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原発の再稼働について、国民的コンセンサスは“脱原発”であると思う。もちろん私もそのうちの一人である。フクシマの事故により、一端コントロールのタガから外れたら、手の付けようがないということはよくわかった。大量の難民が発生しただけでなく、農業や漁業に与えた影響は深刻なものである。

発電コストの安さが原発の最大のメリットであるが、一度事故が起これば発電コストは自然エネルギーのそれを大きく上回ることになってしまう。この一事だけでも、原発の廃止に十分なものであるが、それ以上に私は脱原発を進めるべきだと思うのは、廃棄物の処理ができないという点である。

無害化する技術は確立しておらず、今のところは気の遠くなるような時間“大事に保管”し続ける事しかない。廃棄物の保管コストがどれだけ発電コストに含まれているのだろうか。自然に放射線がなくなる10万年間の保管コストを考えると、とても安価な代物とは思えない。


脱原発に向かって進むべきなのだが、問題はハードランディングを選択するか、ソフトランディングにするべきかである。ほとんどの原発が停止し、間もなく全ての原発の稼働が途絶えるという状況は、すでに脱原発の世界に踏み込んでいるのかもしれない。ハードランディング論者にとっては、「現状でもなんとかなっている」というのは大きな論拠なのだろう。

しかし、今は何とかなっても、夏場をしのぐことはできないという危機感があり、特に原発依存度の高い関西電力では再稼働が急がれ、昨日の政府の決定にあると思う。しかし、政府が決めたからといって、すんなり再稼働するとは思えない。

再稼働を認めたということは、ハードランディングを選択しなかったわけだが、ソフトランディングに向けた道筋も示したわけではない。ソフトランディングの工程が明らかになれば、住民や国民も“しぶしぶ納得”するかもしれないが、地震や津波への対策が万全ということだけでは納得が得られないと思う。

ソフトランディングのためには、長期的なエネルギー政策が必要になるが、政府案がまとまるのは6月とのことである。政府案が出たとしても、すんなり合意が得られるとは思えない。夏場に向けて再稼働する必要があるならば、今の時点でソフトランディングに向けたあらすじを示す必要があり、昨日の決定の文言にもそのことに触れるべきであったと思う。

脱原発ほど国民的コンセンサスを得られている事柄は最近ではないと思う。それだけに、再稼働ありきを前提に、泥縄で基準を作り決定したというのは、政府にとって致命傷だと思う。次の世論調査で、一気に内閣支持率は低下すると思う。

もう一つの国民的コンセンサスは、「ダルビッシュのメジャーでの成功」だと思う。今のところ、こんなにストライクの入らないダルビッシュを観たことがなく、まるで松坂が投げているような気がする。こちらの国民的コンセンサスも裏切られるのだろうか。
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先日のなでしこの試合の視聴率は、1日の米国戦が15%で、5日のキューバ戦が19%だった。日曜日の米国戦よりも、平日のキューバ戦の方が高かったのを意外に感じていたが、米国戦の時は同じ時間帯に世界フィギュアが放映されており、スポーツ好きが二分されていたためだとわかった。

フィギュアの方も視聴率は15%であり、なでしこは浅田真央と互角のコンテンツであることが証明されたわけだ。とばっちりを受けたのが大河の清盛であり、10%そこそこの視聴率となってしまったようだ。

大河の視聴率ということで想い出されるのは、日韓W杯の時の「利家と松」のことだ。ベルギー戦かロシア戦かは記憶が定かではないが(多分ベルギーだったと思う)、日曜の夜に試合が行われ、60%を超える驚異的な視聴率を記録したことがある。その時にぶつかった「利家と松」の視聴率は20%近くと健闘しており、国民的関心事(?)にも背いた根強い大河フアンが居る事に驚いたものだ。

私も、日韓W杯の時はサッカーを観たが、その日以外は利家を熱心に観ていた。ただし、私の場合は年によって欠かさず観る時と、全く観ないことがある。昨年の「江」は初回を観ただけでおしまいだったが、今年の清盛は今のところなでしこの試合の日以外は皆勤賞である。

私にとって鑑賞に値すると思っている清盛だが、視聴率的には苦戦を強いられているらしい。清盛ゆかりの地である兵庫県の知事が「画面が汚い」と評したようだが、当時をリアルに表現しているようで、私には画面の汚さが好ましく思える。演出の問題よりも、登場人物の多さが分かりにくくさせていることが、視聴者を遠ざけているように思う。

天皇家だけでも法皇や上皇、親王(後の○○天皇)などが何人も登場し、おまけに○○門院なる人物も何人かおり、お互いの関係がのみこめず、わけがわからなくなる。これに平家一門や源氏、貴族社会も加わるのだから、筋を追うのが厄介になり、見続ける事が出来なくなるのは当然だと思う。

子どもの頃、ふた組に分かれてカルタなどをする時に、「源平で」という言い方をしていた。源平の戦いというのは敵味方がはっきりしているということの代名詞であったのだ。しかし、これからドラマのハイライトとなる保元の乱は、これとは正反対で一筋縄ではいかないのである。

天皇家、藤原家、源氏と平家で各々が二つの勢力に分かれてチームを組んで戦うのだから、話はややこしくなる。親子、兄弟が敵味方になるのだから、漠然とテレビの前に座っていると、頭が混乱するばかりで、晩酌をチビチビやりながらだと尚更だ。

この問題を解決するには、相関図を作成するしかない。先日、資料を調べて後白河法皇派と、崇徳上皇派のメンバーを並べてみて、ようやくドラマの人物関係の成り立ちがわかり、混乱なくドラマを楽しめるようになった。知識だけでなく、事前勉強も必要なドラマは珍しいのではないだろうか。

ところで、昨夜の放映では「敦盛」が登場した。敦盛は熊谷直実に屋島の合戦で打ち取られたはずで、時代が違うのではないかといぶかしく思った。今朝調べてみると、昨日登場したのは敦盛ではなく「教盛」であった。酔っ払いにとっては、まぎらわしい名前だ。このややこしさが大河「清盛」の魅力かもしれない。






今朝の日経の3面の見出しは、「iPhone軸に携帯で地殻変動」が大見出しで、サブには「KDDI一気に入超に」「ドコモ出超倍増80万件」となっている。大見出しよりも、サブの入超や出超という言葉に目を引かれて読んでみた。

入超・出超という言葉をよく目にしたのは昭和30年代から40年代初めごろだったように思う。輸出入の動向を示すもので、成長段階の国にとって、輸出入のプラス・マイナスがGDPに大きく影響を与えるために、重要指標となっていたものと思われる。

携帯電話の入超・出超は他社からの切り替えのプラス・マイナスを示したもので、市場が飽和状態になった時の重要指標である。貿易収支のプラス・マイナスが成長段階で重視されていたのとは対照的である。

それでも記事を読むと、新規契約から解約を差し引いた純増では、昨年度はソフトバンクが350万件、ドコモとKDDIが210万台の増加となっている。今年3月の契約件数は、1億2千8百万台となっており、日本の人口を上回る台数に達しているそうである。完全に「一人1台」の時代であり、テレビやエアコンの台数よりも多いのかもしれない。

ところで、携帯電話のメーカーの方であるが、アップルとサムスンで6割以上のシェアを占めている。日本メーカーは6社で4割を占めるに過ぎず、苦戦を強いられている。アップルやサムスンは1億台以上の生産体制を敷いているのに、日本のメーカーは1千万台以下でしかなく、勝負にならない状況になってしまっている。このままでは全て淘汰されてしまう可能性もある。

携帯市場は、世界の進化から取り残された“日本のガラパゴス化”の象徴的市場として取り上げられるが、完全に取り残されてしまったということか。

自動車や家電など、一つの市場に多くのメーカーが参入し、競い合って成長するというのが日本の強みであったのだが、ここにきて“多すぎる参入企業”の弱点がもろに出てきたように思う。

どんなことにも「塞翁が馬」の原理が当てはまると思っている。よかったことが足かせになり、弱点が強みになるということで中・長期の視点で見ることが必要なのだが、携帯端末や半導体市場の振り子は戻ってくるのだろうか。
連日の一発勝負の魅力に魅かれたおかげで、昨夜はなでしこの試合を見損なってしまった。ブラジルの試合ぶりは一度も見たことがないために見ておきたかったのだが、所詮親善試合のものであり、一発勝負の真剣勝負の方が見る価値はあったと思う。

ところで、最近の政治の動きを見ると、見るべき価値のないものがあまりにも多すぎると思う。その最たるものが、石原新党を巡る動きや、国民新党のコップの中の嵐である。この両方に居るのが亀井代表である(代表と言えるのかどうか微妙だが)。

石原新党なるものの顔ぶれは今のところ定かではないが、保守派の老政治家と、落選議員の集まりになりそうな気配だ。政党に限らず組織の活力は、老・壮・青のミックスによって保たれるものであるが、石原新党は老・老・老になりそうで、いくら高齢化社会といっても老人クラブでは「国家百年の計」は無理なのではなかろうか。

もう一つのコップの中の嵐の方だが、江戸時代の「押し込め」を想起させられるものだ。江戸時代の大名家では、赤穂藩のように殿の不始末がお家取りつぶしにつながる。それを避けるために、家臣たちは自分たちの身を守るために、危ない殿様を座敷牢に閉じ込めることがあったらしい。

今回の代表解任はそれに通じるものがあるように思う。わずか8人の組織も統率できないようでは、潔く身を引くのが筋のように思うし、画策している石原新党にしても、コップがジョッキ(それも小ジョッキだと思う)に変わった程度にしかならないだろう。

国民新党にも政党助成金が四億円払われている。政治家の劣化の要因の一つに、政党助成金制度があるように思うのだが。

論評に値しないものに1ページを割いてしまった。
爆弾低気圧が通り過ぎるのを待っていたかのように、サクラが咲き始めた。週末は花見が楽しめそうで、今年はどこでサクラを楽しむか思案中である。

今週は、水泳のオリンピック代表選手選考を兼ねた日本選手権が開催されており、NHKで連日その模様が生中継されている。

オリンピックの代表選考というと“もめる”という言葉が枕詞につくのではないかと思うほど、過去には物議をかもしたケースが多かった。代表的なものはマラソンで、ソウルの時の瀬古や、バルセロナの松野と有森などはスポーツニュースの枠を飛び越えた騒動として報じられていたように思う。

水泳でも、シドニーの時の代表選考に一騒動あり、国際スポーツ仲介所に申し立てが行われた記憶がある。水泳連盟はそれに懲りたのか、前回の北京の時から五輪の入賞ラインの目途になる記録を設定し、日本選手権でこの記録を上回った上位2人を“自動的”に代表に決定するという方式が取られるようになった。

過去の実績は全く考慮されず、一発勝負での決定方式である。陸上競技は、屋外で行われるため気温や風に記録が左右されるため、日本選手権での一発勝負というわけにはいかず、期間を区切りその間に標準記録を突破した中から選ばれるシステムになっている(日本選手権で標準記録を突破して優勝した選手は優先して選ばれることにはなっている)。

水泳の場合は屋内競技であるため、気候のコンディションの問題がないために一発勝負も可能なのだろう。それに大会に向けてコンディションをいかに整えるかも選手の実力のうちであり、一発勝負で決定する意義は大きいと思う。

さらに、陸上の標準記録は、国際陸連が参加者を抑制するために設定したものであるが、水泳の場合は日本水連がオリンピックでの入賞ラインを想定した独自の記録である点にも意義があると思う。勝負になる選手しか代表に選ばないシステムである。

競技によっては、日本記録を更新しても代表に選ばれないケースもあり、ハードルは高いものである。昨日も、大接戦で派遣記録を上回りながら、0.02秒差で3位になったため、代表になれなかった選手もいた。悲喜こもごもである。

ゴールした瞬間に代表が決定するという、スリリングさは究極のスポーツの楽しみ方だと思う。番組では、水から上がってすぐに代表決定者へのインタビューも行われており、生の選手の感動が伝わってくるのも魅力だ。

今週は、グラス片手に一発勝負の魅力を楽しむことになりそうだ。


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