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昨日は、桜の開花を探索のために10キロ以上歩き回った。見事な桜の巨木を見つけたが、開花はまだだった。蕾の膨らみ具合からすると、今日あたりは何輪か花が開いているかもしれない。今週末にはもう一度出かけるつもりだ。

今日は少し固い話をしようと思う。今月のマーケティング夜咄では、リベラリズムとコンサバティズムについて取り上げ議論をした。リベラルというのは自由と約されるのだが、経済学の観点からはむしろ規制を強化するという立場であり、経済活動の自由を追求するのはコンサバティブ(保守)のほうであるというのが少しややこしい。

リベラルというのは社会的公正が重視され、そのために政府の積極的関与が求められるという大きな政府主義である。一方、コンサバティブは、効率が重視され、その効率は市場メカニズムにより決定されるので、余計な政府の干渉は不要という小さな政府を求めるものである。

両者は社会・経済環境の変化により、時代の主流を成し、少しずつ形を変えながら進化している。

17世紀は暗黒の中世を脱し、資本主義の萌芽が生まれた時代だが、その時に理論的主柱を務めたのだが重商主義という立場であり、国家の積極的関与・規制をもとめたものであり、大きな政府主義の走りである。

これに対するアンチテーゼとして、18世紀には「神の見えざる手」を説いたアダム・スミスによる古典派経済学が生まれた。市場メカニズムを重視する小さな政府主義の走りである。

19世紀はこれがさらに、ラッセルへーべ(自由放任主義)という形で隆盛を極めた。これが20世紀に入って1929年の大恐慌により終焉を迎え、政府による需要創造の有効性を説いたケインズ経済学が主役となる時代へと転換を迎えることになる。

これが、オイルショックによる成長率の鈍化と高福祉政策による国の財政赤字の拡大をうけて、再び小さな政府を目指す志向が強くなり、サッチャリズムやレーガニズムが誕生し、英米の金融資本主義やグローバニズムが全盛を極めたのがついこの間までのことである。

ここからいえることは、両者は常に振り子のように行き過ぎると必ず揺れ戻す力が働き、瞬間的にしか正解とはならないことである。どちらも永遠に続くことはないのである。

アメリカの政治体制は、リベラルの民主党、コンサバティブの共和党とはっきりしており、政権がどちらにあるのかは時代の要請を反映しているものとみることができる。

日本の場合は、2大政党がどちらの立場をとっているのか今一よくわからない。麻生首相がいう「中福祉・中負担」というのはその極め付きのような気がする。

夜咄の議論で出てきたのは、日本はどちらかというとリベラルの立場に軸足を置き、アメリカはコンサバティブの立場に軸足があるというものであった。少なくとも、今年行われる衆議院選挙はリベラルの立場を鮮明に打ち出した方が勝利することは間違いないだろう。

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