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今日もまだ歯の痛みが残っている。昨晩我慢しきれずアルコールを口にしたのが原因か?控え目にしたつもりであったのに…

今朝のNHKで金沢の現代美術館が紹介されていた。開館前にNHKのラジオ番組で館長就任予定の蓑 豊氏のインタビューがあり、面白い試みだという記憶をしたが、映像でじっくり見るのは初めてで、一度行かなければと思った。

現在美術館は全国で400あるそうだが、年間の入場者数は8万人であるのに対して、金沢現代美術館は2004年10月の開館から1年で157万人の動員をし、その後も140万人ペースで動員しているそうである。
美術館関係者は開館の前からこの取り組みに注目しており、今回この施設がだめなら地方の美術館の明日はないという思いをしたらしいが、
この結果で安堵したようで、美術館業界の旭山動物園的存在かもしれない。

成功要因をHPの資料や、NHKの番組から分析すると、地域密着とトップのリーダーシップが大きいのではないかと思われる。

開館の6年前の1998年からプレイベントを始め、100回以上のイベントで地元に周知させたこと。
来館者にアンケート調査を行い、宿泊や飲食などで年間105億円の経済効果があることをアピールしたこと。
上記をベースに地元の物販店や飲食店と提携し、チケットの半券を提示することにより、様々なサービスを受け入れられるようにしたこと(現在市内254店舗)。
250Kmを限度として、団体客の無料送迎バスのサービスを実施していること。
学校を対象として、子供を無料招待し、「もう1回券」を配って保護者の動員を図ったこと。
など様々な取り組みを通じて地元の大きな支持を得ているように思われる。

館長の蓑 豊氏のリーダーシップも大きいと思われる。金沢出身の同氏は、ハーバード大学の美術史学部卒業後、モントリオールやインディアナポリス、シカゴの美術館に勤務した後に、大阪市立美術館の館長についている。

市民と密着した海外の美術館に勤めたことが、今回の地元との関係構築に力を入れている金沢現代美術館のアプローチに大きな影響を与えたのではないかと思う。ちなみに、同氏は2005年から金沢市の助役も兼務している。

とにかく一度見なくてはならない。どなたか、北陸での仕事を創っていただけると助かるのですが…
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昨日親知らずを抜歯した。
お陰で何年ぶりかの休肝日となった。今日もまだ痛みが残っており、もう1日アルコールを抜かなければならないかもしれない。

20年ほど前に、左下の親知らずを抜いたのだが、残っていた上の親知らずがだんだん伸びてきて、不具合となったための処置である。
自分では親知らずの治療だけを願っていたのだが、歯科医は診るなり歯周病の兆候を指摘した。

昔は歯槽膿漏といわれていたもののようで、放置すれば歯が抜け落ち、入れ歯にしなければならないことを指摘され、しばらく歯石除去のために医者通いが必要になった。人前でしゃべることを職業としているものにとって、入れ歯は恐怖である。

寿命が60年の時代は、歯周病が悪化する前に事切れていたためそんな大きな問題ではなかったが、人生80年時代には歯周病対策が重要になっていると歯科医は説明している。歯周病の原因、治療方針、歯磨きによる日常の手入れの方法など、懇切丁寧な説明があった。

10年ほど前に、病院の評価についての調査を首都圏2000サンプルで行ったことがある。その際、科目別の評価では歯科医がNo1で、眼科、耳鼻科、皮膚科がワースト3になっていた。

耳鼻科は花粉症、皮膚科はアトピーなどやっかいな病気があり、中々完治しないことが評価の低い要因であり、
一方歯科医は痛みがなくなることによる効果の実感と丁寧な説明が評価の高い要因だと見られる。

治療方針が明確なことと、保険外の高額な治療を要するケースがあり説明が必要なこと、などが歯科医の説明能力を高めたものだと思う。
昔、差し歯を作り変えたときも、保険適用のあるものとそうでないものについて材質の評価を聞かされ、結局保険適用外の高価な方の治療を選択したことがあり、説明の巧みさに感心したことを思い出す。

今回の歯周病の治療とあわせて考えると、歯科医は「脅しのマーケティング」に長けた業種であると思うのだがどうだろうか。

永年愛用してきた車を今月一杯で手放さなければならない。
ディーゼル車規制で、南関東の1都3県では車検を受けられないためである。

ガソリン車に比べて30万円も高かったのにあえてディーゼルにしたのは、
燃料費の安さとともに二酸化炭素排出量が少なく、環境面での効果も大きいと判断したことによる。しかし、窒素酸化物などの有害物質を排出するということで、
南関東の1都3県では走れなくなってしまった。

その他のエリアでは規制がないため、中古車として流通するとのことなので、売却することになっている。

昨日夜のNHKのニュースを見ていると、ヨーロッパでは環境対策としてディーゼル車がブームになっており、国によっては乗用車の50%を超えるところもあるという。
もちろん有害物質対策も施されている。

日本では大型車には除去装置をサポートしているが、乗用車にはサポートしていない(少なくともニッサンは)。
新車に乗り換えさせたいためであろう。車検を受けられないと分かってから、セールスがしつこくアプローチしてくる。その手に乗るつもりはない。次の車は絶対にニッサンから買うつもりはない。

ところで、ヨーロッパの環境対策を取り上げていたニュースの中で、
「フード・マイル」という耳慣れない言葉が出ていた。
食料品の値札に、価格とあわせて産地からの距離が表示されているのである。
短いものほど燃料消費が少なく、環境に貢献するということで、商品ごとに明示し
後は消費者の判断に委ねるらしい。ヨーロッパの環境意識の成熟化を窺わせるものだと感じた。
インフルエンザ治療薬のタミフルを服用して、意識障害を引き起こし事故死することが何件か起きている。
柳沢厚生労働大臣は「因果関係が十分解明されているわけではなく、専門的な検討を進めなければならない」とし、特別に注意の呼びかけを行うかどうかについて「必要なら当然そうなるが、薬事・薬品の問題なので、厚生労働省として責任ある対応をするには根拠がしっかりしていることが必要だ」とやや歯切れの悪いコメントを述べている。

人ヤコブ病や薬害エイズの時と同じように、兆しが見えたときに手を打つのが相変わらず遅く、国民の安全よりも企業優先という立場が続いているように見受けられる。そこで、インターネットの百科事典「ウイキュペディア」でタミフルのことについて調べてみた。

「ウイキュペディア」によるとタミフルは、ウイルスの拡散を防ぐ作用があり、発生が恐れられている「鳥インフルエンザ」に対しても効果があるとされている。
服用しやすいため、子供や老人に多く用いられるとされており日本では子供の利用が多いこと、世界のタミフル消費量の75%が日本であり、
副作用の事例もほとんど日本で発生していることなどが指摘されている。

意識障害はインフルエンザによっても起こる可能性があり、因果関係はまだ分かっていないとされている。

発生が恐れられている「鳥インフルエンザ」の特効薬であるなら、使用禁止などの措置がとられないことも納得できる。

このようなことを考えていたら、今朝の朝刊に厚生労働省はインフルエンザの療養中に、異常行動の恐れがあることを患者や家族に説明するよう医療関係者に指示したことが報道されていた。人ヤコブ病や薬害エイズのときよりも一歩前進した感じである。

薬に副作用はつきものであり、「鳥インフルエンザ」対策についてももう少し説明すれば、タミフルと仲良く付き合うことができると思うのだが…

日本経済新聞大阪本社編集委員の脇本祐一氏が書いた「豪商たちの時代 徳川三百年は「あきんど」が創った」(日本経済新聞)を読んだ。商人の視点で書かれた江戸時代史ともいうべき内容で、改めて江戸時代とは度いう時代かということがわかったような気がする。

江戸時代は「鎖国」の時代であるという認識があったが、「鎖国」という言葉は当初は使っておらず、19世紀になって初めて志築忠雄の「鎖国論」という書物で登場し、鎖国が祖法という意識が出てくる。確かに、ポルトガルやスペインなどのカソリック国との交易は禁止されたが、オランダや中国との交易は長崎を窓口に開かれ、北方民族との窓口も蝦夷で行われていた。

一方、門戸が制限されていた中で、自給自足体制が確立し、綿花の栽培により衣類や油をまかない、養蚕による絹織物、楮・三椏による紙の製造、干鰯や〆鰊による肥料としての活用など農業をベースに今日の化学や繊維などの工業が確立していた時代である。自前の精神で知恵を絞り新しい時代を切り開いていった先人のパイオニアスピリッツには頭が下がる。

商人の視点で書かれているから、どうしても中心は商都大阪になり、江戸時代は「浪花時代」かと錯覚しそうになる。江戸時代は先にあげた自給自足体制が確立した時代であり、商品経済が一挙に発展した時代でもある。一方商品の流通を支える貨幣は、それまで世界有数の鉱山国として豊富に産出された金や銀の産出量が激減し、通貨不足が経済発展の阻害要因となり、貨幣改鋳によるインフレ(元禄期)、貨幣の流通量不足によるデフレ(享保期)などが起こり、米価下落に伴い、幕府や大名などの武家社会は18世紀以降絶えず財政改革に取り組まざるを得なかった。

江戸時代は、幕府の行った享保の改革などの3大改革を筆頭に、田沼の治世など頻繁に体制を維持しようとする改革が幕府や大名家で行われていた時代である。構造改革の歴史として見て取ることができ、今日にも通じるものがあると思う。そんな中で、幕末の備中松山藩の山田方谷の改革が特筆されるものである。特産品の備中鍬を強化し、藩の専売品として外貨を獲得し、藩内の流通には外貨の裏づけのある藩札を発行して活性化を図り、10年間で80万両の借財を返還し、同額の蓄財を果たしたそうである。今年1年の研究テーマを「再生」ということにしている。山田方谷の改革について少し調べてみようと思う。ちなみにJR伯備線に「方谷駅」という名の駅がある、これは日本で最初に人名からとられた駅名だそうで、山田方谷がいかに信望があったかを物語っているといえよう。



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