東京を探訪するということをテーマに、あちこち見学をしている。

今日の日本全体の閉塞感を打破するには、一極集中をどのように変えてゆくかがキーになるような気がする。東京とは何かを考える必要があるのだが、とても1回のブログで語りつくせることではなく、何回、何十回と折に触れて考えていることを掲載していく。

そもそも東京一極集中を可能にしたのは、関東平野という日本一の平野の中心に位置し、広大な後背地を持っているからである。しかし、徳川家康が江戸に本拠地を置く以前は、鎌倉や小田原に関東を治める拠点が置かれていたのである。

当時の常識からは、辺鄙な江戸に本拠を置くことは考えられなかったと思う(武蔵の国の中心は府中であった)。狭隘な地形から、家康が鎌倉や小田原を本拠にしていたら、今日の東京一極集中は起こらなかったのではないだろうか。

家康が江戸城に入ったのは、小田原攻めの折に、秀吉が家康に薦めたという説が説が有力である。少しでも大阪から離れることや、未開の江戸を開発することにより、家康の力を削ごうとしたというような説もあるが、司馬遼太郎が再三述べているように、秀吉の善意から出たものであると解釈したい。

商品経済が中心になってきた都市経営を考えた場合、物流が重要な項目になる。道路網が未整備な当時にあって、陸上輸送と海上輸送の効率の差は歴然としている(道路が凸凹状態では、大量輸送は難渋を極めるのは当然のことで、大八車が利用されるようになったのは江戸時代の中期以降であるとされている)。

海に面することの重要性に着目した秀吉は、自身の拠点を大阪とし、家康にも薦めたのである。小田原や、鎌倉も海に面して入るが、山に囲まれ発展性に乏しいことや、鎌倉などは港も狭いということがネックになったことと思われる。

東京、大阪、名古屋を3大都市と称することがあるが、いずれも湾奥に位置し、後背地に平野を抱えていることが共通している。さらにもっというと、この3拠点は水害に悩まされ、江戸時代に大規模な河川改修を行っていることも共通している。この話の続きは又後日。
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