社長のブログです
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ようやく春が到来してきた感じで、外出する時に着るものが一枚減らすことができた。公園のサクラも微かに咲きだした。例年よりも少し遅い開花であるが、それほど今年の冬の寒さはいつもにも増してのものだったということを証明している。
昨日は、姥桜も咲いたようだ。サッカーのチャリティマッチで44歳のカズがゴールを挙げたのだ。スポーツ紙の一面は、カズダンスの饗宴になっていると思う。 カズは私と誕生日が同じであることで、密かに応援していたが、日本中が注目している試合で得点をしたのだから、やっぱり“もっている”男の一人なのだろう、ほめてやりたい。 ほめられないのは国会議員だ。ニュースを見ていると、参議院の予算委員会で、首相が地震直後に原発を視察ことにより、現場の初期対応が遅れたとして相変わらずの“責任追及”をしていた。 今は責任追及をする時期だろうか。そもそも責任追及をするならば、原発を推進してきた自民党にもあるはずで、こんな政治家たちに復興を任せられないと思う。“責任を取って”さっさと議員辞職をしてもらいたいものだが… PR
テレビのニュースで用いられる原発のイラストが次第に大きくなってきた。震災直後は、フラスコ状の格納容器とその内部の原子炉だけのシンプルなものだった。
それが、水素爆発を受けて原子炉建屋も示されるようになり、次には使用済み核燃料棒の冷却プールが登場した。これに数日前から隣のタービン建屋が加わり、昨日はとうとう建屋に隣接したトレンチという配管トンネルまでに拡がってしまった。 イラストが大きくなるほど、事態の深刻さを示している。問題が拡がり、対応するべき対象が増えるということになる。当初問題視されていた所も解消されたわけではなく、手当てを継続しなければならない。 普段ならコントロール・パネルの操作で済むのだが、トラブル対応は人的対応がメインにならざるを得ない。震災から20日近く経過し、作業に当たる人の疲労や被爆量は増えるばかりだ。 昨日初めて、現場の人々の“暮らしぶり”が明らかになった。一日二食、会議室でごろ寝をしながら、作業にあたっているとのことであり、一日二日ならともかく、この先の事を考えると現場作業に当たる人たちの“支援”も被災地以上に急務ではないだろうか。 海外メディアでは一時「Fukushima 50」という言葉が使われていた。現場で勇敢に戦う50人のサムライに敬意を表した言葉だが、実際には400人ほどの人たちが対応しているようである。 東電の社員だけでなく、東電の現場部門を担う関電工や、東芝・日立などのメンテナンスを担当する技術者なども加わっている。日本の原子力産業の現場を支えるオールスターチームのようなものだ。 今回の現場では想定外の危機が次々に起こり、現場で知恵を絞りながら対応をしなければならないことが続出していると思う。今回の事故が無事終息した時に、原発の危機管理マニュアルは10倍ほどの分量に増えるかもしれない。 イラストの範囲がこれ以上増えないことを祈るばかりだが、長期戦を覚悟する必要がありそうだ。三宅島の噴火ほどではないだろうが、原発事故による避難者に対する支援は、1年はかかるつもりで対処するべきではないだろうか。
先ほど「緊急地震警報」がラジオから流れ身がまえたが、微かな揺れを感じただけだった。テレビを付けるとマグニチュード6.5と報じられており、余震としては最も大きく津波注意報も発令されている。
先月のニュージーランドの地震は、昨年の地震の余震とされている。今回の地震は規模が大きかったためか、余震がやたらと多く、緊急地震警報を10回以上聞いている。原発が安定し余震が治まらないことには、復興についての道筋が見えないような気がする。 今回の被害は15兆円から20兆円という試算が出されている。原発の放射能漏れによる避難などの二次災害や、部品供給のストップによる操業停止などの関連被害も含めると、もっと膨らむのだろう。 しかし、失ったものを精緻に数えてみても仕方がない。損害保険会社に任せておけばよい話だ。 考えなければならないのは、復興計画とそれに要する資金の手当てだ。幸か不幸か、津波は何もかも流し去ったので、更地からグランド・デザインができる。地権者の調整で難航する市街地再開発とは違い、効率と効果を最大にする計画が可能だと思う。ひょっとすると、失われたものよりも少ない費用で、もっと快適な街づくりが可能になるかもしれない。 行政の手腕の見せどころであり、ヘッド・クオーターとなるべき「復興院」の早期立ち上げを図り、無秩序な闇市的復興に歯止めをかけるべきであろう。 次に、崩壊した自治体の再生や、インフラの復旧、住宅や仕事など生活環境の整備喉も含めた、復興計画に充てる費用の捻出だ。 既存の予算をやりくりしたり、国債の増発(日銀に一手に引き受けさせる案や、無利子国債などの案が出ている)には反対だ。予算のやりくりは福祉部門にしわ寄せが来るのが目に見えており、東北だけでなく、日本中が“萎縮”してしまう。危機を乗り越えるのに、縮こまるのが最もいけないことだ。 国債の増発で賄うのなら、これまでの失われた20年の手法を踏襲することになり、ますます失われた30年に向かって突き進むだけで、知恵のない話だ。 復興に支出する予算規模を設定し、時限立法として“連帯税”を導入して賄うものはどうだろうか。消費税の1%は、2兆円になる。復興費を20兆円として見積もると、消費税に5%を上乗せした“連帯税”は、2年間の時限立法である。 被災地にも軽減措置はとらず、被災者からも徴収する。皆で分かち合うのが、連帯の意味であるからだ。 地震の規模がマグニチュード9.0という未曽有の規模だけに、復興計画も未曾有の規模にならざるを得ない。それだけに復興計画を上手にやれば、“復興特需”が生まれ、日本経済再生のきっかけになると思う。一方、無秩序にやれば、ばら蒔きに終わってしまい、一過性のものにしかならないだろう。 リーダー・シップが求められる時なのだが、リーダーが見当たらないのが…
間もなく4月なのに、寒い日が続いている。それでも近くの公園では、サクラがほころびそうな気配を漂わせており、これで少し暖かくなるとはじけそうな気がする。3月末の開花宣言だろう。
いつもならサクラ前線の北上が、この時期のニュースの定番メニューになるのだが、お花見は自粛せよということなのか、報じられていない。 西の方ではひっそり咲いているのだろう。花見に限らず、関東圏はプロ野球の開幕延期など自粛ムードが漂っており、今何かを日本でやるには西の方でしかできない情勢だ。 競馬も中山開催は中止になり、阪神と小倉で「被災地支援競馬」と銘打って開催されているが、自粛エリアの関東圏では馬券を買うことはできず、被災地への支援は西の方にお任せすることになっている。 もっと西の方のドバイでは、競馬のワールドカップが今日の未明に開催された。メインレースは1着賞金600万ドルという世界一二を争う高額賞金レースであり、日本から過去最多の3頭が出走した。 予感がして昨夜は9時過ぎに就寝し、夜中の2時に目覚ましをセットして、テレビ中継を見た。何と、1位と2位を日本からの遠征馬が占めたのだ。夜中なので大声を出せずに、小さな声でしかなかったが、思わず声が出てしまった。 日本のサラブレッド生産は、ピーク時には1万頭を超えていたが、現在は7千頭を割り込んでおり、馬産地は不況に苦しんでいる。地方競馬がドンドン廃止されたことが、生産減につながっている。今回の活躍により、海外から日本馬を購入するのが増えるのではないだろうか。 すでにその兆候が見え始めているのだが、農作物の輸出と同じように、欧米ではなく、中国や韓国、シンガポールといったアジアであるのが面白いところだ。近い将来、日本は農業の輸出大国になるかもしれない。 ところで、1位に入った馬のオーナーは、先週の阪神競馬終了後に行った騎手会主催の募金活動に、2千万円を拠出したと報じられていた。早速ご利益が現れたということか。 私もそろそろ寄付をしようとするか。
地震以降、総理大臣は何度かテレビを通じて、「国民に対するメッセージ」を発信している。昨夜も、地震発生以降2週間ということで、記者会見の模様が中継されたが、こちらの感受性が悪いのかもしれないが、何の「メッセージ」も伝わらなかった。今朝になると、どんな言葉があったのか、全く忘れてしまっている。
この間「ぶら下がり会見」も“自粛”されているためか、国民の目からすると、総理大臣は何をしているのかわからず、2週間で一気に影が薄くなってしまった感じである。原稿棒読みのような「メッセージ」の発信はやめ、ぶら下がりを復活した方が良いのではないだろうか。 反対に存在感が増しているのは官房長官である。地震直後は頻繁に会見を開き、最近も一日2回の会見はテレビで中継されている。言葉遣いが正確で、記者の質問にもはぐらかすことなく受け答えしており、スポークスマンとして有能であることを証明していると思う。 ただし、昨日の夕方の会見で、屋内退避を指示されている人々に自主避難を求めたのは、少し問題だったと思う。 屋内退避エリアで物資が不足し、生活が困難になったためとしており、放射線量が増えていることを理由にしていない。政府の原子力委員会(これもどんな権限を持つ立場なのか良くわからない)の見解では、「避難指示や屋内退避は、危険性の程度で判断するもの」としているため、避難指示ではなく、自主避難の勧告になったのだろう。 これでは、判断を住民に委ねたのと同じである。東電のHPでは、原発や周辺の放射線データが詳しく掲載されるようになったが、知識のないものにとっては、全く読み取ることのできない数値(記号?)の羅列であり、判断のしようがない。 該当する自治体や住民は、周りの状況・雰囲気を感じ取って判断をするしかないだろう。「空気しか読まないKY]になるしかないのだ。非常時に、政府は自主避難を呼びかけるという、曖昧な態度をとるべきではないと思う。 放射能汚染は、文字通り“空気が読めない”ために問題なのだが… |
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