社長のブログです
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 今朝はいよいよ夏本番を感じさせる天気になっている。今日からTシャツ半ズボンの夏モードにスイッチしている。気持ちがよい。 PR
今朝は曇り空で今にも雨が降りそうである。いよいよ梅雨の走りが来るのだろうか。ベランダの前の紫陽花はカンカン照りには似合わず、曇天の方が色鮮やかに見える。
今週末はダービーが行われる。ダービーの行われる日は、毎年5月の最終日曜日と決まっている。少しでも売上をという思いからか、天皇賞やジャパンカップなどの大レースは月末の日曜に開催されている。ダービーもこの例にあてはまる。 1レースの売上では、暮れに行われる有馬記念が最も多く、800億円を超える売上を記録したことがあるのに対して、ダービーは560億円が最高で最近では300億円を少し超える程度である。年末ジャンボとグリーンジャンボの差と同じようなものか。しかし、入場人員では断然ダービーである。有馬記念は10万人台の前半であるが、ダービーは15万人を超え、19万人の観衆を集めたこともある。5月の晴天に誘われてくる人も多いのだろう。 今年は皇太子様も東京競馬場におこしになるそうである。明治天皇は競馬が大好きだったようで、競馬の草創期には天覧競馬がよく行われており、その血を引いてのことかもしれない。 私も昔はよく競馬場に出かけたが、最近は億劫になりテレビの観戦だけで、馬券も買わなくなった。それでもダービーだけは別で、場外馬券でも買ってみようかと思っている。 というのは、過去のデータに照らし合わせるとかなり確率の高い馬がいるからである。ダービーの前哨戦は中山競馬場で行われる皐月賞であるが、このレースを逃げ切った馬は全てダービーを勝っているのである。 私の記憶の限りでは、カブラヤオー、カツトップエース、ミホノブルボン、サニーブライアンの4頭が皐月賞を逃げ切り、ダービーを連覇している。カツトップエースやサニーブライアンは皐月賞での人気が10番人気以下の大穴になっている。 皐月賞では逃げ切れなかったが2着に粘った馬は、ラッキールーラーとアイネスフウジンの2頭が記憶にあるが、いずれもダービーでは雪辱を果たしている。逃げ馬というのは自分のペースで走れコース取りも自由になるが、後続にマークされるため逃げ切るのは容易でなく、過去40年(私の記憶の範囲)でも皐月賞で逃げ切ったのは4頭しかいないのである。 しかし、逃げ切った馬はそれだけ実力があることを証明したわけで、皐月賞をノーマークで勝ったとみられた2頭もダービーでも逃げ切っているのである。過去のデータからは鉄板といえるのだが… その馬の名前は「ヴィクトリー」、いかにもと思わせる名前だ。
ヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグの決勝戦が今朝未明にあった。3時半に起床して半ば居眠りながら観戦していたため、今日は一日眠いかもしれない。試合は終始中盤での潰しあいが続き、少し単調な気がした。そんな中で、ミランのカカとインザーギのコンビは一味違うプレイを見せてくれた。
埼玉スタジアムでは浦和が何とかシドニーFCと引き分け、アジア・チャンピオンズ・リーグの一次予選を突破した。川崎とともに二チームが決勝トーナメント進出を決め、アジアのチャンピオンになる可能性が出来た。中東地域のクラブのレベルは高く、優勝するのは容易でないが、チャンピオンは世界クラブ選手権の出場資格を得ることができる。 日本で開催されながら、今ひとつ盛り上がりにかけるトヨタ杯ではあるが、日本チームが出場権を獲得すれば一挙にヒートアップすると思う。サッカー人気に少し翳りが見え始めており、再浮上のきっかけになるのではないか。 眠気覚ましにベランダを見ると、紫陽花が一気に色づき始めている。もうすぐ見頃だ。
6月4日に六本木ミッドタウン探訪の会を開く予定だ。施設の中の飲食店はどれも高く、懇親会を開くには予算的に問題がある。やむなく、ミッドタウンを至近距離で眺めることができる場所を会場にした。
六本木は20代の頃によく出かけた場所で、最初の勤め先の神谷町に近いことや、外国人と付き合うことが多かったことなどによる。外国人が多く出入りする店は、リーズナブルな価格の店が多いように思う。ネットワークが発達している彼らのメガネにかなった店は、それなりの満足感があり、参考になる。 外国人が多く出入りするようになったのは、戦後駐留軍の兵舎が六本木界隈にあり、彼らを対象とした飲食店が多くあったことによる。駐留軍の兵舎が置かれたのは、戦前の陸軍の施設を利用したためである。歩兵第一連隊の跡地が東京ミッドタウンに、第三連隊の後が新国立美術館となっている。 連隊は3個大隊で構成されており、戦時には連隊が3個で構成される師団か、二連隊の旅団として作戦に従事するが、平時において独立して活動する最少単位が連隊となっている。2000人近い兵員が居るため、施設としては広大なものとなる。 このような広大な敷地が明治初期には東京には多数存在した。大名屋敷跡である。大名屋敷は、公館に相当する上屋敷、隠居所にあたる中屋敷、別荘に相当する下屋敷の3つに分かれる。上屋敷は皇居の周辺に多く、中屋敷は外堀周辺、下屋敷は海沿いか郊外に設けられるケースが多かったようである。 第一連隊は毛利藩の支藩である長門藩の下屋敷、第三連隊は宇和島藩の上屋敷跡に置かれている。下屋敷は別荘であったため、大きな敷地を持つところが多く、青山墓地は岐阜県の郡上八幡の城主である青山氏の下屋敷であり(青山通りも由来は同じ)、新宿御苑は高遠藩の内藤氏の屋敷跡である。 地味な小大名の屋敷跡でもそれなりの規模を持っていたことに驚かされる。東京が大きく発展した背景には、膨大な大名屋敷・武家地を持っていたことが、含み資産となって働いたことが理由の一つにあると思う。
今朝も気持ちのよい天気が続いている。気候が暖かくなるにつれて、起きる時間が早くなる。寒い時期は7時ごろが定刻だが、夏場は6時には目を覚まして活動を開始している。個人的なサマータイムの導入である。
6時に起きて新聞やテレビを見ているときの楽しみの一つが、NHKの「おはよう日本」の中の「まちかど情報室」というコーナーである。6時45分頃に、毎日新しい消費や商品・サービスの動向について、3~4の事例を取り上げて紹介しているものである。 例えば今朝は、「紫外線予防」ということにスポットを当て、紫外線予防に効果のある洗剤や、紫外線の量を測定するための様々な機器、紫外線をカットするベビーカー用ネットなどが取り上げられていた。 毎日のテーマを考えること、テーマに沿って3~4の事例を集めること、番組で紹介するために取材すること、番組として編集することなど大変な労力が費やされていると思う。1年間で200テーマほど紹介されており、情報量としても相当なボリュームとなっている。 この番組は放映するだけでなく、FAXでの情報提供やホーム・ページでの閲覧が可能となっている。ホーム・ページでは情報の出所が明らかになっている(番組では出所までは紹介していない)のが特徴で、問合せに応えるための措置とは思うが、ダイレクトリーとして活用ができる優れものである。 この間までは2004年の放送開始以来の全ての放送内容が検索できたが、最近では多くなりすぎたためか2006年の1月以降のものに限定されている。それでもちょっとした話題づくりにはやくだちそうだ。 URLは以下の通り。 http://www.nhk.or.jp/machikado/ |
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