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“異例”の国際会議が続いている。一つは、徹夜で議論が行われたEUの首脳会議。もう一つは、会期を一日延長してようやく“合意”が見られた、COP18の会議である。(徹夜はともかく、一日延長となるとホテルや飛行機はどのようになったのか気になるのだが)この二つの会議が紛糾するのは今回に限ったことではなく、このところ毎回見られる光景である。

本来この二つの会議は、「一つの国ではなし得ない目的に対してみんなで協力し合う」という趣旨の会議であるはずだ。しかし、参加者がみんなの事よりも、自分の都合を優先させるために、まとまる話もまとまらなくなるわけだ。

国益というのは、全ての国に都合がよいというのはなく、どこかが有利になればどこかが不利になるという関係にある。譲歩をすれば、代表者(≒政府)は国民の信を失うために、一歩も引くことはできない。その結果「会議は踊るが何も決まらない」という事態が頻発することになる。

厄介なのは、国益は国民の益ではないということだ。国という体制・制度の益であって、国民にとっては何の幸福ももたらさないことも起こりうるのに、必死にそれを守らなければならないというのはおかしな話だ。

地球温暖化問題(私はCO2が犯人とは思っていないが)でも、人々の生活に深刻な影響が起こるかもしれないのに、国の利益を優先させているのは、何のための国益かわからなくなってしまうと思う。

国益を前面に打ち出して交渉するTPPも、多分まとまらないのではないだろうか。二国間交渉だと、当事者間の優劣がはっきりするが、複数の国の交渉事では多少優劣がぼやけるので、グレイゾーン決着が図りやすいのかもしれないが。

国際間の経済問題は、いくら国益を優先しようとしても、“神の見えざる手”という市場原理が許さないのだが、政治問題には市場原理はないのだろうかと考えてみた。

古来政治問題での国益のぶつかり合いは、戦争による決着しかなかったように思う。悲しいことだ。
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