社長のブログです
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 パソコンの不調で更新が遅くなってしまった。昨年の12月末から連続更新が続いており、何とか100日間連続更新を達成したいので、遅くなったがアップすることにした。 PR
野球がベースボールに勝ったという私の意見に批判をいただいた。もう少し、野球VSベースボールについての私の意見を述べたい。
私は暗算が得意なほうだった(最近歳のせいかやや鈍っており過去形にしたほうがよいのだが)。そのきっかけは物心が付いた時に、野球に興味を持ち、打率の計算方法を父に教わり計算するようになったのがきっかけだった。 小学校に入学したのが昭和30年であるが、その当時は毎年のように「大リーグ」のチームが来日していた。ミッキー・マントルのヤンキースやスタン・ミュージアルのカージナルス、ドジャースなどのチームが来日した。圧倒的なパワーの差があり、単独チームであるにもかかわらず、日本代表がコテンパンにやられていた。 日本の箱庭野球ではとうてい、アメリカでは通用しないことを子供心に痛烈に印象付けられたものだった。マッシー村上がサンフランシスコ・ジャイアンツの中継ぎでささやかな成功を収めた以外は、野茂が登場するまで本場にチャレンジする者もいなかった。 今世紀に入って、イチローや松井、松坂が日本野球も通用することをようやく証明したと思う。昭和30年代初頭の実力差を知るものにとって隔世の感がある。 とはいっても、昨日の川崎の絶妙のセーフティーバントをアウトにした三塁のライトの守備などは、到底日本人では真似ができないスケールを感じさせ、絶対的なパワーの差は埋めきれないものだと思う。 パワーの差があっても、投球術や選球眼など、日本人の巧緻性をフルに発揮できれば何とか勝負になるということを証明したのが、キューバとの2試合や、昨日のアメリカ戦であったと思う。 この3試合で、日本チームは1本のホームランも打っていない。それでも大差を付けて勝利したのは、日本で生まれた“野球文化”のせいであると思う。少年野球→甲子園という環境の中で育まれた野球文化が、国際試合で花開いたのではないだろうか。 日本人の特性として、古来から外国のものを積極的に取り入れ、日本化するのに巧みということがあると思う。文字を持たなかった日本人が、漢字を輸入し、日本独自の文字に作り変えたのがその典型である。 ベースボールを野球に作り変え、ようやく勝負になるところまで到達したのが今回のWBCであると思う。サッカーは日本化がまだ十分でなく、アジアでは勝つことができても、ヨーロッパや南米には勝てない状況である。 それでも、オシムが指摘するように、日本に独自のサッカー文化が根付けば、勝負になる可能性はあると思う。しかし、日本化ができたとしても、体がぶつかり合うラグビーやバスケットボールはどうしようもないのだが…
今日は2度目のブログ掲載である。アメリカに快勝して私がこのブログで再三指摘したように、“野球”がベースボールに勝利し、5度目の日韓対決が実現した。
これまでの韓国やキューバを相手にした時と、今日のアメリカ戦は戦いぶりが少し違ったように思う。韓国やキューバの試合では選球眼が目立ち、相手投手に球数を投げさせるというチーム戦術を採っていたが、今日の試合ではファーストストライクから狙っていくという、積極的な打撃が目に付いた。 多分情報が入っていたのだろう。積極的に打っていくという姿勢が、集中打を生んだように思う。アメリカがベストメンバーでないこともあるのだが、投手も打者も自信にあふれ、「見下ろして」いたような感じすらするほどだ。北京の時のオドオドした感じとは全く違う雰囲気である。 明日の韓国戦はこれまで2度やられているピッチャーだが、3度続けてやられることはないと思う。1回表に先頭のイチローがヒットで出れば、集中打が出るような気がする。先制点が取れれば、投手陣が安定しているだけに、安心して試合が見られそうである。 それにしても、一つの大会で同じチームと5回も戦うというのは少し異常だ。無駄な順位決定戦を行わず、1次ラウンドで勝ちあがったチームは異なるグループで戦うという方式にすれば、同じチームと戦うのは2試合で済み、球趣もますと思う。 もっとも、20日の消化試合のような順位決定戦は、天気の悪い祝日ということも手伝ったのか、テレビ視聴率は40%を超えたそうで、試合数を多くしたい気持ちもわからぬではないのだが。
昨日は風が強く、荒れ模様の天候ということもあり、一歩も外に出なかった。一昨日歩きすぎた反動が出たのかもしれない。今日も午前中はWBCがあるので、外出は午後からになりそうだ。
悪天候の中、東京マラソンが行われた。学生時代に長距離を走っていた経験からすると、雨は平気だが風は嫌だった。季節にもよるが、雨は返って気持ちよいくらいで走りやすかったのだが、風が強いと前に進んでいく感じがせず、疲労感は倍増するような気がしたものだ。 当然記録は伸びないもので、昨日も男子の優勝記録は2時間10分台の平凡なものであった。そんな条件の厳しい中で、女子の優勝タイムは2時間25分台で、先日の名古屋の優勝タイムを大きく上回ったのは価値があると思う。 もっとも東京マラソンは、国内唯一の男女混合マラソンであり、男子選手を手ごろなペースメーカーとして走れたことが、好記録に結びついたのかもしれない。考えてみると、女子マラソンの好記録はベルリンやロンドンの男女混合の舞台でしか出ていない。 手ごろなペースメーカーの存在があるからだろう。今回の東京マラソンから、賞金大会になった。男女の優勝者には、副賞を含めて1100万円が贈られた。世界記録を出すとボーナスも含めて5000万円の賞金になるという。 今回は女子のトップアスリートは参加しなかったのだが、来年は世界選手権やオリンピックの選考もない谷間の年であり、気楽に一発を狙う選手が出場するかもしれない。5000万円には届かなくても、優勝の1100万円も十分魅力的であるからだ。 間もなく5回目の日韓戦に向けて、アメリカとの準決勝が行われる。今日は午後にももう一度このブログをアップしようと思う。
昨日は、桜の開花を探索のために10キロ以上歩き回った。見事な桜の巨木を見つけたが、開花はまだだった。蕾の膨らみ具合からすると、今日あたりは何輪か花が開いているかもしれない。今週末にはもう一度出かけるつもりだ。
今日は少し固い話をしようと思う。今月のマーケティング夜咄では、リベラリズムとコンサバティズムについて取り上げ議論をした。リベラルというのは自由と約されるのだが、経済学の観点からはむしろ規制を強化するという立場であり、経済活動の自由を追求するのはコンサバティブ(保守)のほうであるというのが少しややこしい。 リベラルというのは社会的公正が重視され、そのために政府の積極的関与が求められるという大きな政府主義である。一方、コンサバティブは、効率が重視され、その効率は市場メカニズムにより決定されるので、余計な政府の干渉は不要という小さな政府を求めるものである。 両者は社会・経済環境の変化により、時代の主流を成し、少しずつ形を変えながら進化している。 17世紀は暗黒の中世を脱し、資本主義の萌芽が生まれた時代だが、その時に理論的主柱を務めたのだが重商主義という立場であり、国家の積極的関与・規制をもとめたものであり、大きな政府主義の走りである。 これに対するアンチテーゼとして、18世紀には「神の見えざる手」を説いたアダム・スミスによる古典派経済学が生まれた。市場メカニズムを重視する小さな政府主義の走りである。 19世紀はこれがさらに、ラッセルへーべ(自由放任主義)という形で隆盛を極めた。これが20世紀に入って1929年の大恐慌により終焉を迎え、政府による需要創造の有効性を説いたケインズ経済学が主役となる時代へと転換を迎えることになる。 これが、オイルショックによる成長率の鈍化と高福祉政策による国の財政赤字の拡大をうけて、再び小さな政府を目指す志向が強くなり、サッチャリズムやレーガニズムが誕生し、英米の金融資本主義やグローバニズムが全盛を極めたのがついこの間までのことである。 ここからいえることは、両者は常に振り子のように行き過ぎると必ず揺れ戻す力が働き、瞬間的にしか正解とはならないことである。どちらも永遠に続くことはないのである。 アメリカの政治体制は、リベラルの民主党、コンサバティブの共和党とはっきりしており、政権がどちらにあるのかは時代の要請を反映しているものとみることができる。 日本の場合は、2大政党がどちらの立場をとっているのか今一よくわからない。麻生首相がいう「中福祉・中負担」というのはその極め付きのような気がする。 夜咄の議論で出てきたのは、日本はどちらかというとリベラルの立場に軸足を置き、アメリカはコンサバティブの立場に軸足があるというものであった。少なくとも、今年行われる衆議院選挙はリベラルの立場を鮮明に打ち出した方が勝利することは間違いないだろう。 |
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