社長のブログです
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オバマ大統領は、毎週国民向けに演説をするという公約をし、昨日その第1回目を行ったようである。国民に語り掛けるのが政治家、特にリーダーの役割であり、演説が得意な政治家には大きなアドバンテージになる。ますます彼我の差が大きくなり、羨ましく思う人が多いのではないだろうか。
さて、昨日の続きのサービス産業の育成について考えて見たいと思う。まず、「サービス」とは何かについて考える必要がある。英語の辞書では、「奉仕」という言葉が意味として載っている。語源を辿ると、ラテン語では「奴隷」を意味する言葉になっている。 塩野七生の「ローマ亡き後の地中海世界」では、中世に跋扈したイスラムの海賊は、財宝を奪うだけでなくキリスト教徒を拉致し奴隷とすることがビジネスであったことが記されている。奴隷が主人に奉仕することが期待されていたのだ。 現在では、サービスとは人に対するもので、個人だけでなく法「人」という人も対象になっている。 サービスの内容だが、大きく2つに分類できると思う。一つは、楽をするということである。メイドは家事を代行するものであり、その分主婦の負担は軽減する。その延長上には、専門技術を持った人が代行することにより、コストダウンが図れるというものがある。法人サービスはまさにここにビジネスのツボがあり、専門性のない派遣は単なる口入屋に過ぎないと思う。 もう一つは、人々に楽しみを与えることである。演劇やスポーツもこの範疇に入り、人々に癒しや共感をもたらすものである。ローマの時代から、皇帝は競技場を作り人々に娯楽を提供していた。 社会が成熟化してくると、単に面白いだけでなく、知的好奇心を満たすものが尊ばれるようになってくる。昨日のブログで論じた漢検などもその代表である。バブル期以前の観光旅行はドンチャン騒ぎで憂さを晴らすというものが多かったが、大人の時代になってドンチャン騒ぎには眼を向けられず、宴会主体の温泉旅館が衰退しているのもこうした社会背景を見つめていなかったためだと思う。 “楽”という漢字がどちらにも含まれることと、専門性と知的好奇心の充足の3つがサービス産業活性化のキーワードだと思う。まだまだ話が続くのだが、後日に稿を改める。 PR
今朝は久し振りに寝坊をして、10時までグッスリ。おかげで、ブログの更新が遅れてしまった。
漢字検定を主催している団体が巨額の利益を上げていることが問題視されている。利益獲得を目指す必要のない公益法人にしては利益が大きすぎ、主催者の関連企業への取引も不明朗な点があり、監督官庁の文部科学省が立ち入り検査をするということになった。 夕刊フジの記事によると、昨年11月にgooが行った「取ってみたいと思う資格」のアンケートで、漢検はTOEICに次いで2位になっており、07年の受験者は270万人に達しているそうである。 270万人も受験者があれば、“利益が上がりすぎる”のも当然のことである。しかし、いい加減な検定でなく、10級から1級まできめ細かく設定し、チャレンジ意欲を持たせることにより、“権威”が自然発生したことが、270万人もの受験者を引き寄せているのだと思う。現在の検定ブームを作った功績も忘れてはならない。 漢検が不正を働いているかのような報道姿勢はどうかと思う。メディアは魔女狩りが大好きだが、公権力の指摘する“悪い奴”に乗っかるのはやってはならないことではないだろうか。メディアは何で漢検が“儲けすぎ”てしまったのかを報じる必要がある。 漢検には知的好奇心を惹き付ける魅力があると思う。老いも若きも同じ土俵で勝負できるのももう一つの魅力である。成熟化した社会を象徴するような出来事と言ってよい。 日本経済の90年代以降の停滞は、「サービス産業」を育成するための方策が見当たらず、サービス産業の生産性向上が図れなかったことが最大の要因だと私は見ている。 漢検を主宰する「財団法人日本漢字能力検定協会」が“儲けすぎてしまった”ことに、サービス産業の生産性向上のヒントがあるような気がする。漢検たたきをすることによってその芽を摘んでしまうという危惧がある。漢検の儲けすぎから学ぶべきことについては、今日1日もう少し考えを整理して明日のブログに掲載することにしたい。
6時の気温が8度である。昨日の最高気温が9度だったから、夜中にむしろ気温があがったかもしれない。天気予報では日中は15度を超えるそうなのだが、夜には今年一番の寒気がやってくるという。
定額給付金で一時ほっとしても、消費税の増税がちらついているのと同じような景色だ。今夜は通夜に出かける予定なのだが、気温の揺さぶりに気を使わなければならない。 全国体力テストについて様々な論議が出されている。これまではサンプルを抽出して実施しており、これで大まかな傾向は把握できるので、全数調査はムダであるという意見、今回はじめて都道府県別データが公表されたが、学力テストと同様に学校単位や市町村単位での開示も必要という意見などである。 まず考えなければならないのは、今回の都道府県別データの公表でわかったことは、学力調査との相関が極めて高いということである。学力の高いところは体力にも優れており、学力の低いところは体力も劣っているということである。 学力はどちらかというと相対的なものであるが、記録を測定できる体力は絶対的なものである。50Mを何秒で走れたかを測定することにより、個人としての能力がわかる。体力はトレーニングすることにより向上する。 習熟曲線の特性から考えても、子供にはより顕著だろう。努力すればその効果があることを実感できると思う。たとえ他の子よりも悪い記録であったとしても、自分自身の記録が伸びるのは楽しいことである。数年前に「ためして合点」で紹介された、ダイエット成功の秘訣は毎日記録をとることと同じ理屈だ。 私の想像だが、体力テストの結果が高い都道府県では、学校が独自に体力テストを毎年やっている割合が多いと思う。これが勉強という学力のトレーニングにも少なからず影響を与えているのではないだろうか。体力と学力は相関するのではなく、因果関係にあると思う。 「大まかな傾向を把握すにはサンプル調査でよい」という意見には反対である。むしろ全学年で実施し、平均や最高がベンチマークできるようにするべきだと思う。大まかな傾向を把握したいのは行政の立場だが、子供の立場からは「詳細」を知りたいのではないだろうか。 学力も体力も低かった橋下知事の嘆きもわかるのだが、学校別のデータを開示したとしても、文武両道に即座に結びつくとは思わない。個人の記録をとり、自己記録の更新を目指すというソフトが必要ではないだろうか。
今朝の日経1面の書籍広告に、オバマ大統領の就任演説を収録したCDを緊急販売するという広告が出ていた。その脇には、大ベストセラーオバマ演説集の案内も出ている。
昨夜のNHKのニュースでも、美容院のBGMとしてオバマ演説集が流されている模様が紹介されていた。洋楽のポップスを聴くのと同じ感覚で受け容れられているようで、それだけ話のリズムとテンポが心地よいのであろう。 演説がそれだけで“売り物”になるのは、政治家として最高の武器になる。アメリカ国民に受け容れられたのは、それに加えて話の中身であり、人柄に対する信頼感である。国民に対して語りかける姿勢も評価でき、国民の責任にも言及していることに好感が持てる。 自信を喪失しているだろうアメリカ国民にとって、勇気付けられたのではないだろうか。リーダーシップとは何かについて学ばされる事例だと思う。 これと対照的なのは、どこかの国のリーダーの態度である。読み違えを頻発することは、それだけで言葉に重みを感じさせず、言葉の大事さをわきまえていないような気がして人柄に信頼がもてなくなっている。 今朝の新聞では「不測の事態」が大きく取り上げられている。消費税の増税を2011年に実施するという文言を、税制関連法案の付則に明記するかどうかである。発言のブレが問題視される中で、記者会見までして発表したものを、党内世論の反発で修正するのはリーダーシップを問われるという、面子の問題になっている。 言葉の大事さに鈍感な人間にとっては、まさに「不測の事態」の出現ではないだろうか。リーダーとしての資質の差を感じさせられる。 今朝の新聞に子供の体力調査結果が報じられている。都道府県別のデータを見ると、直感的には文武両道というところに眼が向き、さらには米所という文字が浮かんできた。数字好きの蟲がうごめきだしたので、明日のブログに分析結果を出すことにする。
ニュースはオバマ大統領の就任式の話題で持ちきりである。何せ200万人もの聴衆が集まったのだから、ニュースにならない方がおかしいのだが。一人10万円の支出をしたとしたら(ホテル代が6万円以上に跳ね上がっている)、それだけで2000億円の需要が生まれたことになる。
乗数効果を考えると3000億円は超えるだろうから、GDPを0.2%押し上げることになる。日本の定額給付金のGDP押し上げ効果と遜色ない経済効果である。 就任演説を聴こうとしていたのだが、ラジオを点けっぱなしで寝てしまった。寝床で起きていようとするのは、無駄な努力であった。 日経の1面にも記されているように、オバマ大統領の特徴は期待値が異常に高いことである。アメリカ経済が破綻を来たし、自信喪失になっているアメリカ国民にとって、チェンジを訴えるオバマは希望の星にみえるのだろう。 グリーンニューディールをはじめとする総額70兆円の景気対策により、300万人もの雇用を創出するという政策への期待である。自身を喪失した国民にとって、「大きな政府」の出現は安心感をもたらしているのだと思う。 期待値が高いことは、マイナスではない。満足とは「期待に対する充足の程度」と規定されるのだが、実際に満足度を測定してみると期待値と満足度には相関が見られる。 期待値が低いとあまり満足されず、期待値が高い時はかなりの人に満足が見られる。満足を類別すると、「思いがけない満足」と「期待通りの満足」があり、期待通りの満足(期待値の高い満足)をいかに獲得するかが重要なことになる。 「あばたも笑窪」という言葉と「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という正反対の諺がある。期待値との関係で見ると、期待値が高いと前者に、期待値が低いと後者になってしまう。 政権運営で考えると期待値が高い(支持率が高いとも言える)と政策を通しやすく、期待値が低い政権では政策運営がギクシャクする。どこかの国でこれが証明されている。 オバマ政権は今のところあばたも笑窪状態にあると思う。しかし、いくらあばたも笑窪といっても、実際の政策が期待値と大きくかけ離れたものになると、失望になる。期待値と実際の差が大きく乖離することを「誇大広告」という。 |
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