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今朝も寒い朝だが、寒気の峠は越え日中は暖かくなるという予報である。しかし、この2日の寒気でインフルエンザの患者が増えそうな気配がある。生まれてこの方インフルエンザに罹ったことがない身であるが、警戒は怠らないようにしよう。手洗いとうがいの励行が一番のような気がする。

今朝の日経に気になる記事が一つあった。政府の事業仕分けで、大型の研究開発も仕分け対象事業として取り上げることになったという記事である。

最近研究開発にからむ仕事をしていることもあり、私にとって関心のある分野である。研究開発投資は、設備投資と並んで成長戦略に欠かせないもので、人口減少が続く日本では特に大事なものである。

研究開発には、基礎研究、応用開発研究、改良研究も三つのレベルがある。そのうち、応用開発や改良研究は直接成果に結びつくため民間に委ねてもよいが、基礎研究は成果に結びつくまでに期間がかかるため、市場原理で行動する民間企業レベルでは中々手を出しにくいため、国が主導権をとって行う必要がある。

限られた予算の中から、どの分野に配分するかが重要なわけだが、そのためには将来の「国の形」を考えて取捨選択をする必要がある。国の形を考える役割を担うべき国家戦略室(局)の動きが鈍い中で(少なくとも活発に動いているようには見えない)、事業仕分けをどのようにするのか危惧される。

そもそも、「事業仕分け」も方法だけが先行しているように思われ、理念が欠如しているのは研究開発だけに限らないが。

昨日の試合は、8回の攻防で決着がついた。7回を6球で三者凡退に討ち取った菊池を8回も続投させたのが敗因だと思う。今日勝った方が、チャンピオンになると思う。巨人が勝てば4勝1敗、ハムが勝てば4勝3敗というのが私の予想だ。

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昨夜は月が奇麗に見えていたのだが、風が強く鳴り出した途端に雨が降り始め、それとともに急に寒くなり、11時には5度までになった。昼間からは10度は下がった勘定で、一気に冬が到来したようである。

こうなると、鍋で日本酒をやるという一番好きなパターンになり、食生活が安定して体調維持に気を使わなくてすむ。

最近食べ物で凝っているものの一つにサザエがある。小学校6年生の修学旅行は、大阪の小学校の恒例となっているお伊勢参りだった。小遣いは300円と決まっていたが、1個10円で売っていたサザエを10個以上食べた記憶がある。

小学生が屋台でサザエを何個も頬張っているのは異様な光景だったろう。それほど貝好きなのだ。最近スーパーで小ぶりのものが、1個150円前後で売っている。つぼ焼きにちょうどよいサイズだ。これを2~3個買ってきて、前菜にするのである。

今日の寒さだと、これにタラ鍋を加えて日本シリーズの熱戦を見るとちょうどよさそうだ。これは季節に合わせた、自然の流れだ。

昨日から衆議院の予算委員会がスタートした。大臣の答弁は真摯な態度で好感をもてたが、一つ違和感があったのは拍手である。大臣の答弁が終わるたびに拍手が起こるのだが、大量動員された民主党の新人議員によるものである。自然な拍手ならいいのだが、わざとらしくどこかの独裁国家のような気がしたのは私だけだろうか。
日本シリーズは、1勝1敗のタイで東京での3連戦を迎えることになった。日本ハムは昨日負けるとズルズル行きそうになるだけに、この1勝は大きいと思う。

私の印象としては、日本ハムは一昨年の日本シリーズで中日にコテンパンにやられただけに、ひ弱なイメージを持っていたのだが、この2戦を見てこのたくましさを感じた。

この2戦を通じて、日本ハムの最大の強みはリリーフ投手陣にあると思う。先発が何とか持ちこたえることが出来るなら、何とか凌ぐことが出来るような陣容である。クライマックス・シリーズの緒戦で5点のリードを守りきれなかった楽天のブルペンとは大違いである。

守備力も中々のものがあり、2死から5連打で4点を取ったように打線も地味だが侮れず、7戦までもつれる可能性も大有りで、1週間楽しめそうだ。


昨日は国立競技場でニュージーランドとオーストラリアの対抗戦、ブレディスローカップが開催された。グランドレベルの“砂かぶり”席が7万円、自由席の子供でも3千円という入場料金でどれだけ観衆が集まるか注目されたが、4万4千人を確保したようだ。

外国のチーム同士の戦い=本場の興行ということで想い出されるのは、アメリカン・フットボールの大学オールスター戦ジャパンボウルである。昭和49年か50年に第一回が開催されたが、一般席のチケットが3千円と当時にしては高額だったにもかかわらず、国立競技場が超満員になった。6万人近かったのではないだろうか。

学生のフットボールよりも、プロのラグビーの方が価値は高いように思うのだが、興行としては前者の方に軍配が上がった。昭和50年ごろと現在とでは、活力が違うということだと思う。

先日「ラジオ深夜便」で昭和51年のヒット曲を特集していたが、「北の宿から」をはじめ今でもよく覚えている歌が多く登場している。なんといっても400万枚を超える売上を獲得した「泳げたいやきくん」が発売されたのもこの年である。オイルショックにもめげず、日本が最も活力があった時代だったと思う。

当時の日本の平均年齢は30歳、現在は44歳になろうとしている。どうもこの差が、ジャパンボウルとブレディスローカップの動員の差につながっていると思うのだがどうだろうか。

今日は、ダルビッシュが登板という報道もある。今日の勝敗が日本シリーズの帰趨を決めるものになるだけに注目だ。

今週の火曜日に大阪狭山市に出かけた。狭山は埼玉県にもあり、後から市になったので「大阪」の文字が加えられたのだろう。南海高野線の沿線にあり、人口5万人ほどの小さな市である。

大学時代に友人が天下茶屋に住んでいたので遊びに行ったことがあるが、高野線に乗るのはそれ以来で40年ぶりのことになる。当時は貧相な路線だったが、現在は高架の区間も多く様変わりしている。

しかし、関西の私鉄沿線では平均所得が最も低い路線と思われるような佇まいが続き、車窓から見える景色ではマンションが少ないのが印象的だった。

天下茶屋から20分ちょっとで目的の金剛駅に着いた。この駅だけは、途中の駅に比べると一段上の立派な駅であった。タクシーで近大病院まで行ったのだが、近大のすぐ側までくると住宅の雰囲気が一変した。

一戸あたりの敷地が100坪を超えるような住宅が連なっているのである。運転手の話によると、南海電車が40年ほど前に開発した「狭山ニュータウン」であり、敷地面積を大きくして高級住宅街を志向したようである。東急が開発した土気の「チバリーヒルズ」を想い出した。

所々、100坪を切るような住宅を目にしたが、転売した時に売りやすくするために分筆したためという運転手の話であった。芦屋に住めなかった船場のオーナーなどが居を構えたようで、運転手によると帰宅時の利用が多く、「上得意」のようである。

近大病院に着いた時には、20台ほどタクシーが並んでいたのだが、帰りは客待ちが2台しかなかった。全部出払ってしまったためである。

行き帰りとも中年の運転手であったが、物腰が柔らかく、会話も弾んだ(大阪人特有のおしゃべりである)。愛想のない運転手に出くわすことが多いのだが、ドル箱を抱えて収入に恵まれているためだと思う。衣食足りて礼節を知るということか。


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