社長のブログです
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
八戸の感想の続きを。食べ物が旅の楽しみの一つで、日本有数の漁港である八戸港に上がる魚は、イカとサバである。両方とも「八戸前沖」という冠が付いて売られている。サバを馬鹿にする気はないのだが、関サバのようなマグロのトロにも匹敵するような逸品ではなく(今は季節外れということもあるが)、イカもアオリイカやケンサキなどの高級品ではなくスルメイカである。
食べ物には少しがっかりしたが、仕事が早く終わったため種差海岸に出かけた。司馬遼太郎がライフワークとした「街道を行く」で訪れた時に、異星人に日本の素晴らしいところを紹介するとしたら種差海岸だと感嘆した場所である。 天然の芝生が海べりに自生しており、気持ちよく散策できる場所である。写真の奥に見える東屋で太平洋の景色でも眺めようとしたのだが、行ってみると中でカップルがいちゃついており、東屋でくつろぐことはできなかった。 津波の被害はほとんどなかったようで、正面の奥で壊れた防波堤の改修工事が行われているだけだった。せっかくの景勝地なのだが、人影がほとんど見えない。全国ブランドではないということか。食べ物で最も有名なものは、「せんべい汁」だが、これもB級グルメで入賞したものであり、沖前のイカやサバもそうだし、観光スポットも含めて一言で八戸を言うならば、「B級ブランドの街」ということになるのだろうか。 海岸際の食堂で食べた、名物のウニ丼である。定価2300円のものだが、300円引きのサービス料金だった。2000円にしては、ウニの量が物足りなくて少し不満だった。ご飯が見えないくらいウニが乗っていることを期待したのに。 種差海岸から観光用のワンコインバス(本当に100円だった)に乗って、海岸線の風景を楽しみながら、ウミネコで有名な蕪島に移動した。せっかくのワンコインバスなのに、乗客は3人だけとさびしい限りだった。 蕪島は現在では陸続きになっており、一周100mもないような小さな島だった(写真を何枚か撮ったつもりだったが、録画モードになってしまっていたので掲載不能である)。 監視員のおじさんの話では、3万5千羽以上いるとのことで、備え付けの傘(糞よけか)を指しながら見物したが、ヒチコックの「鳥」を想い出すような光景だった。ここでも見物人は3人だけでウミネコは一杯、人は閑散だ。監視員のおじさんが色々話をしてくれたのだが、訛りがきついのとウミネコの喧騒で半分も理解できなかった。 三沢空港まではバスで戻ったが、乗客は私一人だけで、運転手と話をしながらの45分となった。タクシーの運転手とは話をすることが多いが、バスの運転手とは初めてで珍しい経験をさせてもらった。飛行機よりも新幹線の方が強いということがよくわかったのだが、基地がある限り路線は維持されるのだろう。 今日はこれから仙台へ出かける。八戸では震災の傷跡をほとんど見る事がなかったが、多賀城や医師の巻にも出かけるので震災の爪後や、復興の進み具合を眼にすることになると思う。録画モードにならないように気をつけなければ。 PR
昨日まで、八戸に出かけた。新幹線に3時間以上乗るのが嫌で、三沢空港着の飛行機で出かけた。往きの飛行機では外国人(東アジアの人ではない)が1/3以上占めており、国際線に乗っているのかと錯覚しそうなほどだった。バスの運転手の話だと、以前は三沢基地から軍用機を横田や横須賀に飛ばし、軍関係者の便宜を図っていたが、経費削減のため民間機を使用するようになったとのことである。
費用は、我々よりも随分安いとの事であり、「思いやり予算」がここでも活用されているのだろうか。往復とも搭乗率は50%を切っており、普通なら路線継続が問題になりそうだが、基地がある限り政治路線として廃止されることはないだろう。 空港から八戸市内までは直通バスが走っており、何のためらいもなくバスに乗ったのだが、発車して間もなく「八戸駅に行かれる方は、三沢駅で電車にお乗り換えください」というアナウンスが流れた。運転手に確認すると、「乗り換えてください」とのことである。 三沢駅からは「青い森鉄道」という第3セクター路線で、八戸駅まで通じている。新幹線の開業に伴い第3セクターに移行したらしいが、乗客はパラパラで赤字路線というのは一目瞭然で、行政の負担の大きさが心配になってしまった。 八戸駅について驚いたのは、駅の周辺に灯りが乏しいことだ。節電を徹底しているのかと一瞬思ったが、そうではなく建物がないのである。八戸駅は02年に新幹線が開通して以来、青森までの延伸までの10年ほどは東北新幹線の終点であったところなのに、全く賑わいはないのである。 駅の上にあるホテルにチェックインし、早速観光案内を調べてみると、中心街は八戸駅から少し離れた場所にあり、最寄駅は八戸線の「本八戸」ということが分かった。直線距離で、八戸駅から中心街までは4キロほどありそうだった。空港からのバスは、八戸駅などは見向きもせず、中心街へ直行していたのだ。 城下町では、駅から中心街まで離れているケースが多い。私の出張の記憶では、富山や、熊本、鹿児島などがそうだ。お城の側に電車が走るというのはもっての外ということなのだが、八戸は南部藩の支藩であり、南部藩自体も10万石程の小さな規模で、城下町という意識はなく駅前のホテルを選んでしまった失敗だった。 普段なら中心街の“視察”をするのが慣わしなのだが、今回は外に出ることはなくホテルに併設されている食堂(この言葉がぴったりである)で大人しく過ごすことになってしまった。 1泊4600円というJRのホテルとしては安い料金に魅かれて予約を入れたのだが、新幹線を利用するならともかく、飛行機利用なら駅上のホテルを選ぶべきではなかったのだ。初めての所に出かける時は、地図を確認することを再認識させられた。 八戸の街や食べ物についての感想は明日に書くことにする。
九州北部を集中攻撃していた梅雨前線がようやく移動を始めたようで、昨日から猛烈な湿気に見舞われている。不快指数がマックスに達しており、エアコンの除湿機能にお世話になっている。この梅雨前線が通り過ぎれば、梅雨明け宣言になりそうなのだが、何時まで居座るつもりなのだろうか。
今日は夕方から八戸に出かける。明日の10時から仕事なのだが、八戸には東京駅からでも3時間かかるので前泊することにした。しかも新幹線で長時間乗るのが嫌なので、飛行機で三沢空港着の便を利用することにした。 八戸の訪問は今回が初めてだが、三沢空港は一度利用したことがある。仕事で青森には何度も出かけたことがあり、在来線を利用したこともあるがほとんどは飛行機である。青森空港を利用することも多かったが、昔は青森空港はプロペラ機しか利用できず、ジェット機は基地のある三沢しかなかったためである。 ねぶたを踊りに行った時は、自動車だった。高速は仙台までしかなかった時代で、岩手県を通過するのに4~5時間かかったような記憶がある。東名を走ると静岡県が随分横に長いと感じるが、岩手県は縦に長いのである。 八戸は青森県なのだが、咄嗟には岩手県と勘違いしてしまうことが多い。八戸=南部藩、南部藩=岩手県ということでつい連想してしまうためだ。漢数字と戸という言葉を組み合わせた地名があのあたりにあるが、三戸までは青森県で、一戸と二戸は岩手県にある。 弘前で、オートバイの販売店の店主何人かにインタビューしたことがある。普通に話をしている分には問題はないのだが、メーカーの評価を尋ねると一変する。溜まりに溜まった不満があったのだろう、早口の津軽弁でまくし立てられると通訳を呼びたくなるほどになってしまった。1店だけでなく、訪れた5店全てで同じ状況になり閉口した記憶がある。津軽気質なのだろうか。 八戸でも何人かにインタビューをする予定なのだが、刺激的な質問は少ないと思うのだが、微妙な質問の時にどうなるのか南部気質がどうなのか興味のあるところだ。
昨日はとうとうこの夏初めてエアコンのスイッチを入れてしまった。一昨日もスイッチに手が伸びかけたが、思いとどまり「涼しい所」に出かけて痛い目にあってしまった。一昨日の反省から、少しの時間エアコンのお世話になってしまった。今日は出かける予定があるので、節電は続けられそうだ。
節電が騒がれるようになってから、電力の使用量については気にかけるようになったと思う。特に、請求書の中に前の年の使用量も併記されているので尚更だ。震災以降、ほとんどの月で前年比を下回っており、「測るだけダイエット」と同じ原理なのだろう。今月の請求書の数値はどうなっているだろうか。 ところで、我々に嫌でも節電を意識させるようになった原発事故の、国会の事故調査委員会の報告書が昨日発表された。今回の報告書では事故の原因を“人災”と決めつける極めて踏み込んだ内容になっているようだ。けれんみがありすぎるようで、第三者機関の報告書としては賛否が分かれそうだ。 普段の私なら、けれんみたっぷりのこの手の報告書にはあまり関心を持たないのだが、この報告書の指摘する内容には少し評価する点がある。人災の要因として二つの点を上げていることだ。 一つは、これまで盛んにメディアが用いていた「原子力ムラ」という言葉を使わず、「規制の虜」という経済用語を引用したことだ。規制される側の方が規制する側よりも、経験・知識が豊富なために、規制が骨抜きにされるという意味らしく、シカゴ大学のノーベル賞学者ジョージ・スティグラー氏の唱えた経済学の用語である(初めて耳にした)。 原子力ムラという言葉からは、なれ合いという言葉を想像してしまうのだが、規制の虜という言葉からは、単なるなれ合いでなく企業の方が圧倒的に優位で、行政や学者はその言うがまま、思うがままにならざるを得ないということになる。原子力規制庁が新しくできるが、経験・情報格差がある中でどのように人材育成をするのかが課題になるだろう。 もう一つの人災は、“菅直人リスク”だ。知識を持たないものが非常時に陣頭指揮を執ることの危うさを報告書では指摘している。目立つことが大好きで、何にでも出しゃばりたがる“政治家の本能”がそうさせたのだろうが、危機管理の大きな問題点だと思う。 内閣府に危機管理監が居るはずなのだが、今回の事故では全く表には出てこなかった(裏では活躍していたのかもしれないが)。私の想像するところでは、内閣府の危機管理監というのは、警察官僚の事務方の上がりのポストであり、危機管理のスペシャリストではなかったと思う。このポストにスペシャリストが就任していれば、政治家が現場に介入することはなかったのではないだろうか。 経済学の用語に「規制の虜」という言葉があるように、危機管理用語で“菅直人リスク”という言葉が一般化するように思う。
国会の会派として「国民の生活が第一・無所属のあゆみ」という長ったらしい名前の会派が誕生した。正式な党名はこれから決まるらしいが、自分の選挙のことだけしか考えられない連中に、「国民の生活が第一」という言葉を使われたくはないと思う。
先日駅の売店で見かけた夕刊フジの見出しには、「足軽新党」というネーミングがされていた。当選1回で、しかも選挙で自分の名前が書かれない比例選出の議員が多い構成を、上手く表現した名前であると思う。幹部も、侍大将のような存在はおらず、「足軽大将」のような軽い輩のように見えるから、新党のネーミングは夕刊フジから頂戴したらよいのではないだろうか。 ところで、昨日のトップニュースはヒッグス粒子の発見についてのものだった。NHKなどは朝からCERNの「記者会見がある」ということを大きく取り上げ、発表後はそのことについてかなりの時間を割いていた(研究スタッフに密着取材しており、膨大な映像資料があったのだろう)。お陰で、ヒッグス粒子なるものはどういうものかというのは、何となくわかった。 ただし、発見したといってもそれを目にしたわけではなく、山手線の全周に匹敵する巨大な装置で陽子を飛ばし、衝突させると実験室上でビッグ・バンが起こり、陽子が分散した中にヒッグス粒子らしい軌跡が確認できたというものである。 実験では、2000兆回の衝突で、2000個の軌跡が確認されたというものである。1兆回に1回起こった計算だ。めったに起こらないことの例えに、「千三つ」や「万が一」などという言葉が用いられる、震災以降政治家が使うようになった言葉に「万々が一」というのもあるが、それとは桁が違う。万が一が2回重なって一億分の一であり、もう一度万が一が重なるとちょうど一兆分の一になる。万万万が一ということだ。 日経の記事によると、この実験装置の製造費用に1兆円近くかかったととされている。1000個の粒子を観測したのだから、1個当たり10億円かかったことになる。1個の物体の価値(素粒子を物体というのかわからないが)としては、ダイヤモンドや金とは比べ物にならないものだ。なんだか、落語の「千両みかん」の話のようになってしまった。 この実験には世界40カ国が資金を出し合い、60カ国以上から数千人の科学者が参加しているという。政治の世界では難しい国際協調が科学の世界では可能ということか。 ところで、この実験装置には日本企業も多数参加している。加速器の心臓部にあたる超電導線材は古川電工、冷却装置はIHI、超電導磁石の鋼材はJFE、検出器の心臓部は浜松ホトニクス、光ファイバーはフジクラという名の知れたメーカーが並んでいるが、その中に耳なれない名前が一つある。 素粒子の検出器の、「林栄精器」(何と読むのかわからない)である。日経も無名メーカーということを意識してか、「(東京・豊島)」と書かれている。HPを観ても読み方はわからなかったが、従業員85名、年商25億円の会社だ。極めて小さな会社が、大手メーカーに伍して1兆円プロジェクトに名前を連ねるというのは快挙のように思う。ただし、これは万が一程度の確率だろう。 |
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
[11/14 NONAME]
[06/09 元沖縄通♪]
[04/28 元沖縄通♪]
[03/22 ドン・カルチョ]
[03/21 佐野]
最新記事
(06/09)
(06/06)
(06/03)
(06/02)
(06/01)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
ブログ内検索
アクセス解析
アクセス解析
|