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ハンドボールの五輪予選が再試合となった。スポーツの世界で、判定を理由に再試合となるのは極めて異例のことである。アジアハンドボール連盟の会長は、クエートの王族がついており、これまでも中東有利な判定で、苦戦を強いられていた。

日本で開催されたアジア予選では不可解な判定が続き、優勝候補だった韓国が2位に破れて世界最終予選に回り、日本は3位で五輪の出場の道は絶たれていた。これに対して韓国が世界ハンドボール連盟に猛抗議をし、これまでの恨みつらみもあって日本もこれに同調したため、再試合が決まったらしい。

審判のおかしな判定としては、シドニー五輪の篠原の決勝でのことがまず思い浮かぶ。日韓W杯の韓国とイタリアの試合もそうだ。

審判に求められるのは、判定である。判定には判定技術と公正さが要求される。シドニー五輪の篠原のケースでは判定技術の問題であり、サッカーや今回のハンドボールのケースでは公正さが問題になっている。

公正さは、先進国では保たれ、後進国にはほとんどないものと受け止める向きも多いと思うのだが、どうもそうではないらしい。その典型は、スキー競技に見ることができる。

90年代に日本はノルディックスポーツが全盛期を誇っていた。複合やジャンプで華々しい成果を上げていたが、現在は全くニュースにも取り上げられないほどの低迷を続けている。

企業スポーツの凋落も大きな要因だが、ルール改正で日本が不利な状況になったことも大きい要因だ。複合では、ジャンプと距離の得点配分を変え、ジャンプでリードするという日本の強みが打ち消された。

さらに、ジャンプでは板の長さの基準を、体格の小さな日本人には不利な基準に変えられている。先進国であっても、いざとなればなりふりかまわず、自分たちに有利な状況に持ってゆこうとする。公正ということのグローバルスタンダードと日本人の考える公正というのは大分ずれているような気がする。


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