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昨日のプロ野球は“敬老の日”だったようで、46歳8カ月と4日の山本が最高齢先発勝利投手の記録を更新したのをはじめ、38歳の中村がサヨナラ・ホームランを打つなどの大活躍だ。最高齢勝利投手の記録は48歳になっているから、山本がどこまで記録を伸ばせるのか楽しみが一つ増えた。

野球に限らず、高齢のアスリートの活躍が目立ち、馬術のロンドン五輪の代表は71歳で、48年前の東京オリンピックにも出場していたというのは驚きだ。もっとも、障害やクロスカントリーなどの体力が要求される種目ではなく、いかに馬を操るかの技術を競う馬場馬術の代表というので何となく納得できるものではある。

水泳でもまもなく30歳を迎える北島が、4回目のオリンピックの代表を決めている。水泳選手というと、私の中には10代のスポーツというイメージがあったが、今回の代表でメダルを狙える位置に居る松田や寺川も27歳である。

先日の代表選考会では、一昔前の日本の水泳のエース格であった背泳の稲田や萩原選手が、30歳代になって代表の椅子にチャレンジしていた。日本人の高齢化が、アスリートにも伝播しているような光景だ。

トレーニング方法や、身体のコントロール方法の進化が大きいと思う。進化どころか、常識が一変してしまったものさえある。例えば、「投手の肩は冷やしてはいけない」という迷信があり、400勝投手の金田などは、夏でも長袖で扇風機にもあたらないという生活を続けて400もの勝ち星を得たと言われていた。

しかし、最近では試合直後のインタビューで投手は氷で膨れ上がった肩を抱えた姿で受け答えするのが当たり前になっている。昔は全く逆の事をやっていたわけだ。

辛い練習に耐えて「根性を磨く」ために、練習中に水を飲むことは禁じられていた。今では熱中症を予防するためにも、積極的な水分補給が奨励されている。これも真逆の行動だ。

少し前までは、現在の常識とは真逆の常識がまかりとおていたということは、科学の進歩の中で、「スポーツ科学」は一周遅れのような感じがする。長寿社会を迎えて、スポーツ科学は不自由なく生活をいつまでも続けていくためには欠かせないものであり、これからドンドン進化していくのではないだろうか。

46歳の山本投手は、高校時代には「肩を冷やすな」「水を飲むな」と言われていた世代だと思う。スポーツ科学の新しい常識で育ったアスリートがどれだけ選手寿命を延ばすのか楽しみにしたいところだが、古い常識で育ってしまっただけに、いつまで見届ける事が出来るのか気になるのだが…

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昨日の朝8時前には、北朝鮮の人工衛星発射が失敗したというニュースがテロップで流されていた。しかし、政府の発表は「発射の報道があるが、政府としては発射の確認をしていない」というもので、防衛大臣の発表は発射から40分以上たってからのものであり、“対応の遅れ”について批難の集中砲火となっている。

原発の事故でもそうであったように、政府による情報提供のあり方については論議が集まりやすい。危機管理を問われる場面において、完璧な情報提供というものにぶち当たることはそうそうあるわけでなく、情報が錯綜して混乱している時には、探せばいくらでもアラが見えてくるものだと思う。

批難する側に立って見れば、後出しジャンケンのようなものだ。野党は、防衛大臣の問責決議をちらつかせている。国会答弁の稚拙さは認めるが、今回のケースでは“大臣の資質”とは次元の違う話だと思う。

09年の光明2号のケースでは、自衛隊が前のめりになりすぎて誤報があった。水鳥の羽音に驚いて退散した富士川の戦いの平家のようだと、このブログで書いた記憶がある。

前回の誤報に懲りたのか、政府は一つの情報だけでなく二つの情報で確認をしようとして、自衛隊のレーダーによる確認が取れなかったことが、発表の遅れになったのだろう。

人工衛星があっけなく墜落したため、遠く離れた自衛隊のレーダーでは捕捉できなかったため確認のしようがなかったのだと思う。羹に懲りてなますを吹きすぎたようだ。

政府の発表がなくても、テロップでは速報されており、原発事故とは違って実害はなかったと思うのだが、検証と称する後出しジャンケンでの、野党やメディアの政府攻撃がしばらく続きそうだ。
色々やって見て、写真のパソコンへの取り込みの方法はわかった。「プログラムを使って開く」で、画像がパソコンの中で見ることができるようになったのだが、今度はブログの中への貼り付けができない状態になってしまっている。

過去にはこのブログで何度か写真を挿入したことがあるのだが、入力の仕組みが変わってしまったのか、うまくいかない。

先日のスマフォで撮った画像をパソコンに取り込むための方法では、スマフォで画像をいじくっている時に、「共有」という機能が現れ、その中のEmailにまでは辿りついたのだが、その先に進めなく断念していた。Tさんのアドバイスでその下のGmailを選択するとようやく送信が可能になったという経緯がある。

昨日は画像のアイコンを右クリックしていじくっているうちに、「プログラムを使って開く」に辿りついたのだが、スマフォやパソコンなどの電子機器というものは、いじくりまわして“技術習得”するものだろう。

私にとって、「いじくりまわし型技術習得」には弱点が一つある。あちこち右クリックしてまわるものだから、時が経つとどこを触ったのか忘れてしまうことだ。その典型は、Emailに用いる住所や電話番号などのテンプレートの作成だ。パソコンを買い替えるたびに、あちこち捜索の旅が始まり、10分以上かけてようやく設定できるようになる。

今使っているものに、一か所間違いがあり修正しなければならないのだが、捜索の手間が億劫でそのまま放置してあるありさまだ。自分自身の記憶容量の少なさもあるのだろうが、「いじくりまわし型の技術習得」というのも記憶させない要因であるかもしれないと思う。

今日は午後から打ち合わせがあり、午前中にはレポートを仕上げなくてはならない。したがって、サクラに桃を接ぎ木した画像をこのブログで紹介するためにいじくりまわすのは、明日以降になりそうだ。
花散らしの風が夕べ吹いたようなので、今日は“花筏”が楽しめそうだ。一昨日、不思議なサクラを見つけた。ソメイヨシノではなく、山桜のような気がするのだが、薄いピンクの花びらに混じって、鮮やかな濃いピンク色の花びらが混じっていた。

不思議に思って近づいてよく見ると札がぶら下がっており、「桃を接ぎ木した」と書いてある。持ち主が遊び心でサクラの木に桃を接ぎ木したようで、通りすがりの人に何度となく尋ねられて、札をぶら下げることにしたのだろうか。

早速スマフォで撮って見たのだが、パソコンへの取り込み方がよくわからない。携帯を使っていた時は、何とか操作できたのだが、スマフォに替えてからはあちこちいじってみたのだが、パソコンへの取り込みができずにいた(お前にはスマフォが合わないという言葉は再三指摘されていた)。

たまたまTさんに合ったので指導を仰ぎ、試行錯誤の結果何とか送信できた。メールの受信はでき写真も写っているのだが、今度は「読み込み中にエラーが発生しました」というメッセージが流れ編集できない状態が続いている。

というわけで、写真を載せなければ話にならないテーマなのに、文字ばかりという不細工な記事になってしまった。何とかしなければ。
邪馬台国はどこにあったかという論争では、大和説の方が優勢にあるように思う。しかし、私は昨日から九州説、しかも北部九州ではなく日向にあったとする意見に賛同するようになった。

このように考えるにいたったのは、「日本古代史を科学する」(中田 力著 PHP新書)を読んだからである。自分の会社にサイエンスという言葉を取り入れたように、私は“科学”という言葉にはこだわりを持っている。古代史という一見科学とは無縁に思えるものに、科学のメスを入れるという面白さに魅かれて、タイトルだけでこの本を買ってしまった。

著者の中田力(なかだ つとむ)氏は、医師でありファンクショナルMRIの世界的権威と紹介されている。さらに、複雑系脳科学の世界的権威であるとも書かれており、“科学する心”でどのように古代史にメスを入れるのかの興味もあり、病院での待ち時間と行き帰りの3時間ほどで読み終えてしまった(手術した眼の定期検査の日であり、散瞳されたため読み辛かったにもかかわらずだ)。

この本では、古代史の謎ときにあたり、複雑系科学的アプローチをとり、その分析・論理展開を行っている。この本の主題は日本古代史の原典ともいえる「記紀」の読み時にあるのだが、目次を見ると序章は「21世紀の科学」というタイトルから始まっている。その中は、「人文科学」「物理学の終焉」「考古学への応用」という3つの節にわかれており、1+1=2を前提とした線形物理学の限界と、複雑系科学の考え方が概説してある。

一言で複雑科学系アプローチの特徴を現わすと、「条件設定と全体像の把握」ということになるのだろう。私の仕事にも相通ずるものがあるというか、そのままあてはまるものであるように思える。以下におろそかにしていたか、深く反省!

この本では「記紀」にいたるまでの出発点として「魏志倭人伝」を取り上げ、そこから邪馬台国日向説まで分析が展開されている。科学者らしいのは、「宇宙考古学」という衛星画像を用いた手法も交えて、魏志倭人伝の記述内容を辿り日向の地にまで進んでいくのである。

さらに、人の染色体解析や稲の遺伝子分析から、日本人の成り立ちについて考察を進めている。どうやら弥生人というのは、中国からの渡来人であったようだ(朝鮮半島経由でないところがみそのようだ)。

この本の最後は、「万世一系」という言葉で締めくくられている。学習院の初等科から高等科まで学び、東大医学部に進んだ人らしい結論の導き方ではある。結論はともかく、途中のテンポよい分析の進め方は推理小説を読んでいるような気分になり、面白い本だったと思う。


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