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今朝は一昨日からの南風が相変わらず強く吹き、暖かいが雲行きは怪しい。
天気図をみると日本海にある前線に沿って次々と低気圧が通過しており、今晩は前線が南下して雨模様となりそうである。
今日は昼からお茶事の勉強のための会を開くことになっており、帰りの天気が心配だ。

私が茶道に関心を持つようになったのは、以前にブログで書いた司馬遼太郎の「西洋的な執事の文化によるおもてなしの心と、茶道による日本的なおもてなしの心」という指摘で、“一座建立”という言葉を知った時からである。

この言葉が私の琴線に響いたのは、住宅メーカーの仕事で住まいのCSについて研究した時、住宅のCSは消費者の住まいについてのリテラシーに大きく左右され、メーカー(提供者側)だけではだめで、消費者の協力なしではCSの獲得がなし得ないということがわかったためである。

売り手(主人)と買い手(客)が一緒になって満足を創り出す、“一座建立”の世界がどのようなものか、今からわくわくする気分である。

こんなことを書きながら、NHKの「経済羅針盤」を見ていた(聞いていた)ら、JRのキヨスクの一時閉店が話題になっていた。以前このブログでも八丁堀駅のキヨスクが午後の時間帯が閉店になっていることを書いたが、今東日本のキヨスクの2割程度が一時閉店になっているそうである。

その原因は、それまでのベテランを希望退職で削減し、人件費の安いアルバイトで賄うことにしたが、最近は従業員の確保ができなくなり、店を開けておくことができなくなったためとされている。人余りの時代から人手不足の時代へと移り変わる兆しではないだろうか。低賃金の人件費を活用したビジネスモデルは成り立たなくなるかもしれない。
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今日は昨晩からの南風が強く、暖かい。1時の気温が20度あり、上着はいらない快適な気候である。自宅のある稲毛海岸は東京湾の東奥に位置しているため、南西風のときは特に風が強く感じる。

これだけ風が吹くと釣り船はほとんどがお休みとなる。折角の休日に稼ぎそこなうことになり、釣り船の経営も自然相手とはいえ大変である。
雨降りは寒いのを我慢すればカッパで凌げるためにそう問題はないが、船釣りに風は大敵である。
長い仕掛けの取り扱いに苦労するし(すぐにからまってしまい、絡みをとろうとして手先だけ見ていると船酔いしやすくなる)、
立って竿を操っているとうねりのために踏ん張るのが大変である(無理な体勢を強いられたため腰を痛めてしまい、3日間仕事ができなくなったことがある)。

ポイントに着くまでも、追い風ならよいが向かい風の中を走ると大変である。波に向かって突っ込んで行くため、頭から一杯水をかぶることとなり、快適なクルージングとは程遠いものとなってしまう。
それでも北風のときはまだうねりも少しましであり、出漁する船宿も多いが、南風ではほとんど釣りにならなくなってしまう。

南風の時の問題はこれだけでなく、魚の食いも落ちてしまうのである。上手な人は食い渋りの中でも何とか物にするが、腕が悪いと食い渋りではどうにもならなくなってしまう。この原因は水温が低下するためである。水温が下がると魚の活性が弱まり、餌を追わなくなるのである。

南風が吹くと地上では暖かくなるのに、海の中では水温を下げる働きをするのである。不思議に重い何人かの船頭に尋ねたが、説明できる人はいなかった。釣り雑誌を見ていたら、コラムの記述でようやくそのメカニズムがわかった。

その理由はこうである。北風は太平洋側では陸を越えて吹き下ろしてくるため、鬼面を押さえつけるような風になる。一方、南風は沖合いから陸に向かって吹き上げる風になり、うねりも高くなるのである。南風は海面だけでなく海の底から攪拌し、冷たい底潮が混ざるため水温が低下するのである。

房総沖で南風が吹く時の条件は二つある。低気圧に向かって風が吹くため日本海側を低気圧が通過する時か、高気圧は時計回りで風が吹くため常磐沖方面に高気圧がある時の二つである。
この理屈が分かってからは、天気図を真面目に見るようになった。日本海側に前線がある場合は、釣りに出かけるのをあきらめるようにしている。

仲間と何人かで出かける時は、前もって予約したり、約束をしたりしてから出かけることになるので、事前の天気図チェックができず、南風に遭遇することになってしまう。そんなこともあり最近では釣りに出かけるのはほとんど一人である。
決して釣果を知られるのがいやで一人で出かけるのではない。

今日は良い天気で暖かくなりそうだ。「春に3日の天気なし」という諺があり、明日はもう下り坂になりそうである。

楽天がソフトバンクに3連勝した。地元での3連勝は創設3年にして初めてだそうで、春の椿事である。しかしこの3連勝の主役はいずれも若手投手陣であり、春の椿事では済まされないかもしれない。何しろ監督が、「弱者の戦略」に長けたあの人なのだから。

私は、野球の贔屓球団は何回ホークスであった。小学校の頃、親父に連れられてよく野球観戦をした。甲子園をはじめ西宮、難波の大阪球場、森之宮の日生球場と藤井寺以外の関西の野球場には何度も足を運んだものである。親父は巨人フアンで、周りの大人も巨人フアンの方が阪神フアンよりも大分多かったように思う。今の関西の状況とはかなり違う。

その中で、私は南海ホークスのフアンになった。試合前に食べる大阪球場のカレーライスが口にあったのも大きな理由だが、子供の頃からへそまがりで、皆とは違うことに生きがいを感じていたのもある。南海フアンになったのは昭和31年の頃からだったと思う。その前年の日本シリーズで、南海は3勝1敗から巨人に3連敗して大逆転を喰らったのだが、悔しい思いが残っていないので次の年からフアンになったのだと思う。

31年からはそれこそ悔しい思いの連続で、西鉄に3年連続チャンピオンの座を奪われていた。何年であるかは忘れたが、オールスターの頃までに10ゲームの差をつけていたのに逆転されたことがある。昭和38年にも同じように逆転されたことがあり、勝負は最後まで分からないという教訓になった。

そのような中で、34年に杉浦が38勝4敗という信じられない成績をあげ、日本シリーズでも4連投の大活躍をして優勝した時は天にも昇る心地であった。日本シリーズが終わったあと、南海電鉄が経営する岬公園でサイン会があったので連れて行ってもらった。

狭いとはいえ、大阪の東の端から南の端まで行くために、2時間はたっぷりかかった。さらにサイン会にでかけるのだからということで、心斎橋の大丸に立ち寄り色紙を買ったため、岬公園に着いたのが午後もかなり時間がたってからだった。

会場に着いた時、丁度サイン会が終わったところで選手が歩き始めた時だった。歩いている選手に対して色紙を持って必死になって突貫していったが、すげなく拒否され背中を思い切り叩いたのを鮮明に覚えている。子供にとってとてつもなく大きな背中だったのだが、その背中の持ち主が野村だった。

サインを断った憎いやつとして野村嫌いにはならず、背中の大きさに惹かれてその時から野村フアンになった。ちなみにそれまでのご贔屓選手は、後に近鉄の監督になる岡本二塁手であった。それ以来三冠王になった時や、プレイングマネジャーとして優勝した時は多いに感激したものである。

鶴岡に南海監督を更迭されてからも、常に野村ウォッチャーを続け、南海フアンもやめた。ヤクルト、阪神の監督時代を通じて彼はいつも「弱者の戦略」を提唱し、ヤクルトでは見事にその成果を出した。彼は戦略家であると同時に選手育成の名人であると思っている。阪神が優勝争いの常連になったのも野村の発掘した遺産が大きいのではないだろうか。

プレーオフ制度は弱者の戦略にはもってこいである。若手を育てながら3位を狙い、その先をどう戦うかが見ものである。
今朝も雨模様で、寒い。現在の気温は7度、冬に逆戻りしたような機構はどうやら今日までのようで、明日からは暖かい日が戻ってきそうだ。

楽天の田中がプロ初勝利をあげた。初回いきなり3連打を浴びさらに4球を与えて無死満塁のピンチに、後続を3連続三振に討ち取ると勢いづき9回を2点に抑えて見事な初勝利である。一昨日も新人投手が勝利を挙げている。今年の楽天は一味違うが、その秘密は同じく新人の嶋捕手にあると思うのだがどうだろうか。

話は変わるが真山 仁の「ハゲタカ」を読み終えた。ハゲタカと「バイアウト」を改題したハゲタカⅡで各々が上下巻で都合4冊である。NHKでテレビ化され、今年の初めに土曜ドラマとして6回シリーズで放映されていた。
テレビでは1回目を見たがそれほど面白く感じなかったので、2回目以降は見なかった。

それがテレビ放映と同時に書店でも大きく取り上げられており、つい上巻を買ってしまったのである。昔は上下に分かれているものは必ずセットで購入したのだが、最近は賢くなって上巻だけを買うようにしている。このような話題になっている本は、図書館ではまず借りることができないので、上巻だけを買ってみた。

読み始めると、期待した以上に面白く一気に上巻を読み終えて、下巻を買い求めて読み出したが、何か上巻とはテンポが違い戸惑いを覚えた。30ページほど読み終えてやっと分かったのは、読んでいたのは「ハゲタカⅡ」の下巻だった。あわててハゲタカの下巻を買い求め、話がつながった。登場人物は同じなので、読んでいて中々気がつかなかったのだ。紛らわしいタイトルの付け方はやめて欲しいものである。

中身は投資ファンドの活動を描いた経済小説の分野に入るものだが、ビジネスの世界に題材をとっており、リアリティがあって読みやすかった。
小説としての面白さと同時に勉強になることが多く、ストーリー展開の妙もあって一気に読むことができた。

例えば、主人公が改正会社法について語る場面では以下のように記述されている。
「専門的にいえば、今回の改正では、従来の“大陸法”から“英米法”に変わった。つまり、従来の事前規制型から、裁判による決着を重視した事後判断型のなったということだ。もっと簡単に言えば、従来が“せよ”“するな”という法律だったものが、“しなくてもよい”という自由と選択の法律にかわったということだ」
なるほどなと納得させられた。このような箇所が随所に見られ、随分と勉強になった。

4冊読み終えたのだが、巻末には …to be continued とされている。次回が楽しみだ。
国際政治の問題点を学ぶには、「ゴルゴ13」を読むのが一番手っ取り早いと言われたことがある。ビジネスの世界の問題点を把握するには、「真山 仁」の経済小説を読むのが手っ取り早い方法かもしれない。
今朝も曇天で寒く、今の気温は8度である。昨日と同じレベルである。

昨日はアメリカで32人が死亡する銃の乱射事件が起こり、「銃社会アメリカ」の問題点がまたニュースとして取り上げられたと思ったら、夜には日本でも銃による事件が発生し、やりきれない思いがする。

アメリカの事件は、最初の2人の事件と30人の大量殺戮との間に2時間のタイムラグがあった。その間に危機管理が徹底されていたならば防げた可能性があるが、その間に大学側が行ったのはメールによる曖昧なお知らせだけで、メール社会の問題点が浮かび上がったような気がする。

ところで、日経の朝刊の首都圏版に「東京DC地区構想」の記事が掲載されていた。地方分権推進委員会で、作家の猪瀬直樹委員が提唱したもので、東京23区の半分を特別区(DC)にするというものである。

猪瀬氏は道路公団の民営化に際しては委員として活躍し、議論の内容を全て公開させるなど(政府のHPに掲載された議事録は中々面白い読み物だった)、見所がある人だと思っていた。しかし、最後に落としどころを優先させた活動をし、曖昧な「焼け太り」を生み出すような行動をとったため、私としてはXをつけていた人物である。

今回の彼の提案は、東京23区を分割し都心の12区を政府直轄のDCとし、残りを人口80万人程度の7つの政令市とするものである。DCにすることにより、このエリアの法人税1兆5千億円を地方に再配分する原資に当てられるというものである。

バブル崩壊以降の地域間格差の拡大は、東京への過度な集中がもたらしたものといえる。今東京の企業で働いている人の半分は、地方で生まれ育った人たちである。育つまでの経費は地方が負担し、納税という果実を生み出すようになった途端に東京にさらわれてしまった人が多く、このアンバランスが地域格差の要因の一つであると私は思っている。

このアンバランスの解消策として、DC構想は面白い考えだと思う。少し猪瀬氏を見直すことにする。石原慎太郎がどのような反撃に出るか、作家同士の対決が見ものだ。


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