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今朝は6時で10度近くあり、昨日の最高気温よりも高いくらいだ。この暖かさは一日限りではなく、明日にも続くとのことなので、ようやく三寒二温ということになるのだろうか。

昨夜も“果報は寝て待て”が実践でき、なでしこがアメリカから初勝利をもぎ取った。11時過ぎからの試合開始であり、前半を朦朧とした状態で見終えた末に、ハーフタイムで沈没してしまった。

うろ覚えながら前半の記憶をたどると、防戦一方ではなく互角の戦いぶりだったと思う。昨年のバロンドールをメッシと並んで受賞した沢が欠場しても、大きな戦力ダウンにはならなかったようだ。

スポーツメディアは常に新しいスターを求める傾向がある。セーラー服でリフティングした選手にスポットをあてるなどはその極みだ。しかし、昨夜の試合で頑張ったのは、沢の代役の田中や決勝点の高瀬など去年のW杯で、出場機会がほとんどなく控えに回っていた選手たちだ。

彼女たちもまだ21歳でピカピカの若手である。昨年のW杯の時には20歳で代表に選出されていたわけで、出場機会には恵まれていなかったものの、実力を早くから認められていたと思う。お姉さんたちの練習台として貴重な経験を積み、試合に出られなかった悔しさをばねに、昨夜はいっせいに開花したのではなかろうか。

メディアが沢と並んで多く報じているのが川澄だが、彼女も昨年のW杯が始まったころは控え選手だった。それがワンチャンスをものにしてクローズアップされるようになったわけで、次世代のスターは新顔にあるのではなく、足下に潜んでいるということだ。

控え組の活躍で、なでしこは一段階レベルアップしたと思う。
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春先の気候を現わす言葉に三寒四温というのがあるが、このところの陽気は三寒一温という感じで、空気の暖まる暇はなくすぐに冷気がやってくる。梅の開花が遅れているようだが、この分だとサクラの開花は4月になりそうだ。

このところの暖冬続きでサクラは3月に咲き始めるのが当たり前のように感じてしまっている。3月のサクラというのは“花札”のイメージである。

ところで、私が幼稚園に通っていたころ(60年前なのだが)、一学年12クラスもあった。団塊世代の人口が多かったためではなく、市内に公立の幼稚園が一つしかないためで、電車に乗って通ってくる園児が半分以上いたと思う。

この幼稚園では誕生月ごとにクラス編成されており、その名前が花や樹木からとったものであった。1月生まれは「松組」、2月生まれの私は「梅組」で、3月生まれが「さくら組」となると花札そのものだが、さすがに幼稚園で花札では具合悪いと考えたのか、3月は「桃組」で「さくら組」は4月だった。

サクラは4月のものというのが、当時の常識でもあったのだろう。そのサクラが昨日琵琶湖のほとりで咲いた。オリンピックの選考会の毎日マラソンで、無名の山本選手がラストで逆転をし、日本人トップとなりオリンピック選手となるチャンスを得たのだ。

招待選手ではなく、自分で参加費を工面する一般参加で勝ち取ったところに意義がある。初マラソンの北海道マラソンで2位になったこともあり、夏のマラソンにも実績があるということで、代表選出は間違いないだろう。

今年の選考会では、福岡の日本人トップは公務員ランナーの川内選手、東京ではフリーターの藤原選手で、今回が一般参加のランナーと、エリート選手はことごとく敗れてしまった。環境が整った選手では、マラソンに最も必要な、“ハングリースピリット”が培えないということなのだろうか。

“飛脚の佐川”としては、企業イメージにぴったりであり、山本選手にはボーナスがでるのだろうか?
今日は雨模様で、明日は晴れ、明後日はまた雨という予報であり、春先らしい日替わり天気である。天気予報とにらめっこをしながら行動予定を立てなければならない。

昨日は、久しぶりに六本木の国立新美術館を訪れた。文化庁主催の「メディア芸術祭受賞作品展」を見るためだ。先日テレビのニュースで放映されていて興味をひかれ、3月4日までの会期の間で、空模様をうかがい暖かくなるとの予報で昨日出かけることにした。

国立新美術館はミュージアムというよりも、どちらかというと幕張メッセのような展示場と言った方がよいかもしれない。所蔵品を展示するのではなく、スペース貸しをして主催者が趣向を凝らした展覧会を行うというシステムである。

昨日は、メディア芸術祭以外に、多くのブースで東京にある美術系大学の卒業・終了展示が行われていた。そのためもあるのか、会場の風景が先日出かけた国立博物館の「清明上河図巻」とは全く異なっていた。

20代が半数以上占めており、私などは最年長の部類である。展示内容は、アート(といってもほとんどが映像作品だが)、エンターティンメント(ゲームが中心)、アニメーション、マンガの4つにわかれており、客層が異なるのも当然の話だ。

私はマンガやアニメにはあまり興味がないため、前の二つを重点的に見ることにした。暗闇の中を光のボールが走り回る「パーティクルズ」や高度3万メートルに風船を打ち上げ、宇宙空間を背景にセットされた携帯の画面にメッセージを流す「スペース・バルーン・プロジェクト」など、どうでもいいようなものが並んでいる。

しかし、いずれにも“遊び心”がみちあふれており、私には好ましく感じられた。極めつけは、「モンキービジネス」というものだった。壁にチンパンジーのぬいぐるみが操り人形のようにぶら下げられており、その上に赤外線を探知する装置がつけられており、目の前の人間の動作を真似して動くというものである。

何という事はないものだが、私の動作に合わせて必死にまねようとする姿がいじらしく思われ、癒される気がした。高齢者施設の癒しの器具になりそうだ。製作者はラルフ・キスラーとヤン・ジーベルという外国人の名前になっており、外国でも“猿真似”という言葉が通用するのかもしれない。

カメラの前に3分間静止して撮影するという、幕末のころのような写真が撮れる実演も行われていた。レシートの裏にプリントされるもので、じっとしているときれいに映るが、動くとその部分がぼやけ、どこに動きを入れるかが被写体の“芸術感覚”になる代物だ。挑戦しようとしたが、3時間待ちということであきらめた。

“遊び心”を堪能する時間を過ごせたのだが、「遊んでいるばかりのお前に遊び心はいらない」という声が聞こえたような気がする。



昨夜は男女のサッカー代表のダブル・ヘッターだった。子どもの頃、プロ野球は日曜日がダブル・ヘッターと決まっており、ディゲームだと12時から、ナイターだと夕方5時が第一試合のプレーボールだった。

飛ばないボールで打者受難の時代であったためか、得点がそれほど入るわけでなく、2時間ほどで試合が終了したため、2試合やっても9時過ぎには試合が終了していたと思う。甲子園球場で中日と阪神のダブル・ヘッターで、中日の権藤が第一試合で先発し、二試合目にはリリーフで登板し、一日2勝を挙げたことを想い出す。

一日で二試合を見られることにお得感があったのだが、映画館もそうだった。洋画は一本だけが主流だったが、邦画は二本立てがほとんどだったと思う。これは“封切り館”のもので、近所の二番館や三番館と呼ばれる映画館では、三本立てか四本立てであり、いくつもの映画が上映されていた。シネマ専門チャンネルのようなものだ。

上映時間は2時間前後が今では主流だが、当時は1時間半前後のものが多く、二本立てでもそれほど疲れなかったのだと思う。娯楽の少ない時代であり、日本人の平均年齢も30歳前後と今よりも15歳も若かったため、旺盛な欲求を満たすためのシステムだったのだろう。

昨夜は50年ぶりの二本立て興行への挑戦となった。魔の時間帯を乗り切るために、晩酌を控え目にして何とか2試合を見終えたが、いずれもさえない試合ぶりだった。

男子は、前半こそ観衆を沸かせるようなシーンが何度かあったが、後半は押されっぱなしで、どちらがホームかわからないような展開になってしまった。11人中8人が海外組だったが、日程の厳しさがあったのだろうかプレーに切れがなく、国内組もシーズン前の調整不足だったのだろう。ウズベキスタンの強さが目立った試合だった。

なでしこの試合ぶりも勝つには勝ったが、今一の内容だった。控え選手が6人も登場したがレギュラーとの間の力の開きが歴然で、レギュラーを脅かすような選手が見られなかったのは残念なところだ。唯一の救いは、冴えない試合でも勝ったというところだろう。男子との違いであり、世界ランク12位のチームとは格が違うところを見せ付けた。

冴えない試合を二つも観ると疲れる。いよいよ3月に入った。再来週にはレポートを一本仕上げねばならないので、気合いを入れるために今日は出かける事にする。
午前中雪が降り続き、2度ほどしかない。午後からは雨に変わるとの予報であるが、最高気温は4度とのこと。名古屋では15度になるとのことだから、春は箱根の山を越えられるにいるのだろうか。今日も引きこもりだ。

エルピーダの会社更生法申請について感じたことを。半導体に限らず、日本の製造業は一つの業界に多くのメーカーが参入し、競争の中で切磋琢磨しながら成長を続けてきたところに特徴があると思う。

自動車、家電、鉄鋼などほかの国では一つか二つ、せいぜい三つしか企業が存在しないのに、鉄鋼でも5社、自動車や家電では10社近くも存在していた。

半導体は、25年ほど前にイタリアの半導体メーカーの買収計画のために、日本の中堅半導体メーカーを調べてみたことがあるが、30社を超えるほどの企業が乱立していた。その上に大手企業=DRAMを生産している企業が10社ほどあった(新日鉄まで参入していた)。

日本国内での競争で磨いた腕で世界に打って出、いくつもの分野で世界の市場を席巻してきた。90年ごろまでのサクセス・ストーリーだ。それが変調をきたし出したのは、90年代に入ってからだと思う。円高の影響だ。

85年のプラザ合意により、それまで1ドル250円前後だったものが、1年で150円まで急落した。リーマンショック以降の円高は40円ほどだが、この時は100円近くの上昇である(率で言うとほぼ同じなのだが)。

この時は何とかしのいだのだが、90年代に1ドル100円を切るほどにまで上昇したため、耐えきれなくなった企業が淘汰され始め、企業再編が一挙に加速し、その流れが2000年代になっても続いている。

DRAMは装置産業であり、体力勝負の要素が強い産業である。エルピーダはNECと日立のトップ2が合併し、さらに三菱電機も加わり大型化し、他社が撤退したため世界を席巻した日本の業界の代表選手のような存在になった。沢や川澄などなでしこジャパンの主力選手を集めた、INAC神戸に例える事が出来ると思う。

今回のエルピーダの会社更生法の申請は、INAC神戸が韓国のKリーグのチーム(女子リーグがあるのかどうか知らないが)に全く歯が立たず連戦連敗を繰り返したようなものだ。

エルピーダは4割近くの円高というハンディを負い、一方の韓国勢はウオン安というおまけまでついているのでは、いくら代表選手を集めたチームでも白旗を上げるのは当然の結果なのだろう。

先日、日経に掲載された3月期の決算見通しのベスト10に日産とホンダがランクインしていた。家電・自動車は円高にあえいでいるのに不思議に思っていたが、この両社は国内生産比率が20%にまで低下しており、国内生産が7割のマツダが赤字を計上しているのとは対照的である。

円高がどれだけ企業業績に影響を与えるかが、エルピーダの破たんでよくわかった。






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