忍者ブログ
[41] [42] [43] [44] [45] [46] [47] [48] [49] [50] [51]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

人の意見には本音と建前がある。人の意見を集めて分析するという市場調査を生業としてきた私にとって、本音と建前の違いについては十分意識していた。調査で必要なことは本音を集めることで、建前をいくら数を集めても価値はない。

ニーズを探る場面で、ダイレクトに“欲しいもの”を尋ねても、出てくる答えは建前でしかない。「あったらよい」というレベルのものしか出てこないため、アンケートではこのような設問は行わないように心がけている。本音を引き出すためには、行動をとるようにしていた。行動という“事実”の裏側に、本音が垣間見えるからだ。

最近は、アンケートよりもインタビューをする機会が多くなってきている。言葉のやり取りをすることによって、アンケートよりも本音を引き出しやすいのだが、さらに“奥の手”を一つ用意している。インタビューが終わった合図としてノートを閉じるのだが、その直後にポツンと問いかけをすることにしている。

立ち上がって廊下を一緒に歩いている時に、雑談風に問いかけることもある。緊張が途切れたとたんに、本音がポロリと漏れてくることがあるからだ。今朝の日経のコラムでは、新聞記者の常套手段として、インタビューが終わった後の雑談で本音を引き出すということがよくあるということが述べられていた。

猪瀬都知事のニューヨークタイムスとのインタビューについてである。猪瀬知事も本業は作家であり、数多くインタビューをしてきて、このようなテクニックを用いてきたはずなのだが、見事に落とし穴にはまってしまったようだ。結局謝罪ということになったのだが、東京への招致については、ハンディを一つ負ってしまったように思う。

物事には、表と裏がある。表は建前で、本音は裏に隠されているのだが、表は化粧した美しい顔、裏は化粧を落とした“スッピン”である。本音ばかり追いかけていると、裏側しか見ない習性になっているようで、少し暗くなってしまうのだが…


PR

陸上競技場はどこも同じように見えるが、トラックの素材の違いにより、“高速トラック”が出現するようだ。ロンドン五輪のトラックも高速だったが、国内では長居、等々力、広島ビッグアーチがベスト3だと思う。それにほどよい追い風が吹く立地・季節の条件が重なるのが、広島の織田記念大会で、過去に何度も日本記録が生まれていたように思う。

その織田記念で、高校生が10.01秒という後一歩で夢の9秒台という快走を見せた。陸上競技では18歳未満を「ユース」、18歳から20歳までを「ジュニア」というカテゴリーに分けている。17歳の桐生選手はユースになるのだが、これまでのユース世界記録はこの桐生選手が昨秋に記録した10秒19で、これを一挙に0.18秒の大幅短縮したわけだ。

もう一つ上の年代カテゴリーであるジュニアの世界記録は、10.01秒とのことであり、一クラス上でも世界タイということになる。陸上の短距離では、筋肉の素材の違いからなのか人種間の差が極めて大きく、オリンピックの決勝などは黒人選手ばかりである。

白人選手で100m10秒を切った選手は一人しかいなかったように思う。黄色人種は白人よりもさらに素材が劣り、10秒を切るのは至難の業だと思っていた。バンコクのアジア大会で伊東選手が神がかり的走りを見せたが、10秒00という“寸止め”に終わってしまっていた。

昨日も同じように0.01秒オーバーの寸止めになってしまったのだが、17歳という伸び盛りの年齢を考えると、故障さえしなければ近いうちに大台突破は可能ではないだろうか。昨日の試合で桐生と接戦を演じた山県も大学2年生と若く、先陣争いも見どころだ。

桐生を指導していたコーチは、体罰が発覚して2月から無期限指導停止になったそうだが、体罰問題さえなければ指導者として大きな脚光を浴びていただろうに。


今日から連休が始まった。それに合わせてのものかわからないが、燃費高騰の影響を受けて、イカ釣り漁船も今日から2日間一斉休漁に入るとのことである。衛星写真で日本の夜を映したものを見たことがあるが、大都市部と並んでひときわ明るいのが近海にある。イカ釣り船の漁火である。

灯りに誘われて小魚が海面近くに浮上し、それを追いかけるイカを御用にするというわけだ。衛星からも見られるほどだから相当な明るさで、そのために使う燃料の多さもかなりになると思われ、燃費高騰はイカ漁にダメージを与えるということなのだろう。

イカ釣り船に少しでも元気を与えようと、行きつけの「エビの桑田」を覗いて見たのだが、店頭にはイカの姿は全くなかった。一斉休業の前なのに店頭から姿を消すというのは不思議なことで、尋ねてみると価格が高くなりすぎているとのことだった。

ムギイカの煮付けを楽しみにしていたが、仕方なく「お薦め」を見ることにした。房総産のアワビで、手のひらほどの立派なものが4800円、握りこぶしほどの大きさのものが2800円ということだった。プチ贅沢の限界を超えており、あきらめて帰ろうとしたら2800円のものを1800円にしてくれるという。ただし、ブログで宣伝してくれというのが条件だった。

プチ贅沢の上限を少し超えているように思えたが、そこまで言われるのならということで、買い求めることになってしまった。

刺身のコリコリした味わいを楽しむことも考えたが、思い切ってステーキにすることにした。肝を取り外して軽く焼き、そこにバターと白ワイン、肝を入れて蒸し焼きにした。アワビをとりだしてから醤油を少したらして煮詰め、出来たソースをアワビにかけるという段取りだ。

肝の入った濃厚なソースがさっぱりしたアワビの身とマッチし、気が付くと白ワインを1本空けてしまった。我ながら会心の出来栄えで、またひとつレパートリーが増えたことになる。

世話役の事を、「肝煎り」と呼ぶ。新明解国語辞典では、「仲間の人間関係をまとめるために骨を折ること」とある。肝が、白ワイン、バター、醤油の関係をとりもち美味しいソースになったということだろう。

プチ贅沢の上限を少し越えてしまったので、今晩と明日の夜は少し控え目にしなければ。
ジャンボ尾崎のエージシュートがスポーツ面のトップ記事になっている。シニアツアーは緩やかな設定になっており、杉原や青木も何度か達成しているのだが、そのシニアツアーではなく、レギュラーツアーでの達成だからひときわ価値がある。それも66歳の年齢に比べて62のコースレコードと4つもおまけがついてのものだからスーパー・エージシュートだと思う。

尾崎を初めて知ったのは、私が高校へ入学する直前の選抜高校野球である。子どもの頃、スコアブックをつけながら高校野球観戦をするというのが私の楽しみ方の一つであった。高校生になってからは、他の事に気が向いたためにやらなくなったので、5~6年続いたテレビ観戦の最後の大会であったと思う。その大会で、尾崎は徳島海南のエースとして頑張り、優勝してしまった。

後年ジャンボという異名をとるぐらいだから大型選手だったが、もの凄い速球を投げるわけではなく、コントロールのよいピッチャーだったという記憶がある。翌年西鉄ライオンズに入団したが、2年生の時に選抜大会で優勝した同期の池永の方が、小柄だが数段上だったように思う。池永は黒い霧事件で引退に追い込まれたが、そのまま選手生活を続けていれば、300勝投手にもなれたのではないかと思っている。

そんな同期のライバルを身近に見たためか、さっさと見切りをつけてプロゴルファーへの転身をしたことが成功のきっかけだったと思う。その後も「第二の尾崎」を目指してプロ野球からゴルフへと転身した選手がたくさんいたと思うが、成功した選手は一人もいなかったように思う。

尾崎のように2年で見切りをつけるのではなく、10年近く野球の世界でもがいてからというのが、大成した選手がそれ以降出現しなかった理由だろう。決断の速さが尾崎を成功に導いたのだと思う。

尾崎の強さの秘密は、豪快なドライバーショットもあるのだが、小技のうまさも光っていたと思う。コントロールのよいピッチャーだったという野球選手の時代の素質が、ゴルフの小技とも関係するのだろう。私の父親は一度もプレーしたことがないのに、ゴルフ中継をよく見ていたが、尾崎のフアンだったためである。晩酌を一緒にやりながら、尾崎のスーパーショットについて私に語っていたことは想い出になっている。

昭和の時代、海外旅行というとB747であり、ジャンボは経済成長時代の象徴的な飛行機だったと思う。しかし、最近では成熟化に合わせたのか、小型で高性能の飛行機が重宝され、「大きいことはいいことだ」の象徴のようなジャンボはいつしか主役の座から降りてしまっていた。

それと合わせて、ジャンボ尾崎も退役したものだと思っていたのだが、「どっこいジャンボは生きている」と思わせてくれたのが昨日のスーパー・エージシュートだったと思う。次に墓参りに行った時には親父に報告しなければ。


小中学校の学力テストが、今年は抽出ではなく悉皆調査の形式で実施され、今朝の新聞には問題が掲載されている。紙面に掲載する関係からか文字が小さすぎて、老眼の身にはとても辛いものであり、小学6年生の国語の拾い読みになってしまったが、ボリュームも多くかなり難しい問題が多いように感じた。「見れる」と「見られる」という表現についての年代別のデータを読み解く問題があり、大人でもかなり手こずるのではないだろうか。小学生だけでなく、大人の正答率も気になるところだ。

最近気になる言葉の一つに、“挑発”という言葉がある。北朝鮮の最近の行動に、「北朝鮮による“挑発”」という言葉を用いられているのだが、私にはどうもその言葉遣いに違和感がある。「ミサイルを撃つぞ」、「東京を火の海に」というのは、私の感覚では挑発ではなく“脅し”の方がふさわしいように思う。

手元にある新明解国語辞典によると、挑発の意味として「ことさらに敵対行為や欲情を起こすように仕向けること」とある。相手に意図的に行動を起こさせるようなことを意味していると思うのだが、北朝鮮の一連の行為や言動は、アメリカや韓国、あるいは日本に何かを仕掛けさせることを意図しているのではなく、怖がらせて自分の意を通そうとしているようにしか見えない。

ミサイルの発射実験や核実験を繰り返して自分に有利な交渉に持ち込もうとする態度は、武器をチラチラ見せてみかじめ料を脅し取る暴力団の行動と同じパターンであり、挑発ではなく“脅し”と表現した方がふさわしいのではないだろうか。

挑発という表現がふさわしいのは、相手がどんな反応を示すかわかっているのに、大挙して靖国神社に参拝するような閣僚や国会議員の行動ではないだろうか。

私は別に“自虐史観”を支持するつもりはないのだが、朝鮮併合から満州国の建設、日中事変までの一連の行為を正当化しようとする最近の流れ(昨日も超党派議員が教科書検定に意見書を出している)は、どうも気になってならない。


忍者ブログ [PR]
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
フリーエリア
最新コメント
[11/14 NONAME]
[06/09 元沖縄通♪]
[04/28 元沖縄通♪]
[03/22 ドン・カルチョ]
[03/21 佐野]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
アクセス解析
アクセス解析