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今朝の日経の5面オピニオン欄の、片山善博慶応教授へのインタビュー記事が思わず膝を打つ内容だった。「事務次官ポストなくせ 官僚組織硬直化の現況」という見出しである。

官僚組織の頂点として事務次官(トップが次官という名称であるというのも不思議な話だが)があるが、諸悪の根源が事務次官というポストにあるというのだ。事務次官の手前である「局長」は専門部署のトップであり、役割ははっきりしている。しかし、事務次官は省全体のトップであり、大臣と重複することになる。

じっくり考えてみると、事務次官というのは不思議なポストだ。何のために、どんな役割を果たすためにあるのかよくわからないポストだと思う。

事務次官には専門性はそれほど求められず、能力評価は「調整力」が中心になる。そのためにキャリア組みと称される人たちは、ジェネラリスト育成という名分のもとに1~2年で部門を移動し、キャリアを積み重ねていく。その中で「省益」というのも育まれていくのだろう。

「省益」という嫌な言葉は、事務次官というポストがあるから生まれてくる言葉であり、大臣が省の責任を負う体制になるならば、事務次官ポストが不要になり省益という言葉は死語になるはずだ(変わりに「局益」という言葉が出てくるかもしれないが、省益ほどひどいものにはならないだろう)。

官僚の出世競争の頂点に事務次官というポストがあるため、有能な局長であっても同期が次官に就任すると退職するという不文律があるため、天下りが生み出されるのである。専門家の頂点である「局長」を目指すようにすると、定年というのは意味を持たなくなってくると思う。公務員制度改革を行うには事務次官の廃止が第一歩ではなかろうか。

新政権では事務次官会議の廃止をうたっているが、異論も出ている。事務次官そのものがなくなればこうした議論も終止符を打つはずだ。

なんとなく、そういうものだと受け容れていた事の中に盲点がある。何のために=Whyということを常に考える必要があることを改めて教えられたインタビュー記事だった。
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