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国民へのクリスマス・プレゼント(?)として、内閣から来年度の予算案が提示された。今回もまた借金の方が収入より多いいびつな予算となり、先行きの暗い家計簿を眺めているような感じだ。

若いころの放蕩三昧のツケで、借金の返済と生活習慣病の薬代に出費を強いられながら、相変わらずレジャーやグルメにも手を出している年寄り世帯の家計簿というところか。

糖尿病をはじめとする生活習慣病の厄介なところは、痛みという自覚症状を伴わないために気が付くのが遅れるという点である。異常を自覚した時は手遅れというのが恐ろしい点であり、定期健診で数字をチェックするしか対策はないのである。

わが国の現状を見ると国の負債総額は、明らかにメタボ状態になっている。その上に収入よりも、借金の方が多いという不摂生な生活を繰り返している。痛みが出る前に健康診断をし、食事療法をしなければならないのに…


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ヨーロッパや北米では寒波が大きなニュースになっているが、日本にもクリスマス寒波が到来するとのことである。この寒波は、年末まで続くようで季節のメリハリが付いて私は良いことだと思う。

ところで、世界最大の自動車市場となった中国で、首都北京は交通渋滞対策として、来年から新規ナンバープレートの発給を24万台に抑えるとの記事が掲載されている。

昨年長春で自動車の洪水に圧倒されたが、長春の2倍を超える人口の北京ではもっとひどい状態のため、当局が対策に乗り出したのだろう。駐車場の整備が自動車の普及に追い付かず、道路に自動車が溢れてしまったということか。しかしナンバープレートの制限をするというのはその場しのぎの対症療法にすぎず、抜本的な対策にはならない。

日本でも昭和40年代後半から50年代はひどい状態だったと思う。自動車の渋滞だけでなく、電車も「通勤地獄」と称されるほどだったが、現在では渋滞も緩和され、通勤地獄という言葉も死語になったと思えるほどゆとりができているように思われる。

人口減少の影響もあるのだろうが、何と言っても鉄道網の整備(車両の改装も含めて)が大きく貢献したのだと思う。長い年月をかけて整備してきた鉄道網は、含みを一杯もった優良資産と言えるのではないだろうか。

含み資産であることを実感させられたのは東京マラソンである。東京マラソンの取材をして驚いたのは、都心を走り回る東京マラソンのコースで地下鉄の駅が37も含まれているということだった。42キロのコース上に1キロごとに駅に出くわす勘定になる。

道路を長時間にわたって閉鎖し、3万人のランナーが走るのだから市民が道路を横断するのもままならないのだが、地下鉄の駅を地下道として活用することで、歩行者の不便は相当程度解消されることになる。1キロおきに駅があり、出入り口は少なくとも4か所はあるのだから陸の孤島状態にはほとんどならずに済むわけだ。

東京メトロが東京マラソンのスポンサーになっているのもうなずける。北京には行ったことがないのでわからないが、公共交通機関特に地下鉄を中心とした鉄道網の整備が遅れているのではないだろうか。

環境問題を考えても、鉄道網という資産を抱えているのはアドバンテージになるような気がする。この強みを活かすことをもっと考えるべきだと思うのだが。
今朝の日経の記事で目を引いたのが、参議院の定数変更に関する記事である。西岡参議院議長自らが案を提示し、各党が協議を始めるというものだ。

一票の格差が5倍以上開いている現状に、最高裁で違憲判決が出ており、このまま放置すると2013年の参議員選挙で無効判決が出かねないため、ようやく重い腰をあげた格好だ。

問題の原因はいびつな人口構造の中で、“県代表”を維持するか否かにある。高校野球が盛り上がるのも1県1代表ということが大きく、県代表も捨てがたいところはある。しかし、ネジレ国会を生む要因の一つに、県代表制度があるのも否めず、見直しはやむを得ないだろう。

20倍の人口格差がある中で、県代表を維持しようとすれば議員の人数が大幅に増やさざるを得ず、ブロック制もしくは全国一本の比例代表制度にするしかなさそうである。愛媛と香川で北四国、高知と徳島で南四国というような一昔前の高校野球の代表のような事も考えられるが、ブロック制の方がすっきりする。

それにブロック制を採用すると、道州制ともダブってくる面もあり、最近停滞している道州制論議も再び活発になるかもしれない。

アメリカは上院は州代表、下院は人口比とはっきりしている。下院の定数は10年ごとに行われる国勢調査により変更が加えられ、今年4月の調査に基づいて、13の州で定数が変更されるらしい。定数変更に伴い選挙区割りの変更も行われるが、区割りは県知事が行うという事が原則になっている。

いかにも数字好きの国民らしいドライな仕組みだ。ウエットな国民性の日本ではこの制度改革は紆余曲折を経るのは間違いないだろう。
行徳の駅近くに、昔ながらの八百屋と肉屋、魚屋が3軒並んでいる所がある。肉屋はメンチカツが売り物みたいで、揚げ立てを求めて行列ができている時がある。私は、揚げ物を受け付けないので並んだことはないが、コンディションの良い折に一度チャレンジをしてみたい。

昔の市場のような雰囲気が好きでちょくちょく覗いてみるのだが、中でも私のお気に入りは、「えびの桑田」という魚屋である。店構えを見ると居酒屋や小料理屋相手の業務用がメインの店であるが、小売りもやっている。先日人形町で懇意の板前と飲みながら話をしていた時に、その店の話題になったが、驚いたのはその店も桑田から仕入れているということだった。人形町の店がわざわざ行徳から仕入れているのだから、その店のステータスがわかり、私の鼻のよさにも満足したものだった。

私は、出張した時に余裕があると、スーパーを覗くことにしている。チェックしているのは調味料売り場と鮮魚コーナーである。その品ぞろえを見ると、地域の生活水準や食文化がわかるからだ。

静岡でイルカが売られていたり、沖縄ではスズキ(ナイルパーチ)として切身があったのには驚いた。興味深かったのは奄美のスーパーで、一杯4千円の「島ダコ」や一本6千円もする魚(名前を忘れた)が普通に並んでいたことだ。私のよく利用するスーパーで1千円を超える魚が並んでいるのにお目にかかったことはなく、あったとしても特別なポジションに並べられるが、高級魚が普通に並んでいるのには驚きだった。

想像したのは、奄美の人は宴会好きで、島ダコは欠かせないということだ。それだけ地域コミュニティの絆が深いと思ったりしたものだ。

ところで「えびの桑田」なのだが、私のお気に入りはフグとアンコウである。トラフグの鍋は2100円(3~4人前)、テッサが2200円(博多のフグ屋だと2人前、東京のフグ屋だと4人前のボリューム)である。店員に聞くと下関モノは高いので長崎産ということだが、味・ボリュームとも満足いくものである。

アンコウの方は1260円(3人前)であるが、入っている肝の大きさはスーパーで980円で並んでいるそれの3倍の大きさである。アンコウ鍋をする時は最初に肝を乾煎りし、白味噌5.5:赤味噌4.5で味付けをするのだが、肝が大きいとコクが違ってくるのである。

アンコウは月に2~3回利用するが、フグの方は一冬に2~3回に抑えている。正月にフグを食べようと昨年の暮れに訪れたが、クリスマスを過ぎると予約の分しか売らないということだった。

そこで来年の正月用に予約をしに行ったが、正月用は普段店に並んでいるものの3倍の大きさになり、1万2千円ということだった。とても食べ切れない量だと言ったところ、「いつも来てもらっているんだから、特別に普段のサイズを作ってあげるよ」ということになった。

月に2~3回しか利用しないのに、常連客のように思われたのは“ヒゲの効用”ということなのだろうか。「顧客の要望に応えること」がCSの原点であることを改めて感じさせられた出来事だった。
「一兵卒」が司令官からの命令を無視した。強制起訴されている立場であり、「政治とカネ」の問題は司法の場で明らかにされるべきというのがその言い分のようだが、いよいよ抜き差しならない段階まで対立が深まったと思う。本格的な抗争の始まりで離党勧告にまで至るかどうかが焦点になりそうだ。

抗争というのはジジィには懐かしい言葉で、福田VS大平の40日抗争を想い出す。ところで抗争という言葉をよく耳にするのは、政治家とヤクザの世界に多いように思う。ヤクザの場合は、仲裁人が登場して“手打ち”に持ち込み、大怪我をしないようにするのが常套だが、民主党には抗争を煽りたてる人間は大勢居ても、仲裁を買って出る人間がおらず、チキンゲームが続いているように見える。

先日発表された昨年の政治資金報告書で、100人近くの国会議員が500万円ずつもらっていたことが明らかになった。新たな「政治とカネ」の問題である。この連中が騒いでいるように見えるのが、抗争という次元の低い言葉を用いなければならない理由だと思う。

民主党は分裂した方が良いのかもしれない。政治家は選挙に勝って初めて政治家と名乗れるのであって、選挙に負ければただの人である。さらに自らの政策を実行に移すためには、多数を得ることが必要である。

しかし、選挙に勝つことを最優先する選挙至上主義になると、現世利益だけを追求するばら蒔き型の無責任なマニフェストが跋扈することになる。今の民主党を見ていると、マニフェスト政治の弊害が出てきていると思う。選挙至上主義者と決別し、失われた30年に立ち向かう政治家の集団になるべきではないだろうか。

もっとも、そのような政治家はほんの一握りにすぎず、大半は選挙至上主義者なのかもしれないが…


ところで、会談は公開の場ではなく密室で、しかもサシで行われたのに、今朝の日経には「会談の要旨」という見出しの記事が掲載されている。やり取りの模様が再現されているのだが、二人の側近議員への取材をもとに記者が書いたものなのだろう。新聞記者の想像力のたくましさに感心させられる。



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