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今朝は雨模様で風もあり、非常に寒い。現在の気温は7度で、今日も外出には薄手のコートは欠かせないだろう。

専大北上高校は、コーチが西武の不適正な支出に関与したことで、野球部を解散するとしたことが大きなニュースとなっている。高野連が今回の問題で、除名処分にしようとしていたのを先手をうって廃部にしたものである。いきなり廃部を宣言したことで高野連にも戸惑いがあるようで、報道によると高野連は高校側の「再発防止策」を待って復帰を認め、夏の大会に参加させる途を残すという方針のようである。

何ともおかしな話である。除名をちらつかせながら、先手をうって廃部届けを提出されると狼狽すること、除名を考えながら夏の大会には参加させることを考えていたことなどである。例によって「落とし所」を考えた行動であるといわざるを得ない。

今回高野連が重い処分を考えていたのは、不正支出に関してコーチが関与していたことと同時に、野球では「特待生」を認めないという高野連の通達に対して、専大北上高校は30人もの「野球の特待生」を抱えているということが理由とされている。
野球以外の他の分野では「特待生」は当たり前のように存在するが、野球だけは認めないというのが高野連の意向である。

特権意識が芽生えること、過度なスカウト合戦が展開されることを懸念してのことである。そもそも高校野球は高校のスポーツ活動に対して一線を画している。高校総体として毎年夏と冬に各県持ち回りでチャンピオンを決める大会が催されているが、野球だけはこの中に加わっていない。サッカーですら入っているのにである。

新聞社の事業活動に大きくかかわっていながら、学校の事業活動には制約を加えるのは片手落ちではないだろうか。スポーツを志すものにとって頂点を極めるという欲求は必ず存在し、このことがスポーツの進歩をもたらしている。高校野球の隆盛が、MLBで活躍する多くの選手を生み出している土壌になっていることは否定できない。

行き過ぎにブレーキをかけることは必要だが、教条主義的な発想は避けるべきだと思う。いくら高野連が規制しても、「学業成績優秀な特待生」が野球部に入部するのを阻止できないのだから。そもそも野球は9人でやり、ベンチに入れるのは18人なのに、30人もの「特待生」が居るというのはどういうことなのだろう…

こんなことを考えていたら、今朝のNHKのニュース番組で京都市の高さ規制への反対運動が取り上げられていた。マンション居住者が、高さ制限を受けることで建替えの際に制約を受け、不動産価値が下がるというのが反対理由とされている。
制限があることで「希少性」は高まり、不動産としての価値は上がると思うのだが。

この数日制約に関することばかり書いているような気がするが、まだまだ取り上げることがありそうだ。
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今朝は昨日までとはうってかわって寒い朝になっている。外出時の服装に迷わされる。

今週は気合を入れなければならない週なので、気分一新のために昨日は散発をした。ふだん利用しているのは、近くのショッピングセンターにある席数が10もある大型店である。個人経営が圧倒的に多い理髪店としては、10席もあると超の付く大型店であろう。

20年前にこの地に引っ越してきた時に感じたことの一つは、当たり前のように身近にあるものの内、ないものがあるということである。代表例が理髪店にお寺、夏のセミの声である。

我が家は広大な埋立地のど真ん中に立地している。まわりは中高層住宅ばかりで、戸建住宅はほんのわずかしかない。埋立地の大半は公団をはじめとした大手のディベロッパーに売却され、個人に供給されたのはほんの僅かしかないのである。戸建のないエリアだから、商店街は大規模施設の中にしかなく路面店はない。

理髪店は平日と休日では客数に大きな開きがあり、人を雇っての経営が難しいため家族経営が多いので、土地を買ってまでする事業ではなく、埋立地には少なくなっていると思われる。我が家の周辺にはショッピングセンターの中の大型店と、歩いて数分の複合ビルの中と、10数分の距離にある公団のショッピングセンターの中にある店だけである。

人口密度の極めて高いエリアであるため、当然これだけの供給では足りず、2時間待ちが当たり前のようになっており、散髪するのにも覚悟を決めてかかる必要があった。“いらち”で待つことが嫌いな私にとって、散発はさっぱりすることよりも苦行であった。

ところが最近では、休日でもほとんど待たずに散発することができ、ストレスを感じることはなくなっている。この間に何軒か駅側の複合ビルの中に新しい理髪店が誕生したが、いつの間にか閉店しており、現在も続いているのは先にあげた3店と駅前の10分間千円の店だけである。

店はほとんど増えず、新しいマンションがドンドン竣工し人口が増えているのに、混雑が緩和されてきたのは腑に落ちないことである。頻度が減ったのか、他の地域(例えば出先で)を利用しているのか、高齢化で平日に客が移動したのか、自宅でやるようになったのか、どれもよくわからない。私自身の行動を見ると、頻度が減ったような気がするし、通勤していた折には出先での利用が増えたような気がするのだが。

分かっているようなことで案外分かっていないことがあるもので、大手企業が存在せずマーケティングとはほとんど無縁な散発などはその典型かもしれない。だれか散発の行動学について調査をしないものだろうか、ぜひ結果を見てみたいと思うのだが。
今日のサンスポや日刊スポーツの1面はやっぱり斉藤投手が大見出しとなっていた。サンスポは2~3面も全て斉藤一色で、プロ野球やMLBは追いやられてしまっている。

昨日のブログで取り上げた「斎藤佑樹くんと日本人」(文春新書 中野 翠著)を早速買い求め、字の大きい新書なので夕べ2時間ほどで読み終えた。著者の中野 翠さんについて全く知らなかったが、女房は知っていたようで辛口のエッセイを沢山書いている人のようだ。面白い着想で斎藤投手を分析しており、なるほどなと思わせる箇所が一杯ある。

最近の若い人の風潮の一つに「座持ち」がある。場の空気や間を大事にし、人との関係を損なわないように振舞うことである。我が家の次男坊は人付き合いが苦手でニート化している。その彼でさえ、私や長男に対して「場の空気を読めよ」という発言を良くする。これが私には理解できないことの一つである。

「座持ち」をあらわす言葉が本書によれば色々あるようで、「ツッコミ」や「ボケをかます」「ノリがよい」などの言葉はなんとなく分かるのだが、「ドン引き」や「乗りツッコミ」という言葉は私には意味不明で、娘に聞いてようやく分かった次第である。

斎藤投手の態度はこうした風潮とは全く無縁であり、この点が団塊世代のおじさんやおばさんに支持されているようである。この本は現代の風潮に中々なじめない人にとって、様々なことを気づかせてくれる本だと思う。

ところで、新聞広告に市川雷蔵を思わせるというくだりがあったが、本書の中に眠り凶四郎の雷蔵と斎藤の写真がならべてあり、確かにそっくりである。男ではこんなことを思いもしないだろう。女性の目線の鋭さに驚かされた。皆さんもぜひ本屋で立ち読みして確認してください。
今日は5月下旬の気候だそうで、半袖で過ごせる感じである。陽気に誘われてあちこち歩いている間に午後になってしまった。

私の使っているパソコンのインターネットのポータルサイトは「日刊スポーツ」にしてある。インターネットに接続すると、「佑ちゃん!6回1安打8K零封]の見出しが躍っていた。今日から開幕した6大学のオープニングゲームにいきなり斉藤投手がデビューしたのである。今日はヤンキースの井川も登場したにもかかわらず、“佑ちゃん”がトップ記事になったのである。

事前のマスコミの記事では2戦目の先発の有力候補とされており、記念すべきイベントはかかさずチェックしている者としては、不覚をとった感じである。今年から日テレが放映権を獲得し、今日も放送されたようであり、天気が悪ければ、自宅に居たものをと残念な思いがする。

斉藤の人気はこれまでの甲子園のアイドルの定岡や荒木大輔とはちょっと違う質のものだと思う。
インタビューに応じる態度が真面目さを感じさせ、話し方や話す内容がそこらの大人以上にしっかりとしている。こんな息子がいたらと中高年の心をくすぐる存在である。一言で表現するなら「爽やか」という言葉がぴったり来る。アマチュアスポーツの清々しさである。

戦前のプロ野球の黎明期には、大学野球の人気が大きく上回っていたし、戦後も30年代の早慶6連戦(テレビで安藤の6連投に感動していたのを思い出す)や、40年代の田淵や江川などスター選手の続出など華があったが、バブル期以降はさっぱり盛り上がらなくなってしまった。

アマチュアスポーツの魅力は、仕事や学業などの「制約」を乗り越えて力を発揮できる点にある(昨日のブログとつながるところがある)。
かってのラグビーの人気も、アマチュアスポーツの真髄を感じさせてくれたことが魅力になっていたと思う。サントリーと仕事をしたことがあるが、社内で絆創膏を顔に貼り付けたがっしりとした体格の人を何度も見かけており、仕事とスポーツを両立されていることをうかがわせる光景であった。

今年ラグビーのワールドカップがフランスを中心に開催され、日本も(ラグビーの代表は「ジャパン」と表記したほうがしっくり来るが)出場するがほとんどメディアで取り上げられることはない。ラグビー人気の最盛期は新日鉄釜石が7連覇をしたときであり、その後の神戸製鋼の7連覇の時はそれほどの盛り上がりは感じなかった。
釜石は高卒の現場の臭いがする選手が多数おり、大学のスター選手を集めた神戸製鋼とは一線を画していたと思う。

神戸製鋼に対抗するため外国人選手を導入し、各チームのレベルが向上したことがかえってラグビーの魅力をなくしてしまったのではないかと思う。ラグビーのワールドカップは87年と比較的最近に創設されている。
これはラグビーは消耗の激しいスポーツで連戦が利かないため、世界大会を開催すると1ヶ月以上の長丁場にならざるを得ず、その間の休業補償をどうするかが問題となっていたためである。プロ化により、ようやくワールドカップの開催にこぎつけたのである。

「制約」を取り払って最高水準を楽しむか、「制約」の中で工夫を楽しむかということを考える必要がある。お正月の恒例スポーツとして、元日の「実業団駅伝」、2~3日の「箱根駅伝」がある。レベルは実業団の方が圧倒的に上だが、注目度は「箱根駅伝」の大差勝ちである。強いだけではだめな典型例だろう。

こんなことを考えていたら、新聞の広告で「斉藤佑樹くんと日本人」という本が文春新書から出版されているというのが眼に入った。早速読んでみることにしよう。


昨日は朝から仕事に出かけたために、ブログを書くことができなかった。朝一に書く習慣になってしまったので、午後からだと中々取り組みにくくなっている。つつじの花が咲き出している。例年連休の辺りが満開なので、桜と同様少し早いような気がする。

私の好きなテレビ番組の一つに、火曜日の10時から放映されている「プロフェッショナル 仕事の流儀」がある。今週は建築家の隈 研吾氏を取り上げていた。当初はポストモダン建築を指向していたが、最近では竹を素材としたものや、格子を多用したデザインなど自然との調和を考えたデザインで売り出し中のデザイナーである。

この番組で感じたことは2つある。一つは「創造は制約の中から生まれる」という言葉である。制約条件が色々ある中で、これを克服するために色々な工夫が創造につながるもので、制約のない自由の中からは創造的な活動が生まれにくいというものである。全く同感で、制約は創造の母とさえ言える。

もう一つは、観察とは2度見ることが必要ということである。番組の中で、建築中の観光立ち寄り施設の現場での様子が紹介されていた。隈氏が現場を訪問し、周りを観察した結果急遽設計変更を指示するというものであった。
現場は旧街道を跨ぐように施工されており、遮断されてしまう旧街道を繋ぐために、地下道を設けるようにしたのである。

専門家なのに、最初に現場を訪れたときに気がつかなかったのかという素朴な疑問が沸いたが、自分のことについて考えてみると“思い当る節”があることに気がついた。

10数年前に、CSのツアーでテキサス州のダラスにある自動車ディーラーの、スウエル社を2年連続で見学したことがある。最初に見たときは圧倒されて凄いディーラーであることしか印象に残らなかったが、2年目は冷静に見ることができ色々な発見ができた。

直感的な第一印象も重要であるが、直感にとらわれすぎて見落とすことが良くある。2度見ることで観察の精度が上がるものと思う。何回も見すぎると“見慣れ”の弊害も出てくるだろう。これからは、「2度見」を原則としよう。


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