社長のブログです
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地震発生以降、“単位”については勉強させられることが多い。ミリはマイクロの千倍であることがようやくなじんできたと思ったら、今度は“京”である。兆の一万倍であり、めったにお目にかからない単位で、私の記憶の範囲内では、日本の「国富」が10年ほど前に1京あったことぐらいだ(失われた20年の結果、現在の国富は兆の単位で賄える)。
昨日は、震災1カ月を経過しての首相記者会見が開かれた。冒頭の発言では、復興ビジョンを策定するに際しての3原則を述べたり、過度の自粛を諌めたり、被災地産品の消費を促すなどまずまずだった。 しかし、記者からの質問になってからはいただけなかった。記者の厳しい質問に、ムニャムニャと言葉を並べてはぐらかすだけで、何一つまともな受け答えはなかった。海外メディアの注目度は高いと思うが、翻訳に苦労するだろうことが想像できる答弁であり、このような人物が非常時のリーダーだということに情けない思いをした人が多いだろう。 震災以降久しくテレビ画面から遠ざかり、出てきたと思ったらガッカリするような発言しかしないのでは、小沢シンパでなくとも「菅降ろし」をやろうとする人が出てくるのではないだろうか。 震災・原発関連のニュースが氾濫する中で、おやっと思う報道が二つあった。 一つ目は、「子供の脳死判定」とその臓器移植についてだ。昨年の法改正で、15歳未満の子供の臓器移植が可能になり、その初めての適用ケースであるため、大きく報道されたのだが、移植手術を受けるのが心臓以外は全て成人に対するものであることだ。 私は、今でも「子供の脳死移植」には反対である。百歩譲って臓器を海外に求める行為を避けるためのやむを得ない措置だという理解だ。それなのに、昨日のケースは子供同士の「命のバトン」ではなく、子供から大人へのバトンが大半だということに釈然としない思いである。 一口に子供と言うが、移植を必要とするのは5歳未満の幼児であり、昨日の臓器提供者は10歳以上15歳未満と発表されており、幼児には“規格外”だったのだろうか。メディアには検証してもらいたいものだ。 もう一つのニュースは、名古屋で闇サイトで知り合った男たちが、何のゆかりもない女性を殺害した男への名古屋高裁の判決だ。 この事件は極めて悪質であり、死刑は当然だと思っていた。ところが、昨日の高裁判決では、一審で死刑判決の出た共犯格の男に対して、無期判決に刑が一等下げられたのだ。 判決理由の中で、「被害者が“一人であることを考えると”死刑とするにはためらいがある」としている。一人ならセーフで、二人以上ならアウトという“相場”に従うもので、釈然としない判決だ。何時までこんな判決が続くのだろうか。 震災報道が無ければ、この二つはもっと大きなニュースとして取り上げられていたはずだ。プロ野球も始まったことだし、そろそろ震災モードからチェンジしなければならないのだが、これを書いている時に「緊急地震警報」が流れた。福島県南部で震度5弱と表示されている。 PR |
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