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明日の夕方から気温が下がり、ようやく猛暑から逃れられるというご託宣が出た。前線が南下してくるためで、前線の北側の冷たい空気がエアコンのスイッチを切ってくれるようだ。予想天気図では秋雨前線のようであり、今年はやっぱりカレンダーが一月ほどずれているのではないだろうか。

昨日に続いて、多数決についての話を。私がこの問題に関心を持つようになったのは、5月に手話を用いた教育を行っているろう学校を訪れた時、校長が話した「子どもですからしょっちゅういさかいは起こります。しかし教師が仲裁しないようにしています。自分たちで話し合って解決するようにしています。また、多数決で物事を決めるということは絶対しないようにしています。」という言葉からだった。

明治以来日本のろう教育は、一貫して口話法という方式を採用している。社会に順応するためには、“ふつうの人”と同じようにしゃべるのが第一歩だということが理由である。ろう者にとって自然な言語は手話であるが、口話法習得の妨げになるとして手話を禁止するなどの措置もとられたほどである。

この旧来のろう教育の弊害を打破する試みとして、手話による授業を行おうという考え方が出てきたのである。多数に合わせるのではなく、マイナリティを尊重するという考えで、その流れからは多数決というものがそぐわないのである。

手話による授業と、口話法による授業を選択できるろう学校を見学する機会があったが、廊下に張り出されている制作物を見る限りにおいては、明らかに手話コースの子どもたちの方に一工夫が多く見られ、自由なコミュニケーション手段を持つことが、子どもの成長に大きな影響があることが良くわかった。

多数決による民主主義というのは、“数の暴力”という弊害を抱えているものだと思う。少数意見を尊重したうえで、多数意見がまかり通るという原則を忘れてはいけないのだが、ともすると少数意見を無視することの方が多いように思うのだがどうだろうか。

ところでろう学校を見学していた時に思わぬものに出くわした。小学校4年生の教室だったと思うが、アンケート結果が張り出されていた。国際学力テストのランクダウンを受けて、考える力を養うために、授業の中にアンケートが取り込まれているのである。子どもたちが身近なテーマを取り上げ(マンガの読み方が取り上げられていた)自分で調査票を作り、集計して“分析”しているのである。

はっとさせられたのは、アンケートの分析においても多数決の論理がまかり通りすぎていることである。子どもたちの分析でも、我々大人の分析でも、“多いもの探し”に主眼が置かれ、せいぜい水準という物差しをあてるぐらいが関の山である。「こんな意見もあるんだ」という目を持つことを忘れてはならないと思う。

次の首相を選ぶ与党の代表選挙が近づいてきたが、まだ全体構造がよく見えてこない。最大勢力の小沢グループの動向が良く見えないためで、自前の候補を持たず、影響力を発揮するために“多いもの探し”をしているのだろう。
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