社長のブログです
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原発事故の関連で私が気になることの一つが、「相馬野馬追い」の存続である。野馬追いは10年ほど前に一度見物したことがある。日帰りで出かけたのだが、観覧するには上野から出る常磐線特急では間に合わず、たしか牛久だと記憶しているが、そこまで電車を乗り継いで牛久発の特別列車で出かけたのだ。片道4時間の行程である。
野馬追いの起源は平将門に遡ると言われている伝統行事で、騎馬行列や甲冑競馬、神旗争奪戦を堪能することができる。騎馬武者が登場するということで、京都の時代祭りを想像していたのだが、はるかにスケールが大きいもので圧倒された。 いわき以北の常磐線の特急は2時間に一本なので、帰路駅前の寿司屋で時間潰しをしていると、そこに騎馬武者が次々とあいさつに訪れてきた。寿司屋の親父が地元の有力者なのだろう、出場を終えた武者が玄関先で大音声で名乗る様は、将門の時代にタイムスリップしたようでイベントのおまけをもらった感じだった。 その野馬追いの開催が危ぶまれている。津波の犠牲になった馬もいたが、震災直後はいち早く開催が発表された。しかしその後の原発事故の拡大もあり、今日現在で開催の見込みは立っていない。 災害による自粛で廃れてしまったのは、私の生まれ故郷である枚方の秋祭りだ。子供のころは各町内ごとに「布団太鼓」と呼ばれる関西地方独特の神輿があり、10基くらいあったと思うが中心街を練り歩いた祭りだった。 神輿の中に子どもが乗り太鼓をたたく事になっており、小学校の高学年の担当であった。小学校5年になってようやくデビューすることになったその年に、伊勢湾台風が襲来し、自粛による中止になってしまった。 一旦中止になると、再開するのは困難なようで、次に祭りが開かれたのは10年後であり、結局私が太鼓をたたいたのは子供神輿だけで、今度は担ぎ手としてのデビューになってしまった。 今では3つの町内会のうち当番で1基だけ神輿が練り歩くだけになってしまっている。しかも担ぎ手が調達できず、全国制覇を何度もしている市内の高校のラグビー部の生徒が、日当5千円で参加しているそうである。 祭りが廃れるのとコミュニティの崩壊は密接な関係があると思う。野馬追いの開催場所は避難地域の外にあると思うが、武者たちの中には避難地域に入る人もいるだろう。原発事故の収束まで10年単位の時間になるとすると、コミュニティの崩壊も懸念され、伝統行事の行く末が心配だ。 PR |
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