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暑さで眼が覚めてしまった。アメダスによると4時の気温が28度、朝刊を取りに外に出ると風もほとんどない。昨日は出かけることがなく、ずっと自宅に居たのだがたまらずエアコンを点けてしまった。

やせ我慢の限界であるのだが、千葉の最高気温は35.3度で今年一番だったのだから仕方がない。今日は昨日よりもさらに暑くなりそうだが、外出するのでエアコンのスイッチを入れなくても済むような気がする。

佐伯泰英の「居眠り磐音江戸双紙」(双葉文庫)は、現在まで26巻刊行されているが、5月から読み始めてようやく読み終えた。7月に入ってピッチがあがり1ヶ月に15冊は読んだと思う。

出かけることが多く、行き帰りの電車で読むことが多かったせいではかどった。舞台設定が江戸の市井であり、会話のテンポがよいのが、一気に読みきった理由だと思う(途中で主人公が博多の街に滞在して活躍する場面があるのだが、博多弁のテンポはなじみにくかった)。

池波正太郎の鬼平や、藤澤周平の用心棒日月抄の人情の機微に、眠り狂四郎の凄腕が加わったような小説である。本の帯に740万部突破と書かれているが、マイナーな出版社のシリーズにもかかわらず、書店での取り扱いをみると間違いなくベストセラーである。

書店で巻を間違えないように選んでいると、同好の氏に声をかけられたことがある。私と同年輩の男性であり、このシリーズの読者層は間違いなく団塊の世代の男ではないかと思う。主人公とそれを取り巻く人々の人間関係や、主人公の颯爽とした活躍が団塊男の琴線に触れたのだろう。

テンポの良さ以外に読みやすかった理由の一つは、活字の大きさにあると思う。通常の文庫本の活字よりも一回り大きく、中高年にとって嬉しい活字の大きさである。一昨年から昨年にかけてほぼ1年で司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズ43冊を一挙に読み進めることができたのも、大判の活字のお陰である。

読みやすさがいかに大事かを感じさせられる。

作者は2000年代に入ってから、時代小説のシリーズものを書き始め、8年間で文庫書下ろしを100冊以上書いている。読んでいて感じられるのだが、登場人物に“生活”させており、生活を通じてストーリーが展開させられているので、多作が可能なのだろう。

磐音のシリーズと同時に、テレビでも放映された「密命」のシリーズも読み出したのだが、磐音のイメージがあまりにも強かったので途中から磐音一本に絞り、密命は6巻でストップしている。

今後も磐音のシリーズは3ヶ月に1冊の割合で出版されると思うが、チョロチョロ読むのも嫌なので、何年か先にまとめて読むことにする。

今日からは、読書のパターンを元に戻して、色々な分野の本にチャレンジしたい。まずは、先日鹿児島に出かける時に空港で買い求めた「渋滞学」の本を読むことにしよう。
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アメダスの7時の気温が既に29度ある。ただし、風があり気温ほどの暑さは感じない。昨日も34度になったが、エアコンの助けがなくてもすごすことができた。今日も35度を超えなければエアコンは利用しないで済むと思う。

日経新聞の世論調査結果が今日の朝刊に掲載されている。内閣支持率は6月末の26%から38%へと大きく上昇している。昨日のブログで触れた読売の調査結果に酷似している。読売と日経の読者層はかなり乖離があると思うのだが、政党に対する好みは近いようだ。

共同通信の世論調査結果では、26.8%から31.5%への上昇という結果になっている。これまでの4社の調査結果を見ると、前回(6月末~7月上旬)は各社とも20%台半ばで拮抗していたが、内閣改造に対するリアクションが違うのである。

心情が自民党よりか、民主党よりかによってリアクションが異なるのだろう。これまでの支持率の推移をみると、朝日、毎日が先行して支持率の低下を映し出し、読売、日経、NHKの3社の調査結果は何ヶ月か遅れて低下し、この数ヶ月は極めて近い水準に落ち着いたと見ることができる。

世論に押されて、内閣への支持率を引き下げてきたものの、内閣改造に期待をかけるという心情自民党の顔が垣間見えた結果ではないだろうか。

毎日新聞の調査結果はまだ発表されていないが、読者層が心情民主党であるならば、おそらく朝日と同様に支持率の上昇はほとんどないものと推測される。

9月から10月にかけての世論調査結果が、きたるべき衆議院選挙の趨勢を決めると思うのがどうだろうか。

居眠り磐音江戸双紙25巻を読み終えた。7月に外出する機会が多く、1ヶ月で15冊を一気に読んでしまった。磐音のことについて書くつもりだったのだが、世論調査の事が気になったので明日にまわすことにする。
昨日は朝から気温が高かったものの、雲の量も多く、32度まで上昇することなく、風もあってエアコンのお世話になることはなかった。今日は、8時の気温が29度で、千葉県内のあちこちで30度をすでに超えている。今日は34度あたりまでいくのではないだろうか。

今朝のあらたにすを見ていると、内閣改造に伴う緊急世論調査の結果が朝日と読売に掲載されている。朝日新聞の内閣支持率は24%、読売新聞は41%となっている。

世論調査結果の偏りについては、何度もこのブログで取り上げてきたが、今回も偏りが顕著に現れている。24%というのはいつ倒れてもおかしくない状況が続いているし、41%の支持はぎりぎり合格点を与えられる数値に回復したと見られる結果である。

電話調査を行う時に、実施主体者を名乗るが、主体者に好意を持つ人は回答するが、朝日嫌いや読売嫌いの人は回答を拒否する可能性が強くなる。朝日と読売の読者層では相当距離があるといわざるを得ないだろう。

絶対値の比較は無理なため、時系列での変化を見ようとしても、直近の調査との比較では朝日は24%→24%と全く替わらないのに対して、読売は調査方法が面接だったとはいえ前回の26%から41%へと大きく好転しているのである。

調査を生業としている者にとっては、看過できない問題である。調査に協力する人の偏り、調査手法、設問の仕方など調査結果がゆがむ要因はいくつもある。これらを通して“データの癖”を読み取る必要がある。今回の両者の調査結果はこの“データの癖”が顕著に出たものと見ることができる。

間もなく毎日や日経、共同通信、NHKの調査結果も公表されると思うので、この問題をもう少し考えてみたいと思う。

メディアの側も、調査結果を垂れ流すだけでなく、この問題についての見解を公表すべきではないだろうか。

この問題解決のためには、新聞協会などの中立機関が調査主体となって同時期に調査を実施し、「真の値」(といえるかどうかは怪しいのだが、メディアの名前を明記する調査よりも中立的である)との乖離を見るしか方法はないのではないだろうか。

今日は朝から気温が高く、9時で29度ある。多分35度近くまで上がり、今年一番の暑さになりそうだ。いよいよエアコンの出番だ。

福田内閣の顔ぶれを見ると、派閥のボスが顔を揃え、清新さとは程遠い陣容になった。支持率の浮揚はこの人事では無理だと思う。平均年齢が62歳の内閣で、よくみる自治会の役員の年齢構成に似通っているように思う。

日本人の平均寿命は、女性が86歳で世界一、男性は79歳で世界第3位ということが先日発表された。内閣の顔ぶれを視て平均年齢が何歳になっているのかを調べてみた。

2005年の国勢調査によると、43.3歳が日本人の平均年齢になっている。我が家は6人家族で、24歳と22歳の息子、19歳と18歳の娘がおり、平均年齢はただいまのところ32.1歳であり、日本人の平均より11年若い世帯ということができる。

国勢調査の第1回は1920年(大正9年)に実施されている。そのときの平均年齢は26.1歳になっている。今よりも17歳も若かったのだが、55百万人の人口のうち20百万人が15歳未満の子供が占めるという時代であるため、平均年齢は当然若くなる。

戦前は26歳前後で推移し、戦後も1950年には26.1歳と1920年と全く同じであった。それが1955年に27.1歳と5年間で1歳伸びたのをきっかけに、5年間で1歳をチョッと超えるペースで上昇し、1970年にはついに大台を突破し31歳になった。

70年以降は上昇のテンポが早くなり、80年には33.4歳、90年には37.9歳、2000年には40.9歳と30年間で10歳平均年齢が高くなっているのである。

この推移を見て気づいたのは、80年代の方が90年代よりも上昇幅が1.5歳大きいことだ。これは85年から90年にかけて2.8歳と平均年齢が大きく上昇したことによる。バブルの頃で、今から20年前に少子化に向けてギアチェンジが行われたことを意味すると思う。

バブルの頃に少子化が進むようになったのは何かを考えることで、少子化対策を考えることができると思う。もう少し分析してみたい。

我が家の平均年齢は32.1歳だが、構成が変わらずに推移すると10年後には42.1歳と、現在の日本の平均近くに到達する。しかし、誰かが結婚し、仮に2人の子供が誕生したとすると平均年齢は相変わらず32歳前後をキープできることになる。子供たちの行動を見ていると、10年後の平均年齢は42歳になりそうなのだが。

国全体の活力を考えると30代中盤くらいが、適当な水準だと思うのだが、このまま放置すると日本人の平均年齢が50歳になるのもありえない話ではない。

財政建て直しのために、2010年にプライマリーバランスをプラスにすることを目標にしているが、現状ではかなり厳しい状況になっている。平均年齢が43.3歳と国全体が“不惑”に差し掛かっているため、当然の結果だと思う。

2020年までに、日本人の平均年齢を42歳に引き下げるという中期目標を立てて、政策を考えるべきではないだろうか。今の日本に閉塞感が大きく漂っている根本原因は、行き過ぎた少子化の進展にあると思う。

この問題解決は政治の仕事である。この間の5つの安心プランや、内閣の顔ぶれを見ているとそれが期待できそうにもなく、不安が募るばかりだ。
今日は書きたいことが3つある。1つは内閣改造だが、現在の政治の停滞、いや後退を考えると、解散総選挙の方が優先されるべきで、小手先の内閣改造だけでは支持率の低下に拍車をかけるだけだと思う。

2つ目は、住民台帳人口が公表されたことである。自然減がいよいよ本格的に表れだしたこと、75歳以上の後期高齢者人口が1割を突破し、まもなく15歳以下の子どもの人口を追い越しそうなこと、1年間の増加率で東京が最も多いこと(増加数でなく率でも東京が一番になった)など、政治の力で解決すべき課題が山積している。

3つ目は、北京五輪の野球のタイブレーク制度の導入が決まったことである。これに対して、大会直前のルール変更は問題だとして、日本が猛反発していた。

ルールの変更は、時としてその競技の性格・本質をがらりと変えることがある。最近のルール改正では体操が減点法から加点法に変わり、オールラウンダーからスペシャリストへと選手に期待されるものが大きく転換している。

レスリングも3セット制度で、従来のフォールを目指すスタイルから、セットを獲得するということに主眼を置いた別の競技になった感がある。

日本のスポーツ界はこのルール改正に度々泣かされてきた。90年代に世界を席巻したスキーのジャンプや複合競技はその代表的なもので、スキー板の基準の変更や、複合のジャンプの換算方法が変わったことによって、2000年代以降日本の凋落は著しい。

野球のタイブレーク制度は、競技の本質を変えるほどのものではなく、日本にとって有利不利を論じるようなものではないと思う。そもそもタイブレークは中々点が入らないソフトボールでスタートしたものであり、点が沢山入る野球にはそぐわないものだと思う。

野球はロンドンでは正式種目から外れているが、その理由は試合時間の長さ(長いだけでなく不確定)が際立っており、五輪を支えているTVに不評であることが大きい。

五輪仕様の代表はトライアスロンである。本来トライアスロンは3キロの水泳、200キロの自転車、42キロのフルマラソンで6時間を超える競技のため、五輪やW杯は1.5キロの水泳、40キロの自転車、10キロのランと2時間程度で収まるものに変えられてしまっている。当然選手の資質が違っており、別の競技と考えたほうがいい。

それに野球の場合は、人数の多さ(1チーム24人の選手というのは桁外れに多く、同じように人数の多いラグビーは7人制での五輪参加を考えているほどだ)や、施設の普及の点から外されたのである。

そのうちテレビを意識して、9回という回数の規定ではなく、時間を限った制度になるかもしれない。試合時間を1時間とし(選手交代や攻守交替の時間はカウントしない)、決着が付かない場合は、サッカーのPK戦のようなタイブレークが行われるようになったら、なんだかアメリカンフットボールに似たスポーツになってしまうのだが。



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