社長のブログです
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福島第一原発での停電事故が大きなニュースになっている。原因はどうやらネズミが感電死したことによるようで、飛行機に鳥がぶつかるバードストライクと同列の、生き物には何の責任もないのに“犯人”扱いされる気の毒な事故である。
この事故の報道の仕方が私には少し引っ掛かっている。事故が発生してから東電が発表するまでに3時間の遅れがあった事がメディアにはお気に召さなかったようで、例によって「東電の体質批判」が飛びだしており、事故収束まで1日以上かかったことについても「安全対策の不備」を取り上げていることだ。 原子力規制庁や、福島県には事故直後に一報を入れており、報道機関への発表は事故の全体像が判明してからになったのだと思う。停電したことはわかったとしても、被害がどれほどに渡っているのかを確認するのに、防護服なしでは動けない場所でのことでもあり、1時間やそこらの時間がかかってしまい、その結果が報道機関への3時間の遅れになったのだと思う。 情報というものの難しさがあるように思う。一報というものは“生情報”である。私たちが情報を使うのは生情報を加工・分析して初めて役立つのであり、生のままではどうしようもない。実際に発生直後に報道機関へ一報があったとしても、メディアは生煮えの情報をもとにどのように対応したのだろうか、そのまま垂れ流しても混乱を招くだけだと思う、疑問だ。情報は“生食禁止”ではないだろうか。 「安全対策の不備」という指摘も気に入らない。今回の事故は、使用済み燃料の貯蔵プールでの事故であり、原子炉本体の冷却系統で起こった事故ではない。原子炉内の核燃料については冷やし続けなければならないが、使用済み燃料は間もなく取り出して“空冷”する予定に入っているものだ。水に漬けておかなくても、大気の温度で十分冷やされるという段階まで来ており、安定感は原子炉内での核燃料とは全く違うレベルのものだと思う。 冷却が全く止まっても、プールの水温が60度の危険レベルに達するまでに4日の余裕があるという。原子炉の冷却ではこのような余裕が全くないだろうから、安全対策の優先順位が数段レベルが違うと思う。人員をふんだんに投入できる環境ならばよいのだが、困難な環境での作業であるから投入する戦力は優先順位の高い所に重点を置くのはやむを得ないのではないだろうか。この対応にむやみに圧力をかけるというのはいかがなものか。優先順位の低い所にも限られた資源を投入すると、肝心なところが手薄になることが心配である。 東電の肩を持つ気はさらさらないが、何かあるとすぐにこぞってバッシングする、魔女狩り体質は何とかならないものだろうか。東電の体質批判“”をする前に。 新たな金融危機の火種になりそうなキプロスは、人口80万人ちょっとの小さな国であり、EUの0.3%にも満たない国である。停電トラブルの原因は、体長15センチのネズミだそうだが、いくら小さくても大きな事故・危機を引き起こす力があるということか。 PR
日本がプエルトリコに勝っていれば、今朝はドミニカとの決勝戦のはずだった。祝日の午前中というのはテレビ観戦にはもってこいの時間帯であるから、中継するテレビ局も高視聴率をあてこんでいたのだろうが、とらぬ狸の皮算用に終わってしまったようだ。それにしても、ドミニカとプエルトリコの決勝戦を観たいと思う人も多いだろうと思うのに(私もその一人だ)、日本が出場しないとなると放映しないというのは残念なことだ。
百貨店の売り上げが2カ月連続対前年比で上昇というニュースが流れている。0.3%というわずかな上昇だが、去年はうるう年で2月は1日多かったから、実質的には4%の上昇ということだろう。牽引役は高額商品で、「身の回り品」「美術・宝飾・貴金属」が各々8.6%の増加ということになっている。全体では0.3%の増加ということだろうから、この二つの分野が突出した売り上げ増と見ることができる。 このところの株高と、円安の進行で海外の高級ブランドが相次いで値上げを発表していることによる、「駆け込み需要」が重なり合ったことが、高級品の需要増加を招いたものだと思う。 アホノミクスの効果だと政権は胸を張りたいところなのだろうが、足下を見ているとそうでもないような気がする。懐が緩むと公営ギャンブルの売り上げが増えるというのが鉄則だと思うので、昔からスポーツ新聞を観る時には公営ギャンブルの売り上げをチェックするようにしている。 メモをきっちり取っていないので感覚的なものになるのだが、競輪や競艇などの公営ギャンブルの売り上げは落ちっぱなしである(今の仕事の一つは、この公営ギャンブルに関するものなので、尚更注意を払ってみている)。 例えば、平和島競艇は都内の比較的交通アクセスの良い立地であり、集客力のある競艇場で最盛期の90年代前半は1日平均5億はあったように記憶している。それが2000年代に入って、3億円前後にまで落ち込み、昨今は1億円台前半がやっとの状況が続いている。最近はスポーツ新聞を毎日見ることはなくなったのだが、上向きに転じたという気配は見られない。 もっと極端なのは、パチンコ屋の客の入り具合である。見知らぬ土地に行った時に、時間があると必ず覗くようにしているのはスーパーと、パチンコ屋である。入り具合、客層などを眺めていると、その地域の特徴がよくわかるからである。 3年くらい前からだと思うが、「1円パチンコ」が急増しているのである。これまで1玉4円が一般的であったが、1玉1円のローリスク・ローリターンの店の方が圧倒的に客の入りがよいのである。パチンコ業界もデフレの波に乗っかってしまったように思っていた。 近所の店には昨年とうとう、「0.5円パチンコ」なるものが出現した。1玉0.5円での貸出になるわけで、4円パチンコだとドル箱1杯でタバコに交換すると15~6個になり、1円パチンコでは4個、0.5円パチンコでは2個にしかならないことになる。 近所の店では、長く1円パチンコ専門店でやっていたのだが、昨年0.5円パチンコも併設し、さらに今年はアホノミクスによる好況を期待したのか、“王道”である4円パチンコのエリアも設定した。売り上げを考えると、4円パチンコは0.5円の8倍、1円の4倍であるから店にとっては期待するのもよくわかる。 しかし、現実はそう甘くはなかったようである。4円のコーナーでは多くて3人まで、それ以上座っているのは観たことがない。私のランダムサンプリングでは、誰も座っていないのが8割だと思う。1円コーナーの方もパラパラといる程度、0.5円コーナーは半分以上の席が埋まっている。この傾向はこの1~2カ月変わらないように思う。 一昔前のパチンコ屋のゴールデンタイムは、会社帰りの人で賑わう夕方以降の時間帯であったように思うが、今は昼過ぎの時間帯が最も混みあう(混雑するようなことにはならないので。適切な表現ではないかもしれないが)のである。高齢化の進展、サラリーマンの収入ダウンと時間の余裕のなさなどが原因であり、年金生活者が主要ターゲットになってしまった事が0.5円パチンコを生み出してしまった大きな理由だと思っている。 私の観察では、0.5円パチンコの導入で少しは賑わいをとり返してみたものの、3年前に比べると明らかに客数が落ち込んでおり、今年になってもじり貧状態は続いているように思う。間もなく閉店に追い込まれるのは間違いないだろう。 メディアは、“提灯持ち”だからアホノミクスを持ちあげ、百貨店売上のたった2カ月の上昇を大きく囃し立てているが、株価が上昇しているだけで実態はまださびしい限りだ。 キプロスのとんでもない銀行救済策(借金を棒引きするという徳政令というのは聞いたことがあるが、銀行に預けた金を自動的に徴収するというのは暴挙としか言いようがない)は、賛成が1票もないという議決で否決されてしまった。これはキプロスという小さな国の問題だけでなく、EUという大きな国の政策に対する不信感につながると思う。 これでは、今の円安・株高というのは束の間の幻になってしまうのかもしれない。わたしの幻想でなければよいのだが…
今朝の日経のトップ記事は、南海トラフ地震が発生した時の、被害想定についてのものだった。想定される最大規模を9.1とし、その場合死者32万人、経済的被害220兆円を試算している。国家予算の2倍以上損害となるのだが、“対策を講じれば”被害は110兆円まで減らすことができるという内容である。
2003年に政府が公表した、東海、東南海、南海の3連動地震の被害想定は81兆円だったから、被害想定額は2.5倍に膨らんだことになる。政府は「デフレからの脱却」を旗印に掲げているが、被害想定では充分デフレを抜け出したということか。 役人が出す予測値については、私はいつも眉に唾してみることにしている。特に事業の経済効果の予測値などは、予測ではなく“願望”だと思っている。東京湾アクアラインの時の“予測”などはその典型で、5千円の通行料金でこれこれの台数が利用するから、建設費はこれだけの期間で回収できるという予測ならぬ願望を振りかざし、事業化に結び付けたものだと思っている。 この予測値の最も大きな誤りは、消費者の“値ごろ感”を全く無視した点にあったと思う。5千円という当初の価格設定は、競合するフェリーの価格と同じレベルであり、時間を大幅に節約できるからという要素も踏まえての価格設定だったと思う。私も開通当初早速利用してみたが、直観的に感じたのはチョッと高いというものだった。 消費者感覚として、高速料金は「1分間100円」というものがあると思う。1000円の高速料金を支払ってもよいと思うのは、10分から15分走った時であり、10分の走行に5千円を支払うというのには抵抗を覚えるのである。冷静に考えると、いくら時間を節約できるからということになるのだが、アクアラインの開業以来しばらく続いた不振は、この消費者の値ごろ感からのズレにあったと思う。 経済効果の試算は“願望”という見方は正しいと思っているのだが、被害想定額も同じようなことが言えるのではないだろうか。特に今回の算定の味噌は、“必要な対策”を講じたらという点にある。政権は国土強靭化対策として、10年間で100兆円を投入する計画を打ち出している。“必要な対策”をとることによる被害の想定減免額は110兆円であり、10兆円のおつりがくる勘定だ(“本当に必要な対策”は100兆円では治まらないような気がするのだが)。 被害想定の難しさは、どんな被害になるかは誰もわからないことだ。想定外の事も起こりうるだけでなく、実際の被害は想定内に留まるものも数多く起こりうる。政府が出した数字を見ても、「そんなものか」という感想しか持ち得ないのではないだろうか。 もう一つの問題は、こんな大きな被害がいつ起こるのかわからないということだ。最大規模を東北の大地震9.0よりも大きいマグニチュード9.1としてのものだが、次の3連動地震では8クラスかそれ以下かもしれない。発生確率についてはこれから“検討する”とされているのだが、1千年に一度というものに巨額の費用をかけることが必要なのだろうか疑問だ。保険にしてはあまりにも大きすぎるように思うのだが。 WBCでは3度目の奇跡は起こらなかった。東京ドームでのオランダ戦で、ドームランを連発してしまった後遺症が出たと思う。昨日の試合は8三振を喫したが、全て空振りの三振で、低めのボール球を振ってのものだった。福岡ドームで2次ラウンドもやっていれば結果は違ったのではないだろうか。 それにしても、プエルトリコのキャッチャーは流石にメジャーでのナンバー1と言われるだけの事はある。
BSの海外ニュースを見ていると、相変わらず新しいローマ法王の動向がトップニュースとして流れている。ヨーロッパの人にとって、それだけローマ法王の存在が大きいということなのだろうが、日本語の通訳では呼び名が変わっている。
コンクラーベで白い煙が上がった直後のニュースでは、「フランチェスコ1世」と呼ばれていたように思うのだが、翌日から「フランシスコ1世」というように変わっている。法王の意思を示すものとして、自分を何と名乗るのか注目されていただけに、そんな大事な名前をすぐに改名するものとは思われず、“日本語の読み方”を変えたものと思われる。 シーザーとカエサルのように同じ人物でも、言語によって読み方は異なることはよくあることだ。フランチェスコと読むかフランシスコと読むのかも、言語の違いだと思うのだが、日本のカトリック教会の主流派が採用している呼び方に統一したものと思われる。何語が主流なのか興味あるところだが、スペイン語ではないかと推測している。 聖フランシスコは、サンフランシスコになる。今日から行われるWBCの決戦の場所である。カリフォルニアはアメリカがメキシコから分捕った地域であり、地名にはメキシコ時代から引き継いだものが多く、サンフランシスコもその一つであることからスペイン語だと推測されるのだが、「フランチェスコ(フランチェスカだったかもしれない)の鐘が鳴る」という懐メロの響きの方が私には心地よさある。フランチェスコというのは何語の読み方なのか気になるところではある。 今日もこのところ恒例となっている爆弾低気圧の通過で、今朝から低気圧に向かってゴーゴーと南の強風が吹いている。外出するには、強風が吹き抜けるバイパスを渡らないといけないので自粛し、新法王ゆかりの地での準決勝をじっくり観戦することにする。
若いころ、仲間からよく言われた言葉に「お前は2σ外だ」というものがあった。統計的品質管理で用いられた正規分布の考え方からすると、標準偏差の2倍の範囲にあることが“正常値”とされ、それを超えるはみ出した部分は“異常”と見なされ、常識と違った見方をする私の言動に業を煮やした仲間からの指摘だった。
2σ内とは95.45%の範囲に入ることであり、約5%が2σ外=滅多に起こらない確率となるのだが、中国の各組織のトップを決める投票で掟破りが登場した。中国で投票により是非が問われるというのは不思議な話だが、信任投票の色彩が強いものだろう。一昨日の国家主席の投票では、99.97%というトリプルナインを超える“信任の強さ”が示されたのだが、各省庁のトップを決める昨日の投票では異常値が出現したようである。 今朝の日経の記事によると、反対票と棄権票を合わせた数値が、環境保護相(こんな名称の組織が存在するというのはブラック・ユーモアとしか思えないが)、住宅都市農村建設相(これも脈絡のない言葉が並んでいる組織だと思うが)が7.4%、教育相が5.7%となり、「反対票 異例の多さ」という見出しがつけられている。 多いといっても7%を少し超えたに過ぎず、2σ外に近い数値だから普通の常識では無視されるレベルなのだろうが、これを「異例の多さ」として取り上げられざるを得ないのは、“異常な国”の出来事だということか。 |
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