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プロ野球のドラフト制度が、西武の不正資金提供から希望枠制度が諸悪の根源とされ、二転三転のあげくようやく今秋から希望枠の廃止が決まった。

そもそもは、2年前に近鉄の身売り問題でプロ野球改革が議論になり、ドラフト制度も改革の俎上に上がり、それまでの逆指名制度を廃止し、高校生と大学・社会人の分離ドラフトや希望枠制度などが2年間の暫定措置として実施された経緯がある。暫定措置だから、今年は見直しをする筈であったが、今年はそのまま継続して来年から改正するという案を当初発表したため騒動が大きくなったのである。

希望枠制度の廃止を決めながら、巨人のオーナーは、アマチュアから直接メジャーリーグに行けないような規制をかけると発言している。
ドラフト制度とは、チームの戦力拮抗を狙いとしているため、仕組みはウエーバー制(下位チームからの指名)でなければならず、アメリカでは野球やフットボールでこの方式をとっており、フットボールではサラリーキャップ制度(チームの総年報の上限を設定する制度)も採っているため、連覇が難しく面白くさせている。

「職業選択の自由」というお題目を唱え、巨人などの一部球団の思惑により、逆指名やFAなどの制度が導入されたのが現行の問題山積のドラフト制度である。アマチュアから直接メジャーに行けない規制は「職業選択の自由」に反しないか巨人に聞いてみたいものである。

制度改革が混乱しているのは、仲裁すべきコミッショナーがその機能を果たしていないためである。現在の根来コミッショナー代行(今年始めに任期が切れたが後任が決まらないために代行としてコミッショナー職を続けている)は、法務官僚上がりで最高検検事長を勤め、巨人の渡辺元オーナーが引っ張ってきた人物である。

法曹界の根本思想として「体制の維持」があるのではないかと思う。先日のいじめ殺人による警察の怠慢を訴えた裁判でも、体制側を守ろうとした態度にしか見えないのがその典型であろう。

2年前の球界改革騒動の時や、今回の曖昧な態度を見ているとその感を強くする。導入が決まっている「裁判員制度」ほこのような法曹界の常識を正す意味合いもあり、プロ野球機構にも「コミッショナー員制度」を設ける必要があるかもしれないと思う。

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昨日のバカ陽気で、都心に比べて遅れていた稲毛海岸の桜も一気に元気になり、朝はチラホラ程度だったものが夕方には三分咲き程度にはなっていた。満開は土曜か日曜になりそうで天気が気がかりである。

岩波書店から2005年に発行された「桂米朝集成」を読んでいる。人間国宝にもなっている米朝が、その「落語論」を昭和20年代からいろんなところに寄稿したものや対談をまとめたものである。全4巻で1冊3600円もする本であり、例によって図書館から借りてきたものである。

米朝は私がもっとも好きな落語家で、テレビやラジオでしか聴いたことがない(一度だけ枚方市民会館で独演会があったときに行ってみたが既に売り切れで「生米朝」は見たことがない)が、落ち着いた語り口に好感が持てる。

高校の入学祝に「トランジスタラジオ」を叔父から貰い、学生時代はラジオが友達だった。昭和40年ごろに、ラジオ大阪で「題名のない番組」という米朝と小松左京が出演する番組があり、かかさず聞いていた。リスナーからの投稿を中心に構成される番組で、小松左京のツッコミを米朝が捌くという掛け合いが面白く、本職の落語以外にも活躍しており贔屓になった。

当時から彼の知識の幅広さ・深さに感銘していたが、今回この本を読んで(今まで彼の書いたものを読んだことはなかった)改めてその感を強くした。
特に、落語だけでなく伝統芸能や寄席の成り立ちについても歴史的な視点で捉え、これをもとに「米朝の落語」を展開していることに好感が持てた。そのことの意味を原点(典)にまで立ち返って理解し、その上で応用を図るという姿勢に学ぶべきことは多い。

何度も繰り返し出てくるのが、「落語は聴衆と一体となって創りだすもの」であり、聴衆の反応しだいで変わるというものである。私も講演やセミナーの仕事を始めたときは、原稿をこしらえ演台において盗み見しながら進めた時期があったが、聴衆を上手く惹きつけることができず、苦労をしていた。
あるときから、原稿を作らず大まかなストーリー構成だけをし、聴衆の反応を窺いながら進めるやり方をするようになって、やっとスムーズにできるようになってきた。
落語の世界と同じだったんだと改めて分かった。

本当の落語を味わうのにはやはり寄席に行かなくてはならない。新宿の末広には何度か出かけたことはあるが、大阪に昨年落語専門の寄席「繁盛亭」ができたそうである。
これから大阪に出かけたときは時間を作って上方落語の世界を楽しんでみたいと思う。生米朝を見ることはできないかもしれないが、新たな贔屓を発掘したいと思う(今のところ候補は桂文珍で、センスの良さは米朝に通じるものがあると思っている)。

桜は都内では今日にも満開が見られそうだというニュースが流れているが、稲毛海岸ではまだまだで、一本の木で10輪程度が咲いているだけである。満開は4月になってからだろう。休眠打破の意味がよく分かった。

 

昨日は久しぶりに楽しいサッカーを見ることができた。前半に、家長の見事なシュート(左利きの選手が右足で綺麗なシュートを決めた)で1点先取してからしばらくは、アルゼンチンの試合を見ているようなワンタッチ・パスの連続で気持ちよく見ることができた。

 

昨日の試合に出場していたメンバーのうち、7人はA代表にも招集されており親善試合にも出場している。前回のアテネオリンピックの出場選手は大久保と阿部を除いてA代表がいなかったのとは対象的である。

 

ドイツW杯で日本は予選リーグで敗退したが、その敗因の一つはチーム構成にあったと私は思っている。2430歳という狭い世代だけで構成されていた(出場国の中でもっとも年齢の幅がなかった)ために、思考スタイルが似通ってしまい、逆境に打ち勝つ意外性が発揮できなかったと思う(オーストラリアとの試合で同点にされた瞬間に選手全員がひざに手を当て負けてしまったかのような表情が見られたのが典型)。

 

日韓W杯のトルシェはその点見事なチーム作りをしたと思う。彼は最初U-19というカテゴリーが代表と比べて2段階も下の世代の強化を図り、ワールド・ユースで準優勝という成果を上げ、さらにその世代が中心となってシドニーオリンピックでベスト8の成績をあげ(Best4になれた試合だったが)、そのままA代表の中心に仕立て上げアジアカップの優勝やW杯の一次リーグ突破という成績を収めている。
試合までの精神面まで含めたコンディショニングの巧みさといいメディアでは批判が多かったが、彼は名監督だったと私は思う。

 

一方でトルシェは、日韓大会のメンバーにベテランの中山や秋田を選んでおり、出場機会はほとんどなかったもののバックアップとして十分に役割を果たさせている。ジーコのやり方とは全く異なる手法である。
現在のA代表のオシムは積極的に若手を代表に召集し、チャンスがあればどんどん登用する姿勢を見せている。トルシェのやり方と通じるものがあり、昨日の試合でも、A代表にも召集された選手の活躍が目立った(特に家長、水野、水本の
3人)。

 

硬直的な代表選考だったジーコとは全く違うやり方だと思う。組織を活性化するための人事の妙はトルシェとオシムの選手選考と育成に見ることができると思う。

今月から、東京の私鉄やバスにパスモが導入され、スイカとも連動しているために使い勝手がうんと良くなった。改札機の中を通す場合に比べて、カードの出し入れの手間やスピードが速いために快適である。

パスモの難点は少し表示部分が薄く、引き落とし金額や残高が読みづらいことである。視力がやや弱いものにとっては、十分な確認ができない。スーパーのイオングループでも導入されているが、こちらは文字が小さくやっぱり読みにくい。高齢化時代を考えるともう少し読みやすい機種の開発が必要なのではないだろうか。

クレジット機能のついたスイカを利用しているが、残高が2000円以下になったときに、1万円が自動的にチャージされる設定をしている。JRの構内やスーパーなどでも利用できるため重宝している。

昨日、地下鉄の売店で夕刊紙の見出しを見ると、桑田の負傷が大きく取り上げられていた。地下鉄の売店ではまだスイカが利用できないため、乗り換えのJR八丁堀の売店で夕刊紙を買うことにした。

しかし、八丁堀の駅の売店は閉まっており、結局夕刊紙を買うことはできなかった。シャッターの上に、平日は16時からの営業と記されていた。シフトの問題と売上の関係で一時的に閑散時に見せを閉めるという措置を取ったものと見られる。

JR東日本では、積極的駅中ビジネスを展開する一方で効率を考えた施策を展開中である。キヨスクをコンビニスタイルの店舗に替えているのもその一つである。稲毛海岸の駅も早々とコンビニスタイルに切り替わったが、サービスの質は低下したように思う。

キヨスクの時代には新聞・雑誌やタバコを買う男の客が中心で、ベテランのおばさんがテキパキ捌いてくれて気持ちがよかった。コンビニスタイルになるとおばさんが一掃され、アルバイトに切り替わった。それでも新聞やタバコだけは従来のスタイルで外売り形式をラッシュ時には採っているが、タバコと新聞を買ってお札を出すと、電卓を用いて釣銭を出すなど歳をとって“いらち”が加速している自分には馴染めないものになってしまっている。

駅のコンビニの利用者はあきらかに以前に比べて女性の利用が増えていると思う。女性の後ろになるとレジが滞留し、“いらち”の私には余計そう感じるのかもしれないが。

JR東日本の合理主義は、スイカの導入などで便利になっている反面、一部のサービスの切捨てなどの不満が残る。

ところで、昨日初めて気がついたのだが、都営地下鉄五反田駅の身障者用トイレは、「だれでもトイレ」という表示があった。中々いいネーミングだと思うのだが、何時頃からこのように表示されていたのだろうか、自分の感度チェックのために調べてみようと思う。

週間ダイヤモンドの今週号は、リッツ・カールトンの「もてなしの心」の特集である。新聞広告を見ていると、ケース・スタディとしてS不動産の名前も見られた。どこかで聞いた名前だと思い早速買い求めた。

 

やっぱり自分がかって利用した不動産会社であり、CSを武器に短期間に業績を伸ばし、上場を果たした企業として取り上げられていた。
私が人形町に事務所を借りていたときに、途中から管理会社になったのがS不動産であった。一言でいうと、オーナー満足度は高いのだろうが、店子満足度は最悪の不動産会社であった。
3年ほどの間にオーナーが2度変わり、その都度ビルの名称が変更になった。転売を成功させてオーナーには利益が上がったと思われる。

一方で設備のトラブルが絶えず(天井のエアコンからバケツ
2杯の漏水があったり、39度を記録したときにエアコンがダウンして事務所に居ることができなくなったりした)、改善もされないままであり、記事とは全く違う印象を持っている。

 

あまり頭にきたので、担当者に私のCSの本を渡して、もっとCSを考えるべきだという話をしたことがある。その結果が、今回の記事につながっているのなら幸だが…

 

本論のリッツ・カールトンの分析であるが、論調としては従業員満足が決めてであるような書き方になっている。それを支えるクレドやエンパワーメントが繰り返し強調されている。
しかし、最も安い部屋でも
6万円を超える値段になっており、これで不満になるようならおしまいだと思う。高い買い物をしたときの満足感と同じようなものではないだろうか。

 

ところで、記事の中で一つ気になるデータがあった。顧客当たり売上高についてのデータである。顧客の満足を4つにわけ、各々の客単価を示しているデータで、記事によると大変満足している人は平均より客単価が23%高く、満足ではプラス7%、不満になるとマイナス1%、大変不満はマイナス13%となっているというものである。このデータは捏造だと断言できる。

 

この数値が事実だとすると、リッツ・カールトンの顧客は満足している人よりも不満の方が多いことになる。満足客の比率が多ければ、プラスの値が小さく、マイナスの値が大きくなるはずである。リッツ・カールトンの顧客は圧倒的に満足している人のほうが多いと思われるので、このデータはだれかがでっち上げたものだといえる。
 
S不動産の取り上げ方といい、このようないかがわしいデータを持ち出して、殊更に編集意図を強調した雑誌の姿勢は、最近問題になったテレビの報道姿勢と変わらないように思うのだがどうだろうか。



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