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子供手当の支給が始まった日に、高額の子供手当を受け取っていた首相の辞任表明となった。何とも皮肉なことである。後継首相には、私の期待するサプライズが起こりそうもなく、内閣のナンバー2が就任することになりそうだ。

鳩山内閣がゴタゴタしたのは、首相自身のリーダーシップが欠如していたことも大きいが、それ以上に官房長官の力量が不足していたことだと思う。官房長官は“補佐役”である。補佐役は、内閣の中や党に対して睨みをきかし、調整を図るとともにトップの相談相手になって時には助言や苦言を呈するのが役割である。

トップがリーダーシップを発揮するためには、参謀と補佐役に恵まれなければならない。特に、「和の国」である日本においては、睨みの聞く補佐役が重要であると思う。

豊臣秀吉に対する、弟の大納言豊臣秀長の役回りだ。秀吉は竹中半兵衛や黒田官兵衛という優れた参謀にも恵まれたが、秀長という補佐役がいたことが政権を手に入れた大きな要因だったと思う。

秀吉の不幸は、豊臣政権の大番頭として活動していた弟の方が、先に死んでしまったことだと思う。歴史にIFが付き物だが、秀長が生きていれば関ヶ原の戦いは起こらなかったのではないだろうか。

鳩山政権でも、管官房長官であったならば、だいぶ違ったことになっていたと思う。管氏にとってラスト・チャンスとみての出馬なのだろうが、副総理としての連帯責任があり、後継候補としてはふさわしくないと思う。それに、これまでの延長上という感じはぬぐいきれない。

ここは補佐役に徹し、代表には思い切った若手の抜擢を考えた方がよいと思う。日本の政治の20年来の混迷は、これまでの常識から踏み出すことができなかったことにあると思う。このさい、過去からのしがらみを断つために、手あかの付いていない人物(女性の方がよいと思う)を選択し、管氏は官房長官として腕をふるうのがよいと思うのだが…
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今朝のブログで、今週が山場だと述べたが、それが今日起こってしまった。指導力のなさが、ダメージとなったがその最大の要因となった沖縄県民にとって、辺野古と明記した日米共同声明を発表してすぐに辞任というのは、やりきれない気持だろう。

どうせ辞任するのなら、日米共同声明を発表する前にしてほしかっただろう。無責任な行動というそしりは免れまい。

政権のたらいまわし批判を民主党はしていただけに、たぶん衆参ダブル選挙になると思う。鳩山の後継者にだれがなるかは現状ではわからない(誰も手を挙げる者がいない?)が、内閣に入っていたメンバーは失格だと思う。政権の混迷を招いた一因は彼らにあるからで、そのような連中がトップに着いたとしても、期待できないのは当然だ。

思い切って、40歳代もしくは30歳代のフレッシュな人材が代表になるのがよいのではないだろうか。事業仕分けで名を売ったあの女性議員でもよいと思う。とにかく、あっと思わせるような党首選びをしないと、ダブル選挙をやったとしたら、衆議院の議席は200を切るのは必至だ。

鳩山首相は小沢幹事長と刺し違えをし、膿を出したのだから、次の党首選びで再生のチャンスはもう1回ある。
そろそろ梅雨入りの時期だが、このところ少し気温は低めだが、爽やかな日和が続いている。これも天候不順というのだろう。この調子で行くと今年は冷夏になりそうで、夏場に仕事が多く入っている私にとっては、農業に携わる方には悪いが、ありがたい夏になりそうだ。

今朝の日経の朝刊の1面トップに、党幹部との会談を終えた鳩山首相が、左手の親指を立てるポーズの写真が掲載されている。記者団からの、「続投か」という質問に応えてのものだそうだ。

管副首相をはじめ、大臣からは「首相を支える」というコメントが相次いでいる。一見しのぎ切ったかのように見えるが、支持率の低迷ぶりからすると、そうもいくまい。

来月には参議院選挙があり、選挙戦を戦っている候補者にとって、不人気のトップを抱えての選挙となると、やっていられないということになるからだ。航空機の援護もなく、片道の燃料だけで沖縄決戦に向かった戦艦大和の乗組員のような心境になっているのではないだろうか(旧い例えだが)。

今週が山場になりそうな気がする。しかし、トップの首を挿げ替えたとしても、7月の参議院選挙では与党は大敗すると思う。衆議院では300を超える圧倒的多数を誇りながら、参議院では過半数割れという不安定な状況が、また繰り返されることになるだろう。

そうなると、2院制度の矛盾を指摘する声が大きくなるだろうが、私は違うと思う。40%を少し超える程度の得票で、7割の議席を獲得できる衆議院の小選挙区制度の矛盾が露呈したと見るべきではないだろうか。

選択の自由度の拡大が、成熟化社会の条件の一つである。これに逆行した小選挙区制度の導入により、有権者のちょっとした“気まぐれ”で議席が大きく変動し、その数字の“錯覚”により与党の傲慢な議会運営が混乱をもたらすという構図になっていると思う。

参議院の制度を見直すよりも、衆議院の小選挙区制度を見直すのが筋だと思うのだが…

いよいよ6月に入った。W杯の開幕まであと11日になったが、本屋の店頭にはサッカーに関する本が山積みになっている。そんな中から、前日本代表監督イビチャ・オシム監督の「考えよ!-なぜ日本人はリスクを冒さないのか?-」(角川ONEテーマ21)を読んだ。

オシムは識見に長け、豊かな語彙で語りかけるため、気づかされることが多く、「オシム語録」を聞くために多くのサッカー記者を集めている。何かと批判的に物事をみる習性があるジャーナリストも、オシムには賛同の記事が多いように思う。ジャーナリストをフアンにするという魅力が彼にはある。稀有な存在であり、私も信奉者の一人だ。

その最新作が「考えよ!」なのだが、読んでみるとこれはサッカーの話ではなく、人としての考え方を説いている本である。参考になることが多い。

例えば、スピードについて語っている部分がある。サッカーで必要なスピードには、「走る」「プレー」「判断」の3つがある。そのうち最も大事なのは「判断するスピード」だとしている。局面を打開するために、判断をして素早く行動する選手が一流プレィヤーの条件ということだ。

日本人固有の問題として、判断のスピードに問題があるとしている。考える力が欠乏しているというのだ。これは子育ての問題に起因しており、その背景には「この国では失敗に罰を与える」という考え方があるとしている。その結果自ら考えようとせず、責任転嫁=指示待ちという行動様式が身についてしまっているとしている。

責任転嫁というのは、自らの失敗とはならないということであり、指示待ちというのは自ら考えないということを意味している。見事な洞察力であり、私も同感である。

語録ではオシムと向こうを張っている野村監督の語録にも、「失敗=成長と読む」という言葉があり、よく似た考えだと思う。

「最低でも県外」「5月末に決着」という2つのオウンゴールで窮地に立たされている人は、「判断のスピードが遅い」という日本人固有の問題の象徴なのだろうか?

失敗に罰を与えるような国にしたくないものだが…
昨日のイングランドとのテスト・マッチは、得点力不足が常々問題視されていた日本チームが3得点をあげた。ただし、そのうち2得点はディフェンダーが味方のゴールに入れたものだったが。

守備的な選手を増やし、専守防衛のスタイルをとったことで、なんとか接戦に持ち込むことができた。本番もこのスタイルを貫くだろうから、3試合とも接戦になり、“幸運なゴール”の手助けがあれば、勝ち点を獲得できるかもしれない。しかしこれでは、フランス大会の時のように3試合とも1点差で敗れるという可能性の方が高いのではないだろうか。

この原稿で、通算1000本目だ。07年の2月にスタートして3年3カ月で達成したことになる。どこまで続けるのか当初は目標を立てていなかったが、取りあえずの目標としては、「名球会」の200勝・2000安打の要件にあやかって、次の大台である2000本にしたい。

次の目標に向かって、これまでの1000本をジャンル別に見ると、当初はマーケティングに関する話題を取り上げた割合が多かったが、最近はスポーツ関連や政治に関するものが多くなっているような気がする。

「身辺雑感」というジャンルにくくっているのは、記事のネタをニュースから拾ってくるのではなく、自分の目で直接見たものを取り上げるようにしている。行動力や観察眼のメジャーになるものである。当面の目標である2000本に向けては、身辺雑感をもう少し増やしたいと思う。1000本で205本になっているから、2000本を達成した時には500本程度になることを目標としたい。



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