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8割方原稿を書き終えた後に、誤って消去してしまった。1時間ほどかかってようやく書きあげたのにがっかりで、こういうのを“喪失感”というのだろうか。原稿を書いている間は、ネットで他の事をチェックすには画面を切り替えなければならないのに、コーヒーのお代わりを入れるために席を離れ、歩いている間に気になることがあったので、席に戻ってそのまま気になることに取り組んでしまい、「あっちゃー」という声が出たが、後の祭りだった。

書きたかったのは、投資マネーについてのことだ。昨日は株価が1万4千円台に到達した。半年で4割も株価が上昇したのだから大きなニュースで、日経にもトップ記事で扱われている。その中で、私が注目したのは、4月の売買代金の世界シェアで、日本の市場は16%を占めるということである。

日本の国力がピークだった15年前ならそれほど驚くシェアではないが、世界の成長に一人取り残された15年を経て、今では世界への影響力が10%を切り、5%も近づいてきた中で、国力の2倍から3倍のシェアになっているというのは異常な気がする。株価をけん引しているのは海外の投資マネーで、日経の記事によると4月だけで2兆8千億円の買い越しとなっているそうだ。

一昨日の日経には、日本への対内直接投資の残高が、GDP比で3.9%という記事が掲載されていた。対内直接投資というのはおかしな言葉だが、海外の企業が日本でビジネスを行うために投じた金額の事を言うらしい(記事には言葉の解説がなく、ネットで調べてわかったのだが、気になったことがあったのでもう一度確認しようとして原稿消失というトラブルになってしまったわけだ)。

日本の対内直接投資のGDP比は3.5%と極めて低い水準で、あの北朝鮮でさえ12.5%もあるという。アメリカでは23.2%、ドイツは20%であり、日本の低さが際立った数字である。それだけ、海外企業にとって日本の市場は魅力に乏しいということを示すものである。

株式市場に投じられるお金は、対内“間接”投資という。ここにきて日本の市場は、直接投資と間接投資のギャップが拡大しているのである。ビジネスの世界では敬遠されているのに、株式市場が魅力的に映るというのは不思議な話で、投資マネーではなく、“投機マネー”という方がふさわしいのではないだろうか。

投機マネーは来る時の足も速いが、逃げ足も速いと思う。ちょっとしたきっかけで、株価の暴落という事態も起こりかねない。世界の取引高の16%も占める市場での暴落となると、日本発の世界恐慌も十分あり得る話ではないだろうか。

行け行けドンドンの人たちは聞く耳を持たないだろうが、直接投資と間接投資の乖離がドンドン開くというのは、よい兆候にあるようには思えないのだが…

ようやく1時間遅れで書き終える事が出来た。うっかりミスには気をつけているつもりなのだが、年々増えるような気がする。
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昨日は、今年初めて半袖姿になった。Tシャツ、短パン、サンダル履きというおじさんの夏用ファッションではなく、ズボンとウオーキングシューズという初夏用のスタイルである。午前中は気持ちよさを満喫したのだが、午後からはだんだん風が気になりだし夕方前には帰宅することにした。

幸運だった。帰宅してしばらくすると、雷がゴロゴロ鳴りだし、2~3度大きな落雷があったようなひときわ大きな音が続いた後、バケツをひっくり返したような大雨になってしまった。5分ほどで止んだが、一気に気温が下がってしまい、もう少し帰宅が遅れたら、雨宿りもする場所がない江戸川の堤防でずぶ濡れになる所だった。

過去最大級の竜巻が襲来し、大きな被害をもたらしてちょうど1年になる。昨日は雷雨で済んでよかったが、多分昨日のような天候の急変(というか気温の急変)が起こった時に、竜巻が発生しやすくなるのだろう。山登りでは、「観天望気」という空を読む力が身を守るために必要なことだが、肌で空気の変化を感じ取る力が都会で雷雨に合わないための知恵ということになるのだろうか。

国民栄誉賞のセレモニーで、背番号96をつけて登場したことが話題になっていたので、昨日の朝のニュースをチェックしてみた。松井が投手で、長嶋が打席に立ち、背番号96がアンパイヤの位置にいたようだ。映像はほとんどが背番号3と55に焦点が当てられ、96はちらっと映っただけだった。

初代の伊藤博文から数えて96代目ということらしいのだが、一方では首相が力を注ぐ憲法96条の改正のアピールにもみえてしまう。脇役のアンパイヤの背番号に焦点を当てないようにしていたのは、NHKの肌感覚なのだろうか。
この数年の仕事の中で、がん治療にまつわるテーマがいくつかある。抗がん剤の研究開発や緩和ケアなどについてのプロジェクトで、今年も緩和ケアについてのものがあり、がん治療についての情報には少し関心がある。

とはいっても、自分自身ががんに罹ることを懸念してのものではなく、純粋に仕事上の関心事である。私の母は76歳の時に肺がんになり、発見されてから半年足らずに逝ってしまったし、弟は28歳の時、父の弟は40歳代で、母の弟は30歳代と身の回りで若くしてがんに倒れた人に囲まれており、筋金入りの“がん血統”なのだが、60歳を越えrた今となってはあまり気にしなくなったからだ。

日本人の死因でがんで亡くなる人が最も多いのだが、寿命が延びたことがその理由だと思っている。がんに罹る前にその他の病気で死亡していたものが、それをくぐり抜けた人たちが最後にがんに見舞われるために死因のトップに躍り出たものだと思う。

がん研究は21世紀に入る頃から急速に進歩し、色んな謎が次第に解明されるようになった。90年代に行われたゲノム研究が大きく寄与したのだろう。その一つが「がん幹細胞」についてのものである。それまでも、仮説としてがん幹細胞の働き方ががんの引き金になると思われていたが、その存在がかなり判明してきたようだ。

私の理解では、人間の身体には誰にでも「がん幹細胞」が存在している。普段はおとなしく休眠しているのだが、ある時突然に眼を覚ましがん細胞を増殖させるという厄介な存在であるようだ(タバコや酒がその犯人の一つだと思われているようだが)。誰もががんになる可能性があるわけで、それが早いか遅いかの違いだけだと思う。

子どもが小さい間は、家族への責任ということを強く考えたが、全て成人した今となっては、誰もががん幹細胞を持っているわけだから、気にしても仕方がないという考えがだんだん強くなってきたために、とうとう最近ではがん検診を受けることはなくなってしまった。

こんな考えに意を強くしたのは、「がん放置療法のすすめ」(文春新書 近藤誠著)を読んだからである。手術や抗がん剤などによる“がん治療”のデメリットが強調された内容になっており、どうせいつかは罹るがんなのだから、若いうちならともかく歳をとってからは無理な治療をしないで、QOLを大事にするという考え方共鳴を覚えてしまった。批判的に物事を見、自分に都合のよい所だけに共感する態度はいさめなければならないのだが…

延命治療の是非が問われているが、歳をとってからのがん治療も無駄な延命治療の一つではないだろうか。子どもの日にふと考えてしまった。

アジアチャンピオンリーグにJリーグから4チームが参戦したが、予選リーグを突破して決勝トーナメントに進出したのは天皇杯で出場権を獲得した柏のみで、去年のJリーグ上位3チームは全滅になってしまった。特に、チャンピオンの広島は1勝もできずに敗退してしまい、残念な結果だ。

去年まではテレビ朝日が放映権を持ち、BSでライブ中継が見られたのだが、今年は放映権が日テレに映り、CS放送での中継がメインになってしまったため、戦いぶりを1試合も観る事が出来なかった(BS日テレでは深夜に録画放送されていたが、「よい子は寝る時間」だった)。

JリーグはこのところACLでは決勝トーナメントに進むのがやっとで、浦和やガンバが連覇したころの勢いがとまっており、クラブチームのレベルではかなり劣勢になっている。Jリーグ発足20周年を迎えて、日本サッカーの今後に少しかげりがみえてきたように思う。この数年にJリーグからヨーロッパに籍を移す選手が急増し、現在ヨーロッパのチームに所属する日本人選手は20人以上いると思うが、ACLでの成績不振と、日本選手のヨーロッパ流出と関連があるのかもしれない。

そのヨーロッパでもチャンピオンリーグが佳境を迎えているが、決勝はバイエルンとドルトムントのドイツ勢が決勝で対戦することになった。準決勝は、バルサとレアルのスペインの人気チームとの対戦になったが、いずれも最初の試合で大差勝ちし、スペイン勢の戦闘意欲が喪失したためか2試合目も余裕の決勝進出になってしまった。

メディアの人気はスター選手が勢ぞろいしているプレミアリーグとリーガエスパニヨールが双璧なのだが、観客動員数はブンデスリーグ最も多い。人口の多さや、経済力の差が反映されているのだろう。

日本選手がヨーロッパリーグで最も多く所属しているのはドイツのリーグで、半分以上はいるのではないだろうか。決勝で顔を合わせるバイエルンとドルトムントにも去年までは宇佐美と香川が所属していたし、その他のチームにも数多く所属し、毎週のように「日本人選手の対決」がニュースになっているほどだ。

ドイツと言うと体力任せでゴリゴリ押してくるイメージがあり、小柄な日本人には最も向いていないリーグだと思っていたのだが、日本人選手が大量採用されるというのはドイツのサッカースタイルが変わってきたのかもしれない。その結果がチャンピオンリーグの決勝対決ということになったとすると、日本サッカーには明るい兆しとも思えるのだが。

このところ少し肌寒い日が続いており、上着を羽織ってちょうどよいくらいの気候になっている。「日本の七十二候を楽しむ」を見ると、八十八夜を迎えた今は穀雨の末候ということになっている。この説明の中に、「八十八夜の忘れ霜」という言葉が登場している。

解説では、「八十八夜は農の吉日で、農作業の目安とされ、種籾を蒔いたり、茶摘みをする時期だが、五月の初めにはふいに冷え込むことがあり、霜が降りることもあるので、油断することがないように」という戒めの言葉として紹介されている。この数日の気象の状況がぴったり当てはまる言葉であり、旧暦には「先人の知恵」が詰まっているということを改めて感じさせられた。

ところで、この解説の中に一つ気になることがある。茶摘みは八十八夜の風物詩として、女性が茶摘みをする風景がニュース映像で流れるのだが、種籾を蒔くというのはとんと見かけたことはない。

今の時期に籾を蒔くと、六月ごろには苗に育ち、ちょうど梅雨に差し掛かった時に田植えのシーズンになる。子どもの頃は、田植えというのは梅雨時の風物詩としてあったように思う。しかし、いつのころからか郊外を車で走ると、この時期にはほとんど田植えは終わっており、田植えの時期は大幅に早まってしまっている。

兼業農家が増えたことにより、仕事を休まなくて済む連休に田植えをするというのが、いつのまにか農家のサイクルになったようである。そのためには、品種の改良や苗の育て方など、工夫が凝らされたのであろう。「後人の知恵」ということか。

先人の知恵というのは、自然に合わせた教えというようにも読めるのだが、ゴールデンウィークの田植えという後人の知恵は人間の都合に合わせたものであり、教えに背いているような気がしてならないのだが。




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