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自動車の今年上半期の販売台数は280万台余りで、24ヶ月連続して対前年同月比で減少を続けている。軽自動車を除く登録車では30年ぶりの低水準になっている。景気後退期には自動車販売台数が低下するものの、上昇期にはプラスに転じるというのがこれまでのパターンであった。

しかし、戦後最長と政府が発表している成長局面にありながらの販売低下である。これまで好調に販売台数を伸ばしていた軽自動車も、ここ3ヶ月はマイナスとなっている。何かを示しているのではないだろうか。

百貨店売上高は半期ベースで対前年を10年ぶりに上回っている。しかし、夏物バーゲンを1ヶ月早めた結果によるもので、1~5月ではマイナスであり、需要を先取りした7月の売上が落ち込むことも確実で、実質的には10年連続してのマイナスになるのだろう。

買い物だけではない。レジャーでも宿泊観光は長期に渡って減少傾向にあり、スキー客などはピーク時から半減している。高齢化、地域間格差の拡大がボディブローのように日本全体に影響を与えているのではないかと思う。

数年前までは、デフレによるものという見方が強かったが、本当は購買意欲の低下、活力の低下がもたらしたものではないかと思う。今、ゲートボールについての仕事に関与している。

ゲートボールは高齢者が手軽にできるスポーツとして人気を博しているが、バブル時代には600万人の愛好者が居たものが、現在では1/3の200万人ぐらいまで減っていると言われている。高齢化が進んでいるにもかかわらずだ。

この10年間で日本がかなり縮んだのではないかと思う。国際的な日本の立場も落ちている。

日本が縮んだ要因は様々だろうが、その最大のものは地域間格差の拡大が生み出したものだと私は思っている。その責任は政治と経済界にあるのではないだろうか。この問題については色んな観点から意見をまとめるつもりだ。
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2月にこのブログを書き始めて、今日で150本目となる。月に2~3回休むことがあるが、5ヶ月とちょっとで150本に到達したことになる。文字数にすると13万5千字で、原稿用紙換算では340枚近くになる。

1日の分量は800字程度であり、原稿用紙2枚、A4サイズで8分目である。ネタは前日までに考えていることもあるが、多くはパソコンに向かってから決めることが多い。目を覚まして寝床から起き上がるまでの数分間に大まかに考え、パソコンの前で書きながら細部を詰めるパターンである。

書きながら中身が変わることもよくあり、タイトルは原稿が出来上がってから作成することになる。普段原稿を書くときのスピードは、A41枚仕上げるのに1時間程度である。このブログはA4換算で8分目だから、ほぼ40分を目安としている。

150本の中身を分析するために、カテゴリー分けをした。分類が分析の第一歩であるが、結構あてはめるのに苦労した。最も多いのが身の回りの出来事を題材にした「身辺雑感」で1/4をしめている。

ギャンブルの話題なども含めた「スポーツあれこれ」が22%あり、週に1回以上取り上げていることになる。サッカーのアジアカップが開催されたこともあり、7月は多かったのではないだろうか。

このブログ全体が、私のものの見方・考え方を示しているものだが、特にマーケティング活動に関係が深い「マーケティング・アイ」と、世の中の出来事・ニュースから考えた「世相を観る」が20本を超えている。

これらは、特に講演ネタや原稿ネタとして重宝しており、自分の考えを整理するツールとしてブログが随分役立っていると実感している。2年ほど書き溜めれば、単行本が1冊できそうな気がしている。その時には「マーケティング・アイ」がもちろんタイトルになる。

私の関心事の一つが、「失われた10年」の研究であるが、そこからは戦後日本の転換点が75年と95年の2度あったことが分かっている。20年サイクルのパラダイム・シフトを考えると次は2015年になる。このときのキーワードが東京(あるいはその対極としての地方)にあるという仮説で、ぼちぼち分析をしている。今は本数は少ないが、次の100本の中では10%を超えるのではないかと思う。

250本もしくは1年たった時点で、内容についてまた分析をしてみたいと思う。

昨晩の試合は、サウジアラビアのベスト・ゲームとも言える内容で、日本は惜しくも敗れた。これまでの、引いて守ってくる相手ではなく、中盤から積極的に仕掛け、一気に速攻を決めるという、王者のような戦い方にやられた。

特に前線の4人の個人技がすばらしく、スピードと球捌きで日本のディフェンス・ラインが翻弄されていた。決勝点となった3点目などは、2人でディフェンスに行っているにもかかわらず、軽くいなされて見事なゴールを決められている。

日本が攻め込んで跳ね返された時に、ボランチの鈴木がチェックに行くのだが、何度もかわされ、カウンターで攻められるというピンチが何度もあった。個人技のレベルが日本よりも上という感じがする。又、守備の仕掛けどころや、連携などチームとしての意思統一がしっかりしていた。

昨日のようなサッカーができれば、決勝戦でも文句なしにサウジだが、同じ試合ができるとは限らない。日本がオーストラリアを破って一息ついたように、サウジも難敵の日本を倒して達成感が生じると、イラクに足元を掬われる可能性がある(賭けが行われていたらサウジの人気の方が高いだろうが、私なら躊躇することなくイラクに賭ける)。

今大会の日本の戦い方を見ると、フリーキックのチャンスが少なかったように思う。日本には優秀なキッカーが揃っており、大きな武器なのだが、遠藤が1点取っただけだった。

ペナルティ・エリアの前の相手にとって危険なゾーンで、相手を慌てさせるようなプレーが少なかったのが原因である。このブログでも何度か書いたが、ドリブラーが居ないためである。攻撃にアクセントをつけるための切り札として、ベンチには1枚置いておきたいものである。

これで参議院選挙の開票とぶつかることはなく、29日の夜は開票番組を集中して見ることができる。テレビ朝日もほっとしただろう。

近畿地方まで梅雨明けが発表されたが、関東はもう少し先になるということである。しかし、昨日の暑さや今朝の散歩の感触からすると、梅雨明けの発表があってもよいとおもうのだが…

情報やインテリジェンスという言葉に興味があるために、そういうタイトルの本を見つけるとすぐに手にとってしまう。講談社+α新書から「国家情報戦略」という本が出た。元外務官僚の佐藤 優と、韓国の国防省海外情報部に所属し、機密漏洩事件で逮捕されたコウ・ヨンチョルの対談をまとめたものである。

情報機関のありかたなどについて、お互いの意見を交換しているのだが、参考になることがいくつもある。例えば、機密の重要度について、次の4つの段階がある説明されている。上から、トップシークレット(一級機密)、シークレット(二級機密)、コンフィデンシャル(三級機密)、対外秘の4段階である。

市場調査という機密にかかわる仕事をしていながら、機密のランクについてあまり意識をしていなかったので、思わずはっとさせられた。長年この仕事に携わりながらお恥ずかしい話である。

コウ・ヨンチョル氏の話で、面白い考え方だと思うのは「三つの目」というものである。

コウ・ヨンチョル氏は「現代は情報洪水の時代。だからこそ、情報の選別能力と鋭い判断能力が求められています。ちなみに、プロのスパイは三つの目を持つべきだといわれます。空から全体を鳥瞰する「鳥の目」、顕微鏡をのぞくように焦点を絞る「虫の目」、潮の流れをキャッチする「魚の目」。これらを兼備して情報を収集、分析、判断しないと駄目だということです」としている。

大づかみする力、鋭くえぐる力、変化を読む洞察する力と言い換えることができるかもしれない。これはスパイに限らず、ビジネスマンの世界にもぴったりはまる言葉である。

いや、ビジネスに留まらず、日常生活の中で、我々が判断を下す時にも当てはまるのではないだろうか。考えるという人類だけが持つ特質は、この三つの目によって支えられているものだとおもうのだが。
昨日に続いて、選挙の話をもう少し。安倍首相の人気のなさの要因の一つが、人間としての魅力の乏しさにある。相手に攻撃されると、すぐに声を荒げて反論するというのは大人の対応ではない。どっしりとした対応に信頼感が置かれるものだ。

言葉を大切にしないというのも欠点だ。「美しい国日本」「戦後レジームからの脱却」などというキャッチフレーズは一見すると分かりやすそうだが、よくよく考えてみると何を言いたいのかさっぱり分からない。一言で“つかみ”を得るというのは重要だが、つかみ損ねた感じだ。

レジームというのはフランス語で「アンシャン・レジーム」というのが有名な言葉だ。旧態依然と翻訳されている。この言葉は2度有名な使われ方をしている。1度目は、デカルトが17世紀中ごろにフランスの封建体制を批判する言葉として用いられ、2度目は18世紀末のフランス革命でルイ16世やマリー・アントワネットの行動に対して用いられている。

長く続くことによって、澱がたまったり、カビが生えるということなのだろう。戦後の枠組みでよくないことは何で、なぜ良くないのか(旧いからというだけでは理由にならない)を示す必要があると思う。

1992年に田村 明という人が書いた「江戸東京まちづくり物語」(時事通信社)を読んでいると、山の手と下町の対比で面白いことが書かれている。

山の手は武家屋敷が集中しているが、武家同士の交流はご法度であり、必然的に屋敷内だけでの交流(ムラ社会の形成)となるのに対し、下町の裏長屋では、井戸やトイレなどが共同であり、共有することにより市民社会が形成されたという意味のことが記されていた。

現代にあてはめると、侍はサラリーマンに置き換えることができる。大名は大手企業であり、旗本・御家人は国家公務員のようなものだろうか。戦前は、農業に従事する人が50%あり、さらに残りの50%のうちの多くは商工自営であり、サラリーマンはごく少ないエリートであった。

しかし、戦後は一貫してサラリーマン=侍階級が増え続け、農業は5%を切り、商業なども個人経営から会社経営が主流となりつつある。その結果が、会社というムラ社会の影響力が大きくなり、共有することで培われた連帯感が元になる地域社会の崩壊が生じてきたのではないかと思う。

オリンピックやサッカーのワールドカップで国を思い出し、甲子園の高校野球で強度を思い出すのは、郷土の連帯感という残滓がまだ残っているのかもしれない。

地域社会を甦させるというのも、立派な戦後レジームからの脱却になると思う。安倍首相は憲法改正だけしか眼中にはないようだが。


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