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昨日の、おおい原発のストレステストについての、原子力安全委員会の斑目委員長の記者会見には、思わず耳を疑ってしまった。「原子力安全委員会は、原発の“安全性”については評価はしない。安全性の判断は政府の役割だ。」という趣旨のコメントだった。

何のための原子力“安全”委員会なのだろうか。このご仁は昨年の事故発生以来度々登場しているが、頼りない発言が目立ち私は気に入らなかった人物だ。昨日の発言は、責任を他に転嫁する姿勢が見え見えで、即刻クビにすべきだと思う(事故発生時の対応メンバーで現在も同じなのは彼だけというのも不思議なのだが)。まだらめではなく、“でたらめ”委員長だ。

その原子力安全委員会と、原子力安全・保安院とを統合した原子力規制庁の発足が遅れるという報道がされている。原案では経産省から切り離し、環境省の下に外局として設置する予定なのだが、野党が公正取引委員会のように省庁から独立した機関とするように求めており、関連法案の審議をどの委員会で行うかも決まっていないというのが理由のようだ。

ここにも何も決められない政治の世界が見える。野党の主張する省庁から独立した方が、規制を行う機関としては適切なように私も思う。独立組織にすることに、どのような不都合が生じるのかよくわからないが、唯一考えられるのは省庁の影響が及ばないということだ。

新しい組織ができるということは、官僚にとってポストが増えることを意味する。第三者組織となると、民間からの登用もあり美味しいポストが手に入りにくくなるということになるという“危機意識”が官僚の中にあるからではないだろうか。

何も決められない政治の責任は、何でも反対の野党の方が大きいと思っていたのだが、このケースでは政府の腰が引けた対応の責任の方が大きいのではないだろうか。

消費税増税に関する法案提出を前に、与党内では意見がまとまらず、小田原評定が続いている。自分の選挙に有利か不利かで意思決定をしているためだろう。民主主義の弊害だと思う。

危機に陥っているギリシャやイタリアでは、選挙で選ばれていない学者が首相に就任するという緊急事態になっている。政治家では大ナタを振るえないということからだが、何も決められない政治が続くと、日本でも学者首相が誕生するかもしれない。でたらめ委員長のような学者が就任するのはごめんこうむりたいが…
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昨夜から今朝にかけて、10件を超える検索サイトからのアクセスがあった。すべて昨日の話題に取り上げた高野百合絵さんの君が代についてのものだった。テレビを観ていて彼女の君が代に感動した人がいかに多かったかがよくわかる。女子のW杯が日本で開催されたら、オープニングセレモニーでの君が代は彼女に決まりだろう。

今日は取り上げたいテーマが二つある。原子力規制庁の発足が6月以降にずれ込むことと、警察の社員旅行(署員旅行?)の問題である。考えた結果、今日は署員旅行にし、規制庁は明日に回す。

ストーカー殺害事件で家族から被害届の提出を受けた際に、「一週間待って」という要請をし、その間に北海道に二泊三日の慰安旅行に署員12人で出かけていたという事を、隠ぺいしていたことが問題になっている。

自分たちの慰安旅行の予定が入っているので、被害届の受理を遅らせるという呆れた話だが、そのことを今回の失態の検証をした報告書では一切触れなかった(隠していた)のはもっと問題だと思う。

隠すという行為の背景には、減点主義の人事評価制度があると思う。日本における減点主義の人事評価は、遠く江戸時代に出来上がったものだと思う。徳川長期安定政権が出来上がった時に、武士は戦士から官僚に変わってしまった。

江戸時代になる前は、武士は手柄を立てることで出世してきたが、戦がなくなった途端に手柄を立てるチャンスがなくなり、家格・家柄により出世のレールが引かれることになった。この場合、落ち度がないことが条件になる。落ち度があれば出世コースから外れてしまい、場合によっては改易・転封などの咎を受けることにもなる。

手柄を立てるのではなく、落ち度がないというのが出世のシステムになったのである。加点法から減点法への大転換である。

これが、明治以降も官僚システムの中に綿々と受け継がれ、官僚システムに範をとる大企業の人事システムにも組み込まれて今日まで続いているのである。

支店長が人事異動で離任する際のあいさつで、「つつがなく任務を終える事が出来たのは…」という決まり文句があるが、このつつがなくというのは減点法から発生した言葉であるのは言うまでもない。

“落ち度は隠す”という風土が出来上がってしまったのだと思う。この問題でもう一つ気になるのは、毎日新聞のネット上の記事によると、千葉県警のプロパーのトップである生活安全部長は知っていたが、警察庁のキャリア組が就任する県警本部長や刑事部長は知らなかったということである。ここにも人事のゆがみが影響を与えているのではないだろうか。根は深そうだ。

それにしても、警察に慰安旅行があるというのは驚きだった。一年365日、24時間体制で仕事をしなければならない組織に、署員旅行が割り込む余地はないと思うのだが。

昨日は思ったほど北風は強くなく、体感温度が真冬になることなく過ごすことができた。いよいよ、今日から春の暖かさを満喫できそうである。

春の到来に合わせるかのように、甲子園の高校野球が始まった。昨日開会式が行われたが、普段は開会式には関心がなく、めったに見ることはない。しかし、昨日は被災地の石巻工業が宣誓を行うことになったため、どのような宣誓になるのか興味があるので、久しぶりに開会式の模様を観戦した。

宣誓が行われる前に、主催者や高野連、文部科学大臣など“お偉いさん”のスピーチが延々と続いた。平均5分以上はあったろうか。スピーチは短い方がよいということを実感させられ、何をしゃべっていたのか全く記憶はない。

ようやく選手宣誓が行われたが、2分にもなる宣誓としては長文になったが、堂々とした宣誓で思わず拍手をしてしまった。私の中のランキングでは、昨年の楽天の嶋の「見せましょう底力を」の宣誓に次ぐ出来栄えだったと思う。

開会式の中で、もう一つ私の中のランキングで高い評価を与えたいものがあった。君が代の斉唱である。スポーツのセレモニーで君が代が歌われることが多い。しかし、君が代は国家としては元気に乏しく、低音部から歌い始めるため、アカペラでうまく歌いこなすことは難しい曲だと思う。

色んな歌手の君が代を聞いたが、ナンバー1はラグビーのトップリーグの開幕戦で歌った、角田だと思っている。10年ほど前のことだったと思うが、出だしの低音部からしっかり歌いこなし、朗々と歌い上げたのは今でも印象に残っている。

その角田に匹敵する君が代が昨日の開会式に聞くことができたのである。毎日音楽コンクールの歌唱の部門で優勝した、東京音大付属高校の女生徒がセーラー服姿で歌ったのだが、姿とは異なり歌声はまさにオペラ歌手のものだった。

コントラストの差に驚かされたのも一つだったが、これまで何人もオペラ歌手の君が代を聞いたが今一つの印象で、角田には遠く及ばないものであった。しかし、彼女の君が代は私のランキングでは角田に匹敵するもので、オペラ歌手として大成するのではないかと予感させられた君が代だった。

掘り出し物を見つけたが、名前は失念してしまった。調べてみたが、毎日音楽コンクールではなく、毎日学生音楽コンクールの高校生の部で優勝した高野百合絵さんだと思うのだが。
今日は最高気温が10度という予報になっているが、北からの風が強く、最大10mが吹くとなると、体感気温は0度という寒さになる。嬉しいのは、予報では明日から春に突入しそうで、今日が冬の寒さの最後になりそうなことである。若いころは冬が大好きだったのに、年をとると「春よ来い。早く来い」と口ずさむのは情けないことなのだが…

最近寝る前にナイトキャップとして愛飲しているのは、紀州鶯屋の「ばばぁの梅酒シリーズ」だ。新聞紙にくるまれた秘密めいた包装に興味をひかれ、黒糖梅酒に続いて、現在は「黒牛仕立て」と銘打ってあるものを楽しんでいる。辛口純米梅酒という風変わりな梅酒で、さっぱりした飲み口はロックでなく、ストレートでも飲みやすい仕上がりになっている。

先日この梅酒を買った時に、ついでに(?)買ってしまったのが「南泉(なんせん)」といういも焼酎である。「宇宙を旅した麹・酵母で作りました」というポップに興味をひかれ、種子島の上妻酒造の手によるものだが、ラベルには鹿児島大学のロゴも貼られていた。

鹿児島大学は、この23日に卒業式を迎える末娘がお世話になっていた大学でもあり、宇宙酵母にもそそられて買うことになってしまった。

家に帰ってラベルに添えられた説明書きを読むと(店頭では老眼のため細かい説明はよく読めないので)、鹿児島大学と12の焼酎メーカーが共同でエンデバーに乗せ、宇宙ステーションに滞在させた麹菌・酵母菌を用いて仕込んだ焼酎とのことである。

菌を宇宙ステーションに持ち込むのは難しいことだと思うのだが、宇宙に滞在させることによりどのような効果があるのかも説明ではよくわからない。私は焼酎を(も)愛飲しているが、メインは黒糖焼酎である。イモや麦はたまに気分転換のために飲むにすぎない。

しかし、この「南泉」は“宇宙帰り”の霊験があるのか、中々いける味である。このところ、酒は5~6本まとめて月に1回配達してもらっているのだが、南泉も2カ月に一度はその中に加えることになるだろう。“準レギュラー”に定着ということか。
サクラの蕾はまだ固く、月末の開花は微妙と見た。「プロメテウスの罠」についての感想の続きを。

この本の最終章は、震災直後の官邸のゴタゴタぶりが描かれている。意思決定すべき人たちが、原発事故について知識が乏しい中で、通信網が逼迫して情報も乏しければ混乱するのもやむを得ないことだと思う。

しかし、当時の政権を擁護するつもりもない。「一生懸命頑張った」で済ませられる話ではなく、多くの人が放射線にさらされた責任は免れることはできないと思う。

もっと問題なのは、政権中枢の意思決定をサポートすべき官僚にあると思う。原子力・安全保安院は原子力の安全性を担保するために設けられた機関であり、事故が起きた時は先頭を切って働かなければならないのに、そのトップは事故当日に官邸を追われ、部下が官邸に助言を行うという役回りになってしまったのである。

保安院の当時の院長は、経産省の商務流通審議官が前職だった人物だ。およそ原子力とは無縁の立場だった人物が、双六の賽の目に従って原子力規制の役所のトップに就いたわけで、緊急時に総理に助言を与えるような見識はどこにも持ち合わせていないことは明らかである。

役人の世界での出世の条件は世渡り上手であることが第一で、専門性が問われることはまずない。スペシャリストというよりもジェネラリストが優先されているようだ。ここに根本的な問題があると思う。

意思決定をする立場なら、ジェネラリストとして様々な角度から物事を見るというのもわかるが、官僚というのは意思決定を行うことが前提になった組織ではないと思う。政治をサポートするのが役割で、そのためにはスペシャリティが重要な資質になるのだと思う。

事故当初の一連の動きを見ていると、院長以下の保安院の幹部は全てジェネラリストばっかりだったようだ。SPEEDIのデータが活用されていれば、同心円状の避難にはならず、飯館村の悲劇も多少は緩やかなものになったと思うが、保安院の幹部にはそのことの知識もなかったのだろう。

上がりの場面で事務次官になれなかった二番目、三番目の人物が横滑りするという、官僚機構のジェネラリストのための出世双六を何とかしたいものだが。


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