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肉体労働者になって1週間が経過した。作業は運送会社の倉庫で、百貨店のお中元商品のセットを作るのがメインである。化粧箱を組み立て、その中にビールやジュースを詰め合わせパレットに積みこみ、崩れないようにラッピングをして一丁上がりである。

作業は同時に面接を受けた7人でチームを作り、13種類のお中元セットに対応することになるが、ビールはまだ商品が入荷していないので、これまではもっぱら箱作りが中心で、商品の詰め合わせはジュースがほとんどである。

チームのメンバーは、20代の男女が一人ずつと、30代から50代の女性が4人に、60代の私という年齢構成になっている。最も重労働なのはパレットの積み込みであり、必然的に私と20代の男性の役割になる。腰が2ヶ月間耐えられるか気がかりではある。

生まれつき手先が不器用なので、箱作りは得手な種目ではなく、力仕事を分担するのはやむを得ないのだろう。最も器用なおばさんは私が箱1個を組み立てる間に2個はこなし、その他の女性も1.5個レベルなので、チーム全体として考えると、積み込みに追いやられるのもやむを得ない事だ。

肉体労働をするのは45年ぶりの事なので、全てが新鮮で退屈はすることはなく、腰さえ持てば2カ月は耐えられると思う。もっとも、最初の休日となった昨日は9時間の睡眠+2時間の昼寝を必要としたから相当ダメージはあるのだろう。

お中元の品物がまだ入荷しないので、配送の部署への手伝いを2時間程度させられた。韓国のアイドルグループが日本公演をした際の限定グッズの発送業務である。我々がやらされるのはピッキング作業で、購入伝票を見て棚から商品を集め、それをかごに入れて梱包作業者に渡すという仕事である。

伝票を見るために眼鏡を少し上げ、棚の商品名を見るために眼鏡を下げるということの繰り返しで、老眼では務めにくい仕事であるのだが、それよりもきついのは動き回る事であり、1時間やると3キロほどは歩く事になる。これを夕方3時から6時までやると、足がパンパンになってしまい、帰り道が辛いことになる。

倉庫は天井が高く、冷房がなくてもそれほど暑さは感じないのだが、今日は30度近くになりそうなのでどうだろうか。

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ブログをしばらく休載したのは、“職探し”に奔走したこと、ようやく職が見つかったが、慣れない肉体労働で、その疲労が抜けきれなかったためである。身体も徐々に慣れ、新しい生活のリズムが生まれたので、更新を続けていきたいと思う。

この数年、仕事は4月から11月ごろまでで、冬場は暇にしている事が多かった。今年の2月には新しい仕事の引き合いもあり、余裕を持って次の冬眠生活を迎えられるはずであった。

ところが、9年続いていた仕事が3月にキャンセルになり、新しい仕事の引き合いも4月になってペンディングと、豊かな冬眠生活の夢が一転してピンチになってしまった。

そこに追い打ちをかけたのが、年金の支給ストップである。偶数月の15日に、年金が支給される。年金は現在65歳からの支給だが、移行期間の特例措置で私の場合は60歳から厚生年金の半額が、64歳になってからは全額支給されていた。

65歳になってからは、会社勤めを辞めてからの国民年金がそれにプラスして支給されるはずであった。10年ほど国民年金の期間があり、月に2万円ほどだが、小遣いの増額には十分な金額である。

ところが、4月の支給日には増額どころか、1円の支給もなくなってしまったのである。慌てて社会保険庁に問い合わせたところ、65歳の誕生月に社会保険庁からはがきが届き、それへの返信がなかったために、国民年金だけでなく、厚生年金の支給もストップしたとのことであった。チラシの山にはがきが埋もれてしまったのであろう。

再開をするには、顔写真付きの身分証明書を持って年金事務所での手続きが必要とのことであった。免許証は白内障が悪化した時に返上しており、パスポートも昨年期限が切れて更新をしていなかったため、身分証明書を持たない事を気付かせられてしまったのである。

途方に暮れていたが、知人から住基カードに写真付きのものがあるという事を教えられ、これを利用することにしたが、申請してから通知の手紙を受け取り、それを持って行って交付を受けるという行ったり来たりの手続きに日数を要し、6月の支給再開のリミットを過ぎてしまった。

社会保険事務所で手続きをした所、8月ではなく7月に支給されるとのことであったが、それまでの生活費を稼ぐため、日銭を稼ぐための職探しとなった次第である。

手続きの遅れで、国民年金の加算分が支払われなかったのはわかるのだが、これまで受け取っていた厚生年金まで支給されなくなったのが納得できなかったので、社会保険事務所に理由を聞いてみた。

「65歳から年金の受給を辞退できる制度があるため」とのことであった。1年単位で辞退することができ、70歳からは上乗せした金額が受給できる制度があり、65歳になった時に返事を出さなかったため、“自動的辞退”とされてしまったのである。

はがきを見せてもらったが、年金番号と、住所氏名を書き、辞退欄に何もチェックを入れないだけで送り返す簡単なものであった。自分のミスとはいえ、こんな些細なことで、約50年ぶりに肉体労働をしなくてはならない羽目に陥ってしまったのだ。チラシの山には用心が必要だ。

先日からようやく、物流倉庫でお中元の梱包作業を始めた。これはこれで面白いので、職探しのあれこれも含めて後日掲載する。

よんどころない事情で、しばらく更新を出来ずにいた。ブログの更新は、朝起きてからの生活のリズムの一部になっていただけに、リズムが乱れて少し体調がおかしくなってしまった。

ブランクが生じてちょうど一月になるのだが、その時は韓国の船の沈没事故を書くつもりでいた。造船や海運関係の仕事を何度か手掛けたことがあり、昨年は海難事故についてのインタビューをした折に、「タイタニック号」の沈没事故で、乗組員の生存者が皆無だった事を聞いたばかりで、いち早く船長が逃げ出し(しかも制服姿でなくパンツ一丁という海の男とは思えないスタイルで)たことへの憤りだった。

しかし、話がまとまらずに途中で断念してしまった。中途半端に放り投げてしまった後遺症が、一月のブランクになってしまった要因の一つだ。ブログを毎日継続するには、テンションを維持しなければならないということを改めて思わされた。

久しぶりにテンションが高まる出来事があった。昨日の「集団的自衛権の容認」について、首相が記者会見で発表した事だ。

会見の中でしきりに首相が強調していたのは、海外における邦人保護であった。国と国との戦争というのは、海外における権益保護がぶつかり合ってのものが多くを占めると思う。邦人保護という錦の御旗を立てることにより、いくらでも拡大解釈が可能なのではないだろうか。

限定的なもので、いくつも歯止めをかけるとしているが、安保法制懇が示した6つの行使条件は、いくらでも拡大解釈が可能なものである。例えば、国会の承認を得るという項目があるが、事後承認でも可能としており、何の歯止めにもならないことは明らかである。

私は、日本の戦争参加への歯止めをかけるなら、政治家の靖国神社への参拝を禁止する事だと思う。韓国や中国が批難するように、A級戦犯が合祀されているから参拝をやめるべきだと思うのではない。

「国のために亡くなった英霊に尊崇の念を捧げる」という言葉を政治家はよくいうが、過去の御魂だけでなく、“将来の御魂”への尊崇の念ではないかと思えてならない。

「靖国で合おう」という言葉は、死語になってほしいものだ。こんなことを書くと、またテンションが下がってしまうのだが…
昨夜のクローズアップ現代は、自衛隊のイラク派遣を振り返ってのものだった。10年前から派遣し、5年前に撤収したのだが、これまであまり検証されてこなかった問題だ。

5年もたって何をいまさらという気分で観ていたのだが、5年を経過することによって気付かせられる事があるように感じた。

イラクに派遣された自衛隊員が、その後自殺した人が28人にもなるということであった。イラクで戦死した人はいなかったのだが、その後自殺した人が28人もいるというのは初めて知った。

調べてみると、国会ではこの問題が07年ごろに取り上げられており、政府の答弁書では07年10月末で16人の派遣された自衛隊員が、現役中に自殺したと報告されている。昨日の報道では28人となっており、この間にさらに12人も増えていることになる。集団的自衛権が政治の大きなテーマになっているが、行動を委ねられる自衛隊の立場からの報道は全くなく、警鐘を鳴らす番組のように感じられる。

しかし、「28人も」と言われると直感的には多いように思ってしまうが、冷静に考えると多いのかどうかの判断は出来ないように思う。よく引き合いに出されるのは、人口10万人当たりの数字である。これをあてはめると、イラクへの派遣自衛隊員は述べ1万人ほどであるから、人口10万人当たりに換算すると280人となる。

2012年のデータでは、21.7人となるから非常に多いように見られるが、これは単年度の数値である。最初に派遣されてから10年になるのだから、自衛隊員の自殺は年換算では28人で、日本全体の数字を少し上回るレベルであると思う。

番組では、自衛隊が記録した1000本もの映像から、イラクでの緊張間の中で活動をするさまが映し出され、戦地のストレス→自殺を想像させるような構成になっており、「28人も」という言葉がより強調されていたように思う。

クローズアップ現代は、気づかされる事が多く好きな番組である。先日放映された無月経と疲労骨折の関係については、指導者でも知らなかった人が多いと思うので、リテラシーを高めるという意味でも有意義な番組であると思う。

しかし、観る側としては、鵜呑みにするのではなく、検証するという手順を踏んだ方がよいようだ。




今朝の日経の一面トップ記事は、企業の健保組合の保険料値上げについてのものである。75歳以上の後期高齢者保健制度を維持するための、“上納金”が増えたためとしている。同じ日経の首都圏版では、千葉県の医師数が2025年には今の36%増が必要との記事が掲載されている。いずれも高齢化によるものである。

人口は経済の基礎インフラであり、昨日も触れた日本の潜在成長力が0.5%と低いのも、人口減少社会の到来により、“人口ボーナス”がマイナスになっているためである(人口が減っているのに、0.5%とはいえプラスの成長力を維持しているのは大したものだという見方もできようが)。

少子化・高齢化がクローズアップされているが、人口問題を考える視点は3つあると思っている。一つは「出生率」で、少子化についてのもの。二つ目は「人口ピラミッド」で、高齢化についてのもの。もう一つは「人口移動」で、過疎化や限界集落という事が典型的な問題事象として取り上げられている。

高度経済成長時代は、前の二つは「団塊世代の人口が少し多い」という認識がある程度で、あまり関心は寄せられず、過疎をもたらすということで人口移動のみに社会的関心があったように思う。

一次産業から二次産業へと産業が大きく転換したためで(60年でも農業就業者数が30%を超えていたが、70年には17%と半減した)、耕作地を離れて工場立地に人が移動したためである。そのため国勢調査で人口減少県が20を超える事態にまでなってしまった。

それが奇跡的に、75年の国勢調査では47都道府県で人口減少県が一つもなくなってしまった。団塊ジュニアの誕生ということもあるが、製造業を中心とした最適配分が完成したこともその大きな理由である。

製造業の就業者人口に占める割合がピークを迎えたのは、75年でもあった。75年の奇跡の年を経て、80年代以降人口減少県が再び登場し始め、おそらく2015年の国勢調査では30を超える県で人口減少になると思う。ひょっとすると40に達するかもしれず、高度経済成長期よりはるかに深刻な事態になるかもしれない。

これも産業構造の転換が大きな要因で、今度は二次産業から三次産業への移動である。三次産業の中でもサービス業へのシフトが大きいと思う。

サービス業は個人サービスと法人サービスに分けられるが、いずれも“人”に対するものであり、人口規模が大きいほど多様なサービスが生まれるため、人口の多い所にますます集中するという特質があると思う。その結果が、東京への一極集中を加速させたものだと思う。

地域間のアンバランスが生じることで、少子化や高齢化によるコストを増大させており、例えば都市部における待機児童問題はその典型である(待機児童はメディアによく取り上げられるが、老人介護施設への入居を待つ年寄りは60万人居るとの推定もあり、「待機爺さん・婆さん」は間もなく社会問題化すると思う)。

人口移動を食い止めれば地域に根差した生活が定着し、ひいては安定した生活により多少なりとも少子化が抑えられると思うのだが、考えすぎだろうか。

少子化・高齢化という問題ばかりに関心が注がれているようだが、人口移動ということにももっと目を向けるだと思う。切り札は「観光産業」にあると思うのだが、話が長くなりすぎるので機会を改めて。



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