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やっぱり飛ぶボールに変更されていた。今シーズンに入ってホームランが急増していることは誰の目にも明らかで、疑惑の目はボールの変更に注がれていた。しかし、日本野球機構は「統一球の仕様は変更していない」とコメントしており、NHKなどは「打者の対応力の向上」などという、怪しげな解説でお茶を濁すありさまだった。ところが昨日選手会との協議の中で、日本野球機構が今シーズンからボールの仕様を変更したことを初めて認めた。

事務局長の説明では、「昨年までのボールには、基準より低いものが混ざっていたが、今シーズンからは“全てのボール”が基準を上回るようにメーカーを指導した」というわかりにくいものである。基準は変えていないので「統一球の仕様は変更していない」という、これまでのコメントの正当性を示したかったがための、回りくどい説明になったのだろう。

なぜこんな回りくどい説明をしたのか考えてみた。私の結論は、選手会側からの“脅し”だったと思う。嶋選手会長のインタビューの中に、「条件が変わっている」という文言が出てくる。現在の選手との契約は、成績に応じたボーナス規定が事細かく決められており、条件の変化を認めると契約が無効になると判断したためだと思う。

契約無効になると、公表してこなかった野球機構の責任になるため、“基準は変えていない”ということで責任問題から逃れようとしたのではないだろうか。

公表しなかったことへの言い逃れとして、「混乱を招くことを恐れた」というコメントや、ミズノに対するコメントの支持などに象徴されるように、減点主義的人事制度の尻尾を引きずったような行動様式がまかり通っている組織だと思う。転勤する役人の挨拶での決まり文句である、「つつがなく勤務を終えられて…」というのが、野球機構の幹部職員にも当てはまるのだろう。

江戸時代から刷り込まれた、日本人の組織風土は一朝一夕には変えられないということか。




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BSの海外ニュースを見ていると、グローバル企業の租税回避についての話題が多く取り上げられている。アップルやスターバックスコーヒーなどがやり玉に挙げられているのだが、ここで度々登場するのが、“タックス・ヘイブン”という言葉である。実は、私は先日まで“タックス・ヘブン”だとばかり思い込んでいた。

この誤りを気付かせてくれたのは、「経済ジェノサイド -フリードマンと世界経済の半世紀ー」(中山智香子著 平凡社新書)だった。合法的に税金逃れができるわけだから、「税金天国」だと一人合点していたのだが、heaven(天国)ではなくhaven(回避場所)とのことである。

フランス語では、paradis fiscauxと呼び、直訳すれば「財政のパラダイス」という意味なので、「税金天国」という私の理解でも、別段大きな誤りでもないような気がするのだが、文章にする時は無知をさらけ出すようで注意をする必要がある。

私にはこの手の早とちり、思い込みによるミスが多いと思う。このブログの記事でも、以前TPPのことをTTPと書いておしかりを受けたことがあるし、野球用語の“補殺”を誤って“捕殺”と書いてしまい誤りの指摘を受けたことがある。幸いにしてこれまで文章でタックス・ヘイブンの事を取り上げた記憶がなく、おしかりを受けることはなかった。

Googleでタックス・ヘブンと入力して調べてみた。ヘブンとしたにもかかわらず、タックス・ヘイブンという言葉での登場の方が多いのだが、「タックス・ヘブン」という言葉も随分登場してくる。私と同じ、税金天国という理解の仕方をしている人が多いのに少しは安心(?)したのだが…
沖縄の梅雨明けが、本土の梅雨入りのタイミングになるのが例年だが、今年は5月末にフライング気味に「梅雨入り宣言」が出た後に、南西諸島で雨が降り続き、「空梅雨」のニュースが流れるほどである。いつもの年なら、今時分が梅雨入りの時期であり、空梅雨というのは騒ぎすぎるような気がする。

5月末の宣言以降、暑い日が続いているが湿度が低いのが過ごしやすくしている。このままの気候が続いてほしいのだが、今週の後半からはジメジメがやってきそうだ。

株価の高騰で浮かれていた政権も、先月末からの株価の急落でアベノミクスの化けの皮がはがれそうになって、少し慌てているようで、昨日の安倍首相の都内の遊説では「やり続ける」ことを懸命に訴えているようだ。

ここにきてはっきりしたことの一つは、株式市場というのは経済の実態や景気動向を反映したものではなく、博打場に化したということだ。アメリカの景気動向がプラスに転じれば下がり、マイナスになれば上向くということ、経営破たんをしている東京電力の株が大量に取引されていることなどがそれを証明していると思う。

リーマンショックで“強欲資本主義”に懲りたはずなのだが、金融緩和でマネーをジャブジャブにするというのは、政策当局がバブルを演出しているとしか思えない。アメリカでは金融業界で相当のGDPを稼ぎ出しているのではないだろうか、こんな実態の伴わない“好況”はすぐにおかしくなりそうな気がする。

リベラルとコンサバティブという政治概念があるが、それにくっつく形で経済学の世界では、統制派(ケインジアンなどをこう呼ぶのかは疑問だが)と自由主義の対立がある。振り子やシーソーのように、あっちに振れたりこっちに振れたりしているのだが、時代とともに振れ幅が大きくなりすぎ、シーソーに乗っかっている国民は船酔いをしているような気がする。経済学者に私は不信感を募らせている。

ノーベル賞の一つに経済学賞があるのだが、100年前のノーベル賞の創設期からあるのではなく、スウェーデン国立銀行が働きかけて、1968年に創設された賞である。ノーベル賞の受賞者が受け取る賞金は非課税なのだが、経済学賞の受賞者には税金がかかるというように日本の税法ではなっている。これは他の賞はノーベル財団が資金を出しているが、経済学賞はスウェーデン国立銀行が出しているためらしい。

幸か不幸か、日本人の経済学賞受賞者はいないので、税金を納めた人はいないが、税務当局の対応一つとってもノーベル経済学賞にはいかがわしさを感じる。さらに創設された時期や、創設者、初期の受賞者の顔ぶれなどから勘案すると、新自由主義を後押しするためにできたのかと勘繰りたくなってしまう。

少し前まで、日経の「経済教室」の面には、「経済物理学」なるものが連載され、この1週間は「神経経済学」が特集されている。いずれも伝統的な経済学とは異なり、異分野の知見を経済学に応用しようとするものであり、本家の経済学が強欲資本主義の走狗になり下がっていることへの警鐘なのだろうか。

陸上の日本選手権が始まった。今年は調布市の味の素スタジアムでの開催である。サッカーの東京FCのホームグラウンドとして有名なのだが、陸上の大きな試合を行うのはおそらく初めてだと思う。今週調布に出かけた時に、駅前の広場に今年の国体の立て看板が出ていたのが目に付いた。「東京国体」のメイン会場が味の素スタジアムになるとのことで、大会運営の予行演習的意味もあっての日本選手権の開催なのだろう。

注目の男子100mの予選が昨日行われた。私の記憶では、予選→準決勝→決勝という三段階方式がこれまでの流れだったと思うのだが、今回は予選→決勝という二段階方式に替わった(多分今年からだと思うのだが自信はない)。三段階方式なら予選で調子を確認し、準決勝から調子を上げるというのがこれまでの有力選手の戦い方だったと思う。

しかし、二段階方式になると予選とはいっても、決勝進出が一発勝負で決まる準決勝のようなものである。これまでのようにだんだん調子を上げるというわけにはいかず、5連覇がかかっていた江里口が、予選1組の6位で決勝に進むことができなかった。たしか10秒4ちょっとの記録だったと思うが、これで3位+2人にのこれなかったのである。

10秒4というタイムは、これまでなら優勝は無理でも3位入賞には十分な記録で、決勝には余裕残しで進めるタイムだった。あわよくば5連覇を考えていただろう江里口にはショックだったのではないだろうか。それだけ急激にレベルアップしたのだと思う。

高校生が10秒01という記録を出したことが、いい刺激を与えたように思う。一番刺激を受けたのがロンドンでも準決勝に進んだ山県で、予選でもただ一人10秒1台ぼ記録を出しており、おそらく高校生を倒して優勝するのではないだろうか。全体のレベルアップは、リレーチームを編成するのに有利であり、個人種目ではとてもボルトには及ばないが、巧緻性が発揮できるリレーは北京の時のように楽しみができるのではないだろうか。

昨日のレースで印象的だったのが、女子10000mである。ロンドンで9位に入った新谷が優勝したのだが、中盤から独走状態になり、ゴールへのラストスパートで2位の選手を抜き去り周回遅れにしてしまった。日本選手権で2位を周回遅れにしたのは、女子長距離の草創期の増田明美以来のことだそうだ。

新谷のタイムは素晴らしかったが、2位以下の選手がレベルが低かったせいだと思う。女子のトラックでの長距離は、90年代には世界選手権でのメダル獲得や、オリンピックの入賞などがあり全盛期をむかえていたと思う。そのレベルの高さが、マラソンでの2回連続の金メダルにつながったのだろう。

それが、2000年代に入って何人かは強い選手が登場するのだが、それに続く選手との差が大きくなり、長距離選手全体のレベルダウンが、北京以降のマラソンでの不振ということにつながってきたのだと思う。男子短距離とは真逆の現象である。

昨日は、BSでの録画中継だったが、今日はライブ中継が見られる。夕方はどこにも出かけないつもりだ。
このところ株価は、大きく下げて少し戻すの繰り返しで、「稲光」のような軌跡を描きながら、あっという間に日経平均は3000円も下げてしまった。昨日はニューヨークの株価も大きく下がったので、恒例の少し戻してという動きがなく、一気に12000円台にまで突入するかもしれない。

しかも昨日の下げは、「成長戦略」の発表があった直後に生じたものであり、株価の上昇が文字通り安倍内閣の“株をあげて”、支持率の高止まりになっていただけに、参議員選挙に向けて暗雲が立ち込めてきたと感じる自民党議員も少なくないと思う。

成長戦略の目玉の一つは、薬のネット販売の解禁である。規制緩和は、お金をかけずに産業の活性化を図れることもあり、いつの時代の成長戦略にも欠かせないメニューとなっている。しかし、こいつが曲者で、規制緩和が結果的に返って成長を妨げることもある。

小泉政権の時にタクシーの規制緩和が行われたのだが、台数が増えすぎて一台当たりの売り上げが大きく落ち込み、タクシー料金の値上げになってしまった。供給が増えれば価格が下がるのが「市場の原理」だと思うのだが、真逆の事が起きてしまったわけだ。

タクシーの規制緩和は、消費者、タクシー会社、タクシードライバーには何の利益ももたらさなかった(むしろ不利益をもたらした)のだが、車を生産するメーカーと、リース会社の懐を潤すだけになってしまった。政府の委員としてこの旗振り役をしたのが、オリックスの社長だった。

今回の薬の規制緩和に、楽天の社長がいるというのも同じ構図のように見える。薬局というのは“街のインフラ”の一つだと思う。少し具合が悪い時に、医者にかかるのも億劫なので薬局に立ち寄り、薬剤師にちょっと相談して薬を選んでもらうということを何度かしたことがある。

一般医薬品に限定されるとはいえ、薬のネット販売が増えることで、一つ一つの薬局にとっては売り上げ減少につながり、淘汰される薬局が出てくると思う。規制の壁に守られて、経営努力の足りないところは退場するのが当然という理屈も一理あるのだが、街のインフラという観点からすると、薬局が淘汰されるのも問題のように思う。大型小売店の出店規制のタガが外れたことにより中心市街地がさびれ、コミュニティの崩壊が進んだのと同じような気がするのだ。

薬の販売の規制緩和で、消費者には何の利益もなく楽天だけがニコニコするようなことになりそうで、気がかりなことだ。

三本の矢の教えは、たやすく折れる一本の矢も、三本重ねると折ることができないことを三人の息子に体験させ、兄弟力を合わせることの大事さを教えた毛利元就の故事である。成長戦略という最終目標に対して、それを実現するための金融政策や、財政政策があるのだと思う。しかし、安倍政権の三本の矢は成長戦略(メニューを並べただけで戦略とは呼べない代物だと思うのだが)の前に、金融政策や財政政策が登場するなど、とても三本の矢が束になっているとは思えない。

一つ一つバラバラで、簡単に折れそうな気がしてならないのだが…


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