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自民党の後継総裁選びは、前回は出馬を見送った福田元官房長官が、出馬を匂わすと雪崩を打ったように、派閥の領袖たちが福田支持を表明し、ほぼ勝負ありの感じである。昨年の総裁選挙で、安倍支持が一挙に膨れ上がり、大勝した時と同じような構図になりつつある。

昨日の昼までは麻生幹事長が本命と目されていたが、一気に情勢が変わってしまった。小選挙区制度では1選挙区に1人の公認しか得られないため、反主流的行動がとり難いという事が背景にあるのだろう。

安倍体制で冷遇された感じのあった、古賀派や谷垣派が先頭切って福田支持を打ち出したのが象徴的である。勝ち馬に乗るという風潮は政治の世界だけでなく、色んな分野で表れている。

出版やDVDの販売数量は低下を続けているのだが、ヒット商品は過去最高を更新するような大ヒットとなるケースが多い。映画の世界でも同様のことが見られる。これらはすべて勝ち馬に乗るという意識につながっているのではないだろうか。

成熟社会においては、選択の自由度が高まり多様化を求めるのが自然な流れのはずである。しかし、実際には集中化の方向に向かって流れている。これは自分の選択眼(目利き)に自信がないために生じることなのだろうか。何かおかしい気がする。

密室での総裁選出は行わないというお題目を唱えているが、実際には派閥の合従連衡で政権をたらい回ししようとしている。90年代以前の自民党を見ているようだ。

国民の期待とかけ離れた政権選択のプロセスである。勝ち馬に乗って負け組みになるという過ちを2度続けてやることになるのではないだろうか。懲りない人たちだ。

それにしても、福田VS麻生どちらが勝つにしても、元首相の2世、3世だ。小泉、安倍も政治家を親父に持っている。政治家という言葉に家という文字がついている。家業という意味なのだろうか。

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朝5時の気温は20度、昨日の午後の気温が21度であるからほとんど変わっていない。Tシャツ、半ズボンでは耐えられない。季節の急変に政治の世界も急変した。

安倍首相の辞任表明で、NHKの番組はほとんど飛ばされるなど、強烈な台風がやってきた時のようである。一番無責任な辞め方であり、1ヶ月遅かったと思う。これは自民党にとっても痛手で、郵政選挙の大勝が終わりの始まりで、参議院選挙の大敗、時期衆議院選挙と自民党の崩壊が続くのではないだろうか。

去年の総裁選挙で圧勝したが、今年の参議院選挙での惨敗の現状を見ると、自民党と国民の間のギャップがいかに大きいかを語っていると思う。参議院の選挙結果をベースに試算すると、次回の衆議院選挙で自民党は200を割り込みそうで、公明党を加えても過半数には到底及ばない。

先行きを悲観しての突然の辞任なのだが、おかしな兆候はあった。例えば、一昨日来年度予算の概算要求がまとめられたが、概算要求としてこれまでで2番目の規模に達していた。

小泉構造改革で財政改革が推し進められ、公共事業の大幅な削減や福祉の見直しなど小さな政府に向けての舵取りがなされてきたが、概算要求の段階でこれまでの削減を補うかのような行動であり、官庁では安倍路線をなめきったようにも見えたのである。

これに抗する力も気力も萎えてしまったのかという印象を持った矢先の辞任表明であった。麻生幹事長に事前に辞意を漏らしたときに「求心力」がなくなったということを理由にしていたそうである。

後継総裁を選ぶ選挙が来週にも実施される。一昔前なら派閥のボス同士の談合で緊急避難的な総裁の決定をしていたのだが、森首相で懲りたのか今回は選挙での決着になりそうである。

有力派閥にはなり手がなく、なりたい人は少数派閥であり、帰趨を読むのは難しい。昨年の総裁選挙でも本命の安倍候補の対抗馬は、いずれも少数派閥の麻生氏と谷垣氏であった。有力派閥のボス同士のガチンコ対決は福田VS田中、大平以来ないのではないだろうか。

この理由は派閥の中で頭角を現しだすと、足を引っ張る勢力も台頭し、その結果全体を抑えられないと分派という「遠心力」が働くのであろう。負け方の見事さが次第に求心力につながり、小泉長期政権という例もある。

意欲満々の少数派閥と、無気力の塊の大派閥という構図は遠心力と求心力の関係になるのではないか。人類に共通しているのか、日本人の特性なのか、はたまた自民党固有の問題なのか。

今のところNo2の麻生幹事長の昇格、安定感がありリリーフにぴったりな福田元官房長官か、小泉の再登板あたりが候補になるが、積極的に火事場の栗を拾いに行くものはなく、結局麻生幹事長に落ち着くのではないだろうか。

麻生氏の弱点は失言癖があり、墓穴を掘る可能性があることである。いずれにしても誰が就任しても短命内閣であり、90年代に戻って首相は1年交代というスタイルが再来するかもしれない。

今朝は結構強い雨が降っており、ひんやりとした空気が気持ちよい。西日本ではまだまだ30度を超える日が続きそうだが、東日本ではもう暑さが戻ってくることはないだろう。

国際柔道連盟の総会で、ロス五輪のチャンピオン山下泰裕が理事選挙で落選した。国際連盟の勢力争いで、ヨーロッパを地盤とする勢力が主流派を占めた結果の落選である。

この背景には、スポーツビジネスの進展があるものと思われる。その兆候は95年の会長選挙に表れ、嘉納全柔連会長が韓国の朴前国際柔道連盟会長に破れ、その直後に日本が猛反対していたカラー柔道着が採用されるようになった。テレビ放映を意識したものである。

今回も直ちに、「グランプリ大会」を8カ国で開催すること、世界選手権をこれまでの隔年実施から毎年に変更し、立候補もしていないのに2010年に東京での世界選手権が決まるなどのおまけまでついている。

オリンピックが金のなる木ということに気づかされたのは84年のロス五輪であり、それ以降五輪の肥大化が進んだ。さらに90年代にはテレビ放映権料を背景にサッカーがヨーロッパでビジネスとして大きく成長し、その頂点のワールド・カップは五輪を凌ぐ収益を上げるまでになっている。

アメリカでは4大スポーツはもとより、タイガー・ウッヅというスーパースターの出現もあってゴルフなども隆盛を極め、スポーツ興行市場全体で4兆円の市場規模に達していると、昨日の日経新聞のコラムにソフトバンクの取締役で、江戸川大学の教授でもある小林至氏が記していた。

スポーツを運動としか捉えず、興行ビジネスということに無頓着な執行部にがまんならなかった新会長のマリアス・ビゼール氏が支持を得たのは当然の帰結だと思う。

ローマの時代から、スポーツは興行として大衆の娯楽の一つとして成立していた、小林教授によると日本のスポーツ興行ビジネスの市場規模はせいぜい3000億円ということである。日本の市場規模はアメリカの半分というのがモノサシになるのだが、スポーツ興行では1/10以下である。

遅れているだけに、日本ではスポーツのマーケティングには色々チャンスがありそうである。私が20代から30代であったなら、まちがいなくこの分野のコンサルタントを志したと思う。少し生まれるのが早すぎたようである。

昨日介護保険のことについて触れたが、夜のNHKスペシャルではコムスンの撤退の影響について取り上げられていた。番組によると、コムスンしか行っていなかった僻地や夜間の訪問介護についての影響が、特に大きいようである。

コムスンが僻地や夜間など他社がやりたがらない分野にも積極的に対応したのは、No1の地位を確保するためで、規模のメリットを追及することと、1番ということでの時価総額を高めるという戦略のためである。

コムスンの事業は県単位で他の業者に譲り渡されるが、僻地や夜間での訪問介護が続けられるか疑問視されている。山間部で片道30分かけて介護に訪問したとしても、現在の制度では往復の時間はカウントされないため、ただでさえ減額が続いている介護報酬の制度では、やがては切り捨てられるのではないだろうか。

もう一つ気になるコムスン撤退の余波は、制裁におびえサービスを躊躇する業者の姿である。コムスンが撤退せざるを得なかったのは、厳しい行政処分の結果である。

増大し続ける介護費用について、行政側は抑制化を進めようとしている。例えば介護は当初立てられたケアプランに添って行うことが義務付けられているが、対象者の症状は日々変化しており、変化に即応した活動をすれば法令違反ということになるという。

その場合、不正請求ということになり、請求額の返還はもとより、場合によっては行政処分ということになる。規模の小さな業者やNPOにとっては致命傷にもなりかねない。

生身の人間が対象の事業であり、プランどおり事が運ぶ方が珍しく、臨機応変の現場での対応が求められるのであるが、制裁の恐怖に怯えてままならないであろう。これは制裁する側の「行政判断」の基準が明確でないためである。不服申請をしても行政側の判断には変わりなく、第三者機関が中立な立場で裁定するような方法が必要となるのではないだろうか。

昨日のNHKの取り上げ方は問題点を鋭く抉り出しており、年金問題と並んで政治家にとって重要テーマとなるのではないかと思う。なぜなら、人間や社会をどう捉えるかがベースとなり、アイデアを出し知恵を絞らなければならないため、いわば「政治力」の実力テストのようなものだからである。

追伸
時化後の荒食いは日曜だと予想したのだが、1日ずれて月曜だった。南房総では6Kgの見事なシマアジがあがっていた。


最近気になることの一つが、介護保険制度の瓦解である。少子高齢化の進展により影響を受けるのは年金制度だけでなく、社会福祉制度全般に影響をもたらすのである。

文京区立の特別養護老人ホーム「くすのきの郷」が、東京都から事業者指定の取り消しを受けた。天皇陛下も視察に訪れたことのあるCSの高さに定評のある施設だが、ボランティアとして受け入れたフィリピン人の女性を職員と偽って夜勤に組み入れ介護保険を不正に受け取ったというのが理由である。

その背景には、介護報酬の少なさによる慢性的な人出不足がある。介護報酬は公定価格であり、しかも年々その金額は減少傾向にある。介護の仕事に従事して食べて行くのは容易なことではなく、その結果なり手が少なくなっているのが人出不足の要因である。

夜勤の人数を一人増員するのは、一人増やすだけでは解決しない。3日で1日担当という制度になるために、3人の増員が必要なのである。職員へのなり手が少ない中での増員は、事業者にとっては極めて厳しいものとなっている。このままでは、人出不足のために施設を閉鎖せざるを得ない事業者がドンドン出てくるのではないだろうか。

介護保険制度が導入されたのは2000年からだが、度々見直しが行われ、介護認定の基準が厳しくなるとともに介護報酬の切り下げが行われてきた。増大する介護費用を介護保険料で賄うためにどうしてもこのような姿にならざるを得ないのだろう。

少子高齢化のもとに、国はアメリカ型の「小さな政府」を目指している。大きな政府の元凶である社会福祉を切り詰めてゆくというのが基本政策なのであろう。年金や健康保険なども同じ範疇の問題である。

「国家のために国民がある」のか、「国民のために国家がある」のかの違いが福祉政策を考える時のベースにあると思う。少子高齢化と人口減少社会が避けて通れない今、どちらを選択すべきなのだろうか。微妙な問題であり、もっと活発な議論があってもよいと思うのだが。


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