忍者ブログ
[229] [230] [231] [232] [233] [234] [235] [236] [237] [238] [239]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

東野圭吾の「新参者」を読んだ。このところ時代小説に嵌っていたのだが、人形町を舞台にした警察物ということに興味が惹かれて読むことにした。

人形町では15年ほど仕事をしており、“土地勘”がある場所である。明暦の大火までは吉原があり、吉原が移転した後も市村座などの芝居小屋があり、江戸時代の繁華街で現在の新宿の歌舞伎町のようなところだったと思う。戦火にもあわず、一歩横丁に入ると昔ながらの佇まいが見られ、食べ物屋も多く好きな街である。

「新参者」は、日本橋署(実際に人形町にあるのは久松署で、駐車違反で何度かお世話になったのだが)の刑事が主人公で、一つの殺人事件を軸に、いくつものエピソードが短編小説の連作風につらなる小説であり、一つ一つのエピソードが味わいのある話になっている。

気に入ったのは、主人公の“観察力”である。冒頭で、甘酒横丁を通る人たちが、浜町よりに向かう人たちは上着を手に持つ人が多く、逆に人形町通りに向かう人は上着を着ている人が多いというくだりがある。

浜町のオフィスに戻る人は外回りの帰りであり上着を脱いでいるが、人形町通りに向かう人は冷房の効いたオフィスから帰宅する人であるということらしい。これがアリバイに関係するのだが、子供の頃読んだシャーロック・ホームズを想い出させる。

随所にこのような観察に基づく話が出てきて、なるほどと納得させられるのだが、さらにこの小説で納得させられたのは伏線の張り方の妙である。

推理小説には伏線が極めて重要なものになるが、余計な伏線が一杯ある小説があり、読んでいてくたびれてしまうものが多い。この小説は無駄な伏線がなく見事に料理して結末につなげており、作家としての腕の冴えを感じる。

東野圭吾の小説は初めて読んだのだが、上田秀人が間もなく終わるので、年末・年始は東野圭吾をじっくり楽しんでみようと思う。

PR
新政権の軋みが徐々に現れてきたようだ。内閣の右往左往振り、与党の傲慢さが目立ってきている。内閣の混乱は、まとめ役の官房長官が頼りないこと、目玉である国家戦略室の活動が鈍いことがその要因だ。

特に、新しい政権の司令塔であるはずの国家戦略室が、何をしようとしているのかがさっぱり見えず、菅戦略相の答弁やコメントは、経済担当相(かつての経済企画庁長官)に終始しており、「国家戦略」という匂いは少しも感じられない。

与党も、小沢幹事長の下に専制体制が敷かれているようで、陳情の窓口一本化や新人議員の統制など、どこかの独裁国家を見ているような気がする。うるさい連中のほとんどを内閣に追いやり、権力の集中が図られると、側近政治がはびこることになる。

内閣の右往左往よりも、私にとっては数段気になる事態の進行なのだが、臨時国会の運営ぶりなどを見ていると、どうもそんな気配が感じられてならない。

これに追い討ちをかけるような、急激な円高(円が強くなったわけでなく、ドルが弱くなったのだが)やデフレの進行、首相の資金疑惑の進展(偽装問題から贈与税の脱税問題に拡大しそうで、脱税行為となるとこれまでとは話の次元が異なってくる)と、対処を誤ると政権の致命傷になりかねない問題が続いている。

事業仕分けで多少点数を稼いでも、内閣の拙さと、側近政治の傲慢さが目立つと、支持率の急降下は避けられまい。新政権のハネムーン期間は3ヶ月とされている。後1ヶ月は猶予があるはずなのだが、その1ヶ月が短縮されるような風向きになってきたように思う。
今月に入って検索サイトからのアクセス数が最も多いのは、11月1日に掲載した「研究開発費の事業仕分けへの危惧」であり、今朝までに11件もあった。

昨日は、ノーベル賞受賞者や兄弟の山中教授の記者会見のニュースが大きく報じられ、アクセス数はさらに増えると思われる。

鳩山首相や、菅国家戦略相はこの問題に対して、「政治的判断」をすると語っている。「悪いようにはしないから」という大人の解決をすることを言外に匂わせている発言だが、そんな軽いものではないと思う。研究開発は国家戦略の1丁目1番地であると思うからだ。

製品開発に直接結びつく研究開発は成果を求められ、発展させる応用・改良研究は効率を求められることになる。しかし、根源的な問題を研究する基礎研究は、成果や効率の制約を与えても無理であり、ムダの中から成果が生まれるという、「下手な鉄砲も数撃てばあたる」方式が必要なものであると思う。

その意味でスパコンの開発は、成果や効率が問われてしかるべきである。一方、ムダ弾を撃ち続けなければならないものについては、予算の制約がある中では分野を絞ってムダ弾の供給をする必要があり、まさに国家戦略だ。

担当大臣は素早く方向性を示すべきであると思うのだが、「国の形」を考えてから研究開発の指針を示すのか、研究開発の方向を示すことによって「国の形」が明らかになってくるのか、どちらなのだろうか。
千代大海がついに大関から陥落した。13度の角番をしのいでいたがとうとう14度目の生還はならなかったわけだ。

この数年九州場所の観客の入りはひどいもので、NHKのカメラも随分気を使った放映になっている。観客の声援も「魁皇コール」だけがやたらと目立つだけで、随分静かな土俵が続いている。

それもこれも、日本人力士がだらしないためであり、特にその象徴が何度も角番を繰り返してきた大関だ。

私が子供の頃の大関の角番は今より緩やかで、2場所連続して負け越した時だったと記憶している。年に4場所の時代であり、随分大関というのは優遇されているようだった。

これが1場所の負け越しで角番ということになり、10回を越える角番をしのぐ“猛者”が出現するようになって、“大関の格”が著しく低下するようになったのだと思う。

角番の頻発が土俵の緊迫感を失わせる大きな要因であるとするならば、角番制度を改正する必要があると思う。ケガによる休場もあるだろうから、5度目の角番は自動降格ということでいかがだろうか。

このところ、株式市場が低調である。世界の株式市場が上昇を続けている中で、日本市場だけが下げ基調であるというのは異様な姿である。

この原因は、大型増資が相次ぎ、密度が薄くなっていることが大きな原因とされている。自己資本増強に走るメガバンクや、年末の資金調達に走る大手メーカーによるもので、増資に資金が流れたために、一般の株までお金が周らなくなったための株安である。

90年代以降、企業統合が活発になり、特に銀行業界などは14行あった都市銀行は3大メガバンクとリソナ銀行の4つになってしまった。関西出身なので、三和銀行や大和銀行など子供の頃に馴染みのあった銀行は、どこに入ってしまったのかよくわからない状況になってしまった。

「大きなことはいいことだ」という風潮の元に、不良資産で体力に懸念が生じた銀行が、寄らば大樹ということで集まりメガバンクを生み出した。銀行に限らず、メーカーでも経営統合が進み、再建が大きな問題になっているJALもJASを統合した企業である。

大きいことは少しもいいことはないのではないだろうか。私には、恐竜の滅亡が想起される。

巨大企業が誕生すると、それだけ多くの餌を必要とすることになる。国内市場がシュリンクしている中で、多くの餌を必要とするのはリスクを伴うものである。増資の規模が大きすぎて、市場が対応しきれない株式市場はその典型ではないだろうか。

規模が小さければ、餌に見合った身の丈経営が成り立つのだが、大きくなりすぎると身の丈経営が成り立たなくなる。JALのケースに見られるように、大きすぎる企業の破綻がこれからも起きるのではないだろうか。


忍者ブログ [PR]
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
フリーエリア
最新コメント
[11/14 NONAME]
[06/09 元沖縄通♪]
[04/28 元沖縄通♪]
[03/22 ドン・カルチョ]
[03/21 佐野]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
アクセス解析
アクセス解析