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西鉄ライオンズの黄金時代を支えた、鉄腕稲尾氏が急逝した。南海ホークスフアンの私にとって憎い相手だった。南海はオールスター前に西鉄をゲーム以上離しながら、シーズン終盤にひっくり返されたのが2度もある。悔しい思いをさせられた。

 

新聞記事に添えられた稲尾の記録を眺めると、改めてその偉大さを感じさせられる。今のプロ野球制度が続く限り、絶対に更新できそうもない記録が二つある。その一つは、シーズン42勝である。現在は先発投手の登板回数は30試合を切っている。全部勝利を治めても30勝には届かず、このところの最多勝は1617勝に留まっている。

 

中日に権藤という新人の年に35勝をあげて新人王を取ったピッチャーがいた。元横浜ベイスターズの権藤監督である。甲子園で、阪神VS中日のダブルヘッターを見に行った時に、権藤は1回戦で先発して勝利投手に、2回戦でもリリーフして再び勝利投手になったのを見たことがある。稲尾の42勝もこのようなパターンが多かったに違いない。

 

もう一つの不滅の記録は、25歳での200勝達成である。今の野球のシステムでは、年間15勝平均で勝てれば大投手である。このペースでは14年かかることになり、高校卒業後すぐに活躍しても30歳を超えてしまうことになる。

 

この二つの偉大な記録は、結果的に選手寿命を短くしてしまい、最終的には276勝でマウンドを降りることになってしまう。昭和30年代に活躍した投手は選手寿命が短い人が多く、権藤は30勝以上を2年続けてそれで終わり、杉浦も200勝には届かなかった。昭和40年代まで長く活躍したのは、阪神の小山、村山と南海の皆川ぐらいのものだろう。

 

今朝の日経の記事を読んでいると、ライバルの杉浦との対戦成績は2929敗だそうである。生涯成績276勝のうち、1割は杉浦に投げ勝ったもの、トータル敗戦136敗のうち、2割は杉浦とのものである。こんなライバル関係は2度と現れないのではないだろうか。

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