社長のブログです
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 桜の満開に続いて、追加経済対策が花ざかりである。「100年に1度の経済危機」を錦の御旗に、あれもこれもとこの際とばかりに盛り込まれ、当初10兆円といわれていたものが、とうとう総額15兆円の規模になるとの事である。 PR
半袖ですごせそうな陽気が続いている。外歩きが楽しい季節の到来で、メタボ解消に励みたいのだが、懐が寂しくせっかく美味そうなものを見つけても自重しなければならないのが残念である。
このところのメディアの報道は北朝鮮問題一色のような気がする。確かに重要な問題なのだろうが、ちょっと疑問だ。 一つは、北朝鮮の思惑通りになっているのではないかということだ。「何をしでかすかわからない国」という印象をもたらすことにより、北朝鮮は外交カードを1枚持ったことになると思う。さらに、大量の報道により潜在的な「脅威」を植えつけたことは、そのカードの威力が増したことになり、北朝鮮の狙い通りではないだろうか。 二つ目は、外交・安全保障問題は政権の専権事項であることだ。内政問題ならば与野党の対決の構図がはっきりするが、外交、特に危機管理問題では政権の対応だけに注目が集まり、与党にだけ得点のチャンスが生まれることになる。外敵は与党に有利に働く。 メディアはもう少し冷静に対処する必要があると思うのだが、その点では、舞鶴の少女殺人事件で容疑者が逮捕された件では、懐疑的な報道姿勢が見られることは好ましいことではないだろうか。
昨日でようやく桜が満開になった。昨年の12月28日以来連続しているこのブログの連続更新も、昨日で100日を達成した。更新に要する時間は30分~45分で、負担はそれほどでもないのだが、出張があると日帰りでも物理的に更新が難しくなる。それだけ、仕事が暇ということであり連続更新を喜んでもいられない。
ブログのテーマの選定だが、前日の夜に決まっていることが5割程度はある。日ごろから関心を持っていることについて、前日にニュースなどで話題になった時などである。昨日取り上げた「国益」などは、ニュースではないがNHKスペシャルを観てのものである。 朝起きて、新聞やラジオのニュースを見て決めるのが4割程度はある。イチローの胃潰瘍についての感想などがそのパターンである。ひょっとしたらこちらが5割を占めるかもしれない。 残りの1割は、パソコンの前に座り気象に関する前ふりをした後に決めるもので、今日はそのパターンである。そのような時は、途中で書き直しをすることが多く、時間は45分の上限一杯になる。 コツコツと書いたお陰か、3月の検索サイトからのアクセスが60本を超えた。昨年の3月は15本だったから4倍以上になる。WBCの話題に関するものが17本と多かったのが60本を超えた要因である。 検索サイトからのアクセスは土日の方が平日よりも多いのだが、先週末は2日で2本とペースが落ちており、それだけ今月に入って話題が乏しいのかもしれない。切れ味のあるテーマを提供できるようにしたいものだ。 メジャーが開幕し、早速松井がホームランを打った。今年はオープン戦から好調であり、故障の再発がないように祈りたい。
私は「国益」という言葉が大嫌いだ。北朝鮮のミサイル発射の問題や、土曜から始まったNHKスペシャルの新シリーズを見ながら、余計その感を強くした。
アラカン世代は、学生時代は全共闘世代であり、時代の雰囲気として「反体制」に染まっており、体制を象徴するような「国益」という言葉にアレルギーがあるのかもしれない。 私が国益という言葉が嫌いな理由を考えてみると、3つある。一つは、上に述べた世代からくる嫌悪感である。二つ目は、国益=国民の利益ではないということである。国益とは国家という体制の利益であって、体制を維持・強化するものであり、国民一人一人にとってはむしろ損失を被ることの方が多いのではないだろうか。 NHKスペシャルで繰り広げられていたように、戦争の歴史は「国益」のぶつかり合いでしかない。国家体制を維持するために、国民が犠牲になってきたのである。 三つ目の理由は、国益というのは「私がよければ」というエゴの塊の言葉であることだ。先日、NHKの夕方のラジオのニュース番組で、同志社大学の浜教授がG20の会議に必要なことは「あなたがよければ」という態度であると指摘していた。 同感である。グローバル化した世界において、国際協調の立場で行動するには「あなたがよければ」という態度なくしてはありえないと思う。めちゃくちゃな国家体制をとっている、北朝鮮相手にはあてはまらないかもしれないが… 国益という言葉を頻発した政治家の代表は、小泉元首相だと思う。対米追随的外交姿勢を質された時に、よく国益という言葉を用いていた。国益という言葉を護符のように使い、何でも許されるという態度である。 国益という言葉はいかがわしい言葉ではないだろうか。政治家が用いる時には、特に注意しなければならない。 私は、国家という概念のもう一つ上に、「公」というものがあると考えている。国家というのは、そのときの都合により作られているものであり、「公」というのはもっと普遍的なものだと思うからだ。 「公益」という言葉が好きにならなければいけないのだが、「公益法人」という「我々がよければ」しか考えていないろくでもない組織が存在するので、公益という言葉も簡単に使えないのが残念なことだ。
都心の桜は満開になったようだが、近所の桜はまだせいぜい5分咲き程度であり、満開になるにはもう少し時間がかかるようだ。今年は、満開になるまでに相当の時間を要している。
近所の散策を終えて、お昼に自宅に戻ったところラジオで「北朝鮮が何らかの飛翔物体を発射した模様」という一報が流された。NHKのテレビを点けると、臨時ニュースを放映していたのだが、間もなく「誤認知」ということが告げられた。 実際にミサイルが飛んでいれば、その後の次々に入ってくる情報があるだろうから番組の組み立ても楽だったのだろうが、誤報では2つの情報しかなく、レギュラー番組を飛ばした穴を埋めるのに四苦八苦の状況が見て取れた。 今回は千葉県にある最新鋭レーダーが「何かを見つけた」ことが発端である。何も映っていないレーダーで動き出した何かを見つけるのなら話は簡単だが、レーダー上には色んなモノが映っており、そこから「何かを見つける」必要がある場合、困難な作業だろうということは察しがつく。 ましてや、今回は事前予告があり、相手がミサイルということで素早い“判断”が要請されるものであることから、極度の緊張状態であったことが誤報につながったのであろう。 専門家の話では、「極めて性能の高いレーダーで、鳥を感知した可能性もある」としている。鳥を誤認したということを聞いてすぐに思い出したのは、富士川の合戦で水鳥が飛び立つ音を敵の夜襲と勘違いして敗走したという「源平盛衰記」の逸話である。 今回の誤報は、危機管理における「情報伝達」ということで多くの示唆を与えてくれたと思う。肩の力も抜けて、次の対応は上手く行くだろう。 日経に面白い記事があった。韓国では聯合ニュースなどが日本メディアを引用する形でミサイルの発射を速報し、中国の新華社は韓国メディアを引用する形で報道したらしい。何やらメディアの世界に伝言ゲームを楽しんでいるようだが、一つ不思議なことがある。 政府からの発射確認の情報は、外国のメディアにサービスはしないだろうから、韓国が日本のメディアから引用するのはわかるのだが、新華社は何故日本のメディアから引用せず、韓国からなのだろうか。 ここまで書いた時に、ラジオから「飛翔体発射」の臨時ニュースが流れた。危機管理体制の再チェックの時間のようだ。 |
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