社長のブログです
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シーベルトに続いて、ベクレルという単位が、私の度量衡の知識の中に新しく付け加わった。これに地震による被害の全貌が分かった時点では、キューリーという単位が加わることになるが、それはまだまだ先のことで、4月になってからだろう。
いや、シーベルトやベクレルというのは断点情報であり、放射線被害という観点からは、累積情報としてキューリーを使う時期がそろそろきているのかもしれない。 普段は10時ごろ寝てしまうのだが、流動食の量が足りなかったのか寝つけずにダラダラとテレビを見ていたところ、12時過ぎのニュースで流れた消防隊員の記者会見でさらに目が冴えてしまった。 昨夜のニュースウオッチ9の特別版の放送の中で、記者会見の場面はライブで放映されたが、例によって途中で打ち切られてしまっていた。放送時間の関係もあったのだろう。 その記者会見の一部始終を、12時過ぎに録画放映された。記者会見の内容の全てを再放送することは極めて異例な事で、NHKも価値ありと判断したのだろう。30分以上あったが、現場の状況や作業の困難さ、計画のプロセスが良くわかり、思わず聞き入ってしまった。 見終わった後、なぜこの記者会見がインパクトがあったのか考えてみた。最大の要因は、記者会見に登場した3人全てが“現場”に居た人であるということだと思う。現場を分析し、計画を練り、指揮にあたった人たちで、その言葉に現場を知らない者が、異を差し挟むことができないのだ。 “現場”の威力である。さらに付け加えるなら、任務を成し遂げた達成感が表情や言葉に表れていたことだろう。今回の一連の記者会見で、“やり遂げた”という場面はお目にかかった事がないので、より印象的な会見になったと思う。 対照的なのが、東電の原発に関する記者会見だ。欄外のコメント欄にも記したが、何人もがゾロゾロ登場し、中央で座っている人々は質問に対してシドロモドロの回答しかできず、結局左右に立っている人が補足説明ををする始末だ。 記者会見というのは、中央に座っている人が説明や質問に答え、左右に立つ人は司会進行役というのが普通の姿だと思う。東電の場合は、進行役が座り、説明者が左右に立っているという変則的なスタイルだ。 現場や部下が奮闘し、本社や上司がふんぞり返るというのが東電の社風のように見えてならない。 PR
今朝の新聞に、浦安市の市長が資源エネルギー庁に、計画停電の除外を求める要請をしたことが記載されている。
埋立地が多くを占める浦安市内では、液状化による被害が大きく、37,000戸で下水道やガスがストップしたままであるにもかかわらず、計画停電が実行されていることに対する配慮を求めたものである。 我が家で一度も停電を経験していないのは、浦安への送電の途中にあるため、おこぼれに預かっているのだという理解をしていたが、この仮説は外れたことになる。 同じ町内でも停電をしている所があり、いよいよもって電気が止まらないのがなぜだかわからず、不思議な現象だ。 “連帯感”を維持するためには、不公平なく停電を受け持つことが大事だと思う。何時この不思議な現象が解消されるかわからないので、備えはしておく必要がある。 当番が日直なら問題はほとんどないのだが、宿直になると明りの手当てをしておく必要がある。ところが、ここでも出遅れてしまい、電池やローソクの手当てが出来ていない。米、パンに続いて“災害弱者”であるということを認識させられている。 手をこまねいてはいられないので、テレビで観たことをヒントに、手作りの“灯明”を作ってみた。ビールの空き缶をキッチンバサミで3センチほど切断し、ティッシュペーパーでコヨリを作ってアルミホイルを円筒状にしたものにさして缶の淵にそって入れ、サラダオイルを浸すのである。 コヨリに油が十分浸み込んだころ合いを見計らって火を付けると、ローソクの代用品には十分な明るさになっている。熱を持つかと思ったが、缶には熱が伝わらず、問題なく利用できることが分かった。江戸時代の庶民の暮らしが想像できるような、佐野流“灯明”の完成である。 3個作ってあるので、備えは盤石なのだが…
今朝の新聞を見ていると、バスケットのbjリーグの大分が、「監督ら4人の契約解除」を発表したとされている。いずれも外国人であり、言葉の通じない日本での不安が高まり、“帰るコール”を出したのだろう。
言葉が通じる日本人でも、よく理解できないのだから、不安が募るのは当然だと思う。 昨日のブログでも述べたが、今必要なのは“的確な情報”である。先ほど、原子力保安院が、屋内退避を指示した人の外出についての注意事項を発表した。 外出禁止令を出してから、相当な時間がたってからの発表である。本来このような情報は、屋内退避を指示した時に同時に発表すべきなのに、相当のタイムラグがあり、この時間の経過により、該当する人々のストレスは高まるばかりである。 原子力保安院の記者会見が頻繁に登場してくるのだが、この組織の立場が現在どのようなポジションにあるのかが良くわからない。平時の時の役割は、何となくわかっているつもりだ。原子力施設の監督官庁なのだろう。 しかし、この非常時に置いてどのような役割を担っているのが、よくわからない組織である。情報を集約する拠点なのか、専門的見地からの参謀なのか、現場を指揮する立場なのか、非常時には盲腸のような存在にすぎないのか、さっぱりわからない。従って、この組織が発表する言葉をどの程度信じてよいのかわからないのである。 そもそも原発トラブルに際しての情報が、政府(主として官房長官の会見)、東電の本店、福島支店、原子力保安院という4つの部門からの発表になっている(これに海外メディア、インターネット上を駆け巡るもの、テレビの“有識者”の発言も加わるのだろう)。 不思議な事に、菅首相が朝早く乗り込んで作った、対策本部からの発表は一度も目にしたことはない。何のために対策本部を作ったのだろう。 色んな部門から“正確な情報”が五月雨式に提供されても、その情報を受け取る側は容量オーバーになって思考停止状態になってしまい、「空気を読むしかしない」KYになってしまっていると思う。 対策本部が前面に出て情報提供し、容量オーバーになっている国民の負担軽減を図るべきだと思う。 これを書いている間に、鳩山元首相のコメントがテレビで流れている。この中でも「速やかに“正確な情報”を提供すべき」というコメントである。何時になったら、リーダーたちに“的確な情報”という事に気がついてもらえるのだろうか。
昨夜の5組の当番でも、停電にはならなかった。東電のHPでは、一昨日には私の住所はどのグループからも消えていたが、昨日には5組に復活していた。
しかし、停電計画の発表では*付きになっており、*の解説の意味は不明だが、*によって停電を免れたのだろう。 昨日たまたま民放を覗いたら(私は日ごろから民放は見ないし、震災後も基本的にはNHKしか見ないのだが、時折民放の報道ぶりもチェックしてている)、一昨日の大規模停電の危機の事を報じていた。 驚いたのは、アナウンサーが「海江田大臣の発言がきっかけで問題が生じた」という表現をしたことだ。大臣の緊急声明の事を指しているのだが、“問題発言”だという指摘なのである。 その後で通勤客のコメントが紹介されたのだが、一様に「被災者の事を思うと我慢しなければ」「緊急事態なのだから仕方がない」といった、帰宅時の混乱にも何が問題なのという態度であった。 コメンテーターが、最後に「大臣の発言があったからこそ、大規模停電が避けられたのだから、良かったのではないでしょうか」とアナウンサーを諌めるような発言をしたのが印象的だった。 メディアの役割は警鐘を鳴らすことであって、騒ぎ立てることではないはずだ。ここを勘違いしており、NHKと民放の報道姿勢の差は大きく、民放の方が“有害情報”が多いように思う。 日刊ゲンダイという夕刊紙がある。辛口の記事が多く、出かけた時にはよく読んでいた新聞だが、小沢問題以降のあまりにも小沢を擁護する記事が目立ち、嫌になって読むのをやめていた。 震災をどのように報道しているのか興味があったので、昨日久しぶりにコンビニで買い求めた。 一面と、最終面の見出しを並べるとこうなる。 一面トップは「官邸脳死 外資のエジキ」、さらに「福島原発爆破“臨界”近づく」「30キロ圏内でも死者が出る」「東京きょうも来週も大停電の覚悟」がサイドの見出しにあり、記事の中の見出しは「ドイツ大使館 大阪へ移転」「放水車出動しか打つ手がない」「この非常事態が毎日続くのだ」となっている。 裏面のトップは、「世界のメディアが伝える「フクシマ」の危機 政府の情報隠し」とあり、「知らないのは日本人だけ」「コンクリートをバラまくしかないと 香港紙」「政府高官の言動にあきれる米国民」となっている。 あきれるのは米国民だけでなく、日本国民もである。 日刊ゲンダイを“まともなメディア”と見るつもりはないのだが、駅の売店を通り過ぎる時にはいやでも目につく。ご丁寧に、見出しの部分だけを抜きずりにして、新聞スタンドに貼ってあるので、通りかかった人には見出しの文面は気がつかないうちに刷り込まれているかもしれない。 有害情報を撒き散らすのは、放射線を撒き散らすよりも性質が悪いのではないだろうか。 今、臨時ニュースが流れた。がれきの中から9日ぶりに生存者が発見されたとのことである。ほっとした気分になれる、有益情報だ。
今日の午前中は、月に1回の歯医者通いの日である。徒歩2~3分の同じ町内にあるが、歯科衛生士の話によると、昨日は午後に停電し、今日は夕方が当番で停電になるため、休院するという。同じ町内なのに、ここでも連帯から仲間外れにされたのだろうか。
同じ町内でも送電系統が違うようであり、東電が周知に手間取っているのも納得できる話だ。この点に関しては、東電を責めるわけにはいかない。少しトーンダウンしなければ。 今朝のブログで「強行開幕」について触れたが、この言葉により午前中にかなりのアクセスがあった。国民に勇気を与えようとしているのだろうが、その前に国民の“納得”を得ることが必要になるとは、ナベツネは思ってもみなかったのではないだろうか。 こういうのをKYと呼ぶのだが、「デフレの正体」(角川ONEテーマ21)で著者の藻谷浩介氏は、もう一つのKYがあるとしている。 「空気が読めない」ではなく、「空気しか読まない」というKYである。 スーパーの棚が少し隙間があり、隣の人の買い物かごの中身を見て空気を感じ取り“仮需”に走った人や、ヘリコプターの放水が始まったのを見て何かを感じて株価を300円も一気に押し上げた人たちはこのタイプの典型だ。 H&Mは都内にある10店舗(何時の間にこんなに増えたのか不思議だが)を全て一時閉店し、日本支社を大阪のホテルに移すことを発表した。同時に、社員とその家族合わせて2000人も大阪に疎開し、費用は全額スウェーデンの本社が負担するという。 日本政府は30キロまでを警戒区域に設定しているのに対して、アメリカ政府は80キロ圏の同胞に対して避難勧告を出している。 海外では、今回のトラブルについてどのように見ているかの典型的な事例だ。このように私の目から見て過剰な反応をするのは情報の質にあるからだと思う。 海外メディアの日本国内での情報収集能力は、当然国内メディアよりも劣り、情報源の多くは報道されたものになるはずだ。その情報の断片を本国に送信するのだろうが、本国で断片をつなぎあわせた時には元のものとはだいぶ異なってしまうのだろう。 それを見ている人は、自分の中で再構築した時には…ということになると思う。伝言ゲームのようなものだ。こうして「空気しか読まない」人たちがまた出現してしまうのではないだろうか。 「正確な情報」が必要とされるという表現がされると思うが、必要なのは「的確な情報」だと思う。 例えば、今回の事態で放射線量があちこちで計測され、結果が報道されている。多くの見出しは「○○倍の放射線を観測」というものになっている。極端なケースでは、「25キロ圏で6000倍を計測」というものを見た。 これは「正確な情報」である。普段の何倍というのは間違ってはいないのだが、「的確な情報」とは言えない。必要なのは、危険なのかどうか、どのように行動するべきかという指針になるような情報提供のやり方にあると思う。 文科省が観測データを公表している。定点観測ではなく、計測車が走り回った結果を公表しているにすぎない。情報の一次的使命は「様子を知る」ためのものだが、それは「次はどうなるか」を考え、どのような行動をとるべきかを“判断”するためのものである。 次はどうなるかを考えるためには、定時定点観測で時系列にデータを見るべきだと思うが、ランダムな抽出した結果を公表するというのは、「正確」ではあっても「的確」ではなく、いたずらに混乱を煽るだけで、「空気しか読まない」人々を生み出すだけだと思うがどうなのだろうか。 |
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