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6時の気温が23度、湿り気も少なく、ようやく猛暑から抜け出た感じで、一息つける気がする。準決勝には進めると思っていた末続も破れ、地すべり現象が治まらない。トリノオリンピックでメディアが持ち上げていた選手が次々に倒れ、荒川静香でようやく救われた時と状況が似てきた。

女子マラソンに荒川静香が隠れているのだろうか?

北海道の話の続きを少し。函館から車で2時間の江差で仕事をした。江差はアイヌ語で昆布という意味だそうで、目と鼻の先の奥尻島の昆布が知られている。さらに有名なのはニシンで、明治の豊漁期には「ニシン御殿」があちこちに建ったことで知られている。

ニシンは漢字では2種類の表記方法があり、普通「鰊」と書くが、もうひとつ「鯡」というのもある。江差では後者の字を充てる。「魚」に「非(あらず)」という意味である。

ニシンと聞くとすぐに「数の子」を連想するが、江戸時代は肥料として大きな需要があった。大阪の河内平野一帯は木綿の産地であったが、その畑の肥料としてニシンが用いられたのである。高価な肥料であり「金肥」と称されたが、それだけ大量に獲れたのであろう。

江差は、檜とニシンで江戸時代は北前船の最終寄港地として北海道で最も栄えた街である。漁業が不振になると他に目立った産業もないため、人口減少が進み北海道の支庁がある町で、最初に過疎地域の認定を受けた街でもある。

その江差の街の中心部の一角に、モダンとレトロが同居した通りがある。最近地方の商店街や旧市街の、活性化策として多用されている街並み保存活動のようであり、通りには「古(いにしえ)街道」というネーミングがされている。

旧居がそのまま保存されているだけでなく、新しく郵便局や病院新聞社の支局なども、統一されたデザインで建てられている。整然と整備された街並みが500Mほど続いており、かなり大規模な公共事業だ。200708260906000.jpg



←北海道新聞の支局





200708260913001.jpg

←旧町役場を改築してイベントができる施設になっている。




200708260908000.jpg


←このような通りが延々と続いている。



最初に通りかかったのは日曜の朝9時ごろであり、通りに歩いている人は一人も見かけなかった。仕事を終えて4時過ぎに立ち寄った時も誰も歩いていなかった。まるで映画のセットを見学に来たかと錯覚しそうである。

元々この通りは、一車線の片側一方通行であったのを、二車線に拡幅しその補償費で立替を促して、この事業ができたようである。街の人に話を聞いてみると、国と北海道の事業で、建替え費用の個人負担はほぼ0であったそうである。

10年以上かかって実施したようで、国のモデル事業であったのだろうか。しかし、観光の目玉としては、日曜の夕方に人通り0というのは、壮大な無駄遣いとしか言いようがないであろう。

道路を広くして商業が繁栄したことはない。肩がぶつかり合うように狭く、迷路性があることが商業地の魅力の一つである。この通りのすぐ裏(50Mも離れていない)を国道が走っている。地元の人にとっても道を広げる切実なニーズはなかったのではないか(広げた方が良いかと尋ねられたら、はいと答えるかもしれないが)。

唯一の可能性は、失敗の研究をする人たちの生きた教材として、見学ツアーが増えることぐらいである。
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